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後ろに立つ者

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                   ◇

 表に出ると、まだ寒さが残る夜の街は、閑散としていた。風が吹き付けるビルの谷間に飛び出してみると、さっきまでいた暖房の入った事務所にいたのが、かなり前だったように思えるほどの気温差だった。
 ただ、もう一度あの部屋に戻ろうとは思わない。仕事を一段落させるために、集中していた部屋では、すでに暑さ寒さの感覚はマヒしていて、事務所というものが、どれほど集中力を高めることができるものかと、表に出ることで再認識できるのだった。
 石田信義は、仕事に限らず、部屋に関しては特別な印象を持っていた。
 部屋というものは、ただ密閉された空間というだけではない。密閉された空間に、時間の感覚が加味されることで、思ったより時間を長く感じたり、逆に短く感じたりするものだった。
 会社のオフィスでもそうだ。集中している時は、どんなに長い時間だと思ってもあっという間に時間が過ぎている。特に残業になった時の、夕方六時以降などは、ほとんど時間の感覚がなくなってしまうほどだった。
 ただ、逆に自分の部屋にいると、時間が長く感じられることが多い。部屋にいる時は、ほとんど何も考えないようにしているわりには、気が付けば何かを考えていることが結構ある。そんな時、
――なかなか時間が過ぎてくれない――
 と感じてしまうことが多いのだ。
 逆に自分の部屋にいる時でも、あっという間に時間が過ぎたと思う時があった。漠然とテレビを見ている時などがそうで、テレビを見ていると言っても、テレビがついていて、目で追いかけているというだけのことだった。何かを考えているつもりではいるのに、気が付くと、何も覚えていないのだ。
――何も考えていなかったんだ――
 と思うと、時間があっという間だったと感じる。
 それは何も考えていなかったと思わなければ感じることのないもので、少しでも何かを考えていたと思う時は、あっという間だったという感覚はない。ただ、あっという間だというのは、普段がなかなか時間が過ぎてくれないという思いがあるために、余計短く感じてしまうものなのかも知れないと感じた。
 前の日までもずっと遅くまで仕事をしていたので、家に帰れば、シャワーを浴びて寝るだけという毎日だった。そんな日には時間の感覚など感じる暇もなく、
――時間に追われている――
 という思いが働くだけだった。
 若い頃は、どんなに仕事で遅くなったとしても、家に帰って寝る前に読書をする余裕があった。一時間ほどであるが、本を読んでいるうちに襲ってくる睡魔に逆らわずに眠りに就くことが、心地よさでもあったのだ。
 それをいつ頃から忘れてしまったのだろう?
 今では読書どころか、シャワーも億劫だ。着替えすらせずに、そのままベッドでグッタリして、そのまま眠ってしまうことも多くなった。
――年齢には勝てないのかな?
 今年四十五歳になる信義は、四十歳を超えたあたりから、それまでとは明らかに体調に変化が表れたことに気が付いた。
 仕事に対しては相変わらず、オフィスの中で時間を感じさせない。表に出ている時の方が、細かい時間を刻んで行動できる。車の運転をするので、
――どの時間、どの道を通ると混まないか――
 などということも計算に入れて行動している。営業という仕事をしているのだから、それくらい当然ではないかと思っていたが、今の若い連中は、細かいことは気にしないようだ。
 とは言っているが、自分が若い頃も同じだったような気がする。先輩社員から、
「お前たちはいい加減だ」
 と、いつも苦言を呈していたが、それでも営業成績が悪くなければ、それ以上文句を言われることはない。
 もうすぐ年度末を迎えるが、それまでに済ませておかなければいけない仕事だっただけに、一段落したことは、感無量の気持ちであった。
 若い連中は連れだって祝杯を挙げると言って、賑やかに会社を後にしたが、管理職関係は、少し仕事を整理してから、後は個人個人、帰って行った。
 まだ部長は仕事をしているようだったが、
「お先に失礼します」
 と言って、しんらい信義は会社を後にした。
 昨日までは、少し暖かかった。
――春がすぐそこまで来ているんだな――
 と感じたが、今日は吹いてくる風の強さのせいか、
――まだ寒さが残っていたようだな――
 と、感じさせられた。
 それでも仕事を終えた満足感から、それほど辛いとは感じない。しかし、最近まで仕事が一段落していない間は、体感に関してはマヒしていたように思っていたので、風を感じることは、悪いことではなかった。むしろ、頭を冷やすにはちょうどいいのだ。
 このまま駅まで行けば、最終電車には間に合うはずだ。
 しかし、その日は、最終電車の混雑の中に身を投じる気がしなかった。仕事が一段落したことで、明日は休暇をもらったことも手伝ってか、普段しないことをしてみたいと思うようになっていたのかも知れない。
 かと言って、どこに行こうという当てはない。眠くなれば、駅前のネットカフェでもいいだろうし、ビジネスホテルに泊まるのも悪くないと思っていた。
 ビジネスホテルへは、今までに何度か宿泊していた。
 やはり仕事で遅くなり、最終電車に間に合わない時、事務所で仮眠する気にもなれない時など、ビジネスホテルに泊まることがあった。
 ビジネスホテルは、さほど広いとは思わない。ただ寝るだけなのに、家に帰ることを思えば、何となくワクワクした気分になるのはなぜであろうか。
 フロントでチェックインするまでが、ワクワクした気分である。部屋に入ってしまうと、そこから先は寝るだけだという感覚に戻ってしまう。なぜワクワクするのか、自分でも分からないままなのが不思議だった。
 朝食は、パン、コーヒー、ゆで卵のバイキング形式の朝食だ。大したことないものなのに、またワクワクしてしまう。新聞を読みながら朝食を摂っていると、落ち着いた気分になるのだった。
 もっとも、普段は朝食を摂ることはない。それもあるからなのかも知れないが、ほとんど出張のない仕事なので、出張に行ったような気分になれることが、新鮮な気持ちにさせてくれるのかも知れないと思った。
 その日は、ビジネスホテルの予約をすることもなく、とりあえず、駅前まで行ってみた。
 やはり思った通り、駅に向かう人を見ていると、皆最終電車に乗るつもりのようだ。当然のことながら、満員電車となるだろう。
 彼らの横顔を見ていると、
――俺も、あんな顔をしていつも電車に乗っていたのかな?
 と思うと、複雑な気持ちだった。
 自分では、そんなつもりはないのに、改めて第三者の目で見ると、まったく違った印象を与えられることがある。それを思うと、信義は今日最終電車に乗らない気持ちになったのが正解だったように思えたのだ。
――たまに、第三者のような目で見るのもいいものだ――
 それが気持ちの余裕から来ているものだと思っていたが、
――本当にそうなのか?
 という思いがあったことも拭いきれない。
作品名:後ろに立つ者 作家名:森本晃次