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短編集22(過去作品)

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 その手に抱かれたもの、それは花束であった。少し遠いので、それがどういう主旨のものか最初は分からなかったが、雰囲気を感じるに鎮魂歌のごとく静かに手向けられるものであることを、気がつけば悟っていたのだ。
 男が置いた場所はいかにも彼女が座っていたベンチの一角だった。老人は花束を左側に置き、自分もそのまま、そこに腰掛けた。ゆったりとした座り方で、そのまま視線は少し上を向いている。いかにも黄昏れているといった表現がピッタリである。
 おもむろにポケットから取り出したタバコに火をつけ、口に持っていく。その仕草にまったく無駄がないことは子供にでも分かった。さりげなさが恰好よかったからだ。
 しばしその光景に見とれていた私たちだったが、別に金縛りにあったように動けなかったわけではない。動くのがこれほど鬱陶しいと思ったことがないだけで、動こうと思えば動けるのだ。
「さあ、やろう」
 一人の声の元、すべてが元に戻った。重々しい空気は何事もなかったかのように風を運んでくる。
 さっきまで風が耳鳴りのようになり、まわりの声や喧騒とした雰囲気すら分からなかった私の耳に、急に音が戻ってきたのだ。遠くから犬の鳴き声や、木々が風に揺れてざわつく音まで耳の奥に響いている。
 投げたボールが金属バットの乾いた音を誘う。完全に私の耳に音が戻ってきた。
 老人はそれを見るように少し前のめりになっている。私たちの野球に興味があるかのようであるが、すぐにまた身体をベンチに預けるような座り方になり、少し斜め上にある空を眺めている。
 黄昏てはいるが、表情はゆったりとしている。「悟ったような表情」と言えるかも知れない。
――金属バットの奏でる乾いた音を、まるで鎮魂歌のような気持ちで聞いているのかも知れない――
 と思えるのだ。
 その時ハッキリと
――ああ、もう彼女はこの世にいないのだ――
 とそう感じた。
 別に好きだったという感情があったわけではない。
――ちょっと気になる女性――
 その程度だったのだ。しかしそれがなぜ?
 話をしたこともない。彼女が私に視線を送り、微笑んでいたという感覚もない。だが一つ言えることは、彼女がまるで以前から私と知り合いだったような気がしているということである。初めて見た時から気にはなっていた。それは「不思議な魅力のある女性」としてであり、そこに特別な感情はなかった。もちろん小学生の私に恋愛感情がどんなものかなど分かるはずもなかったので、その時はただ不思議なだけだった。
――もう会うことはできないんだ――
 そう思うと不思議に目頭が熱くなるのを感じた。その日から公園で野球をしていても、気になるのは彼女が座っていたベンチばかり、白いワンピースの彼女が微笑んでいるのが見える。
 彼女は私にだけ微笑んでいる。ずっと私だけを見てくれているのだ。そんな思いからであろうか、
――私だけのものになったんだ――
 などと不謹慎な感情が芽生えたりもしていた。
 一緒に公園で遊んでいた友達も、彼女に特別な感情を抱いていた人もいるはずだ。私と同じように恋愛感情とかではないのかも知れない。しかし、思いを一番引きずっているのはどうやら私だけのようなので、きっと彼らとは感情移入が違っていたのだろう。
 私はずっとずっとベンチを見続けていたような気がする。
 しかし、彼女のことを考えるのは公園で野球をしている時だけだった。フェンスの中からいつものようにベンチを見る、この時だけが彼女と二人きりになれる唯一の時間だと自覚していたからだと思う。そうでなければ公園を一歩出た瞬間に私の感情には嘘のように彼女のことは消えているからなのだ。
――ベンチを見続けること――
 これは私にとって彼女に近づくことのできる唯一の時間だった。
 それでも、彼女の記憶がある一点から消えているのだ。確かにベンチを見続けていた時期は自分でも覚えている。しかしある時期を境に、一切記憶の中から彼女の存在が消えてしまっていることに気付いた。
――だからかな?
 それから事あるごとに彼女のことを思い出すようになった。顔がハッキリと浮かぶのである。しかし浮かぶ顔のパターンはいつも野球を見ながらの無表情な顔だけである。ニコニコしていた顔が印象的だったはずなのに、その笑顔を思い出すことはない。思い出した無表情な顔からは想像も及ばないのだ。
 ひょっとしてこれが、私の失恋第一号だったのかも知れない……。

 優美子が私の腕の中で歓悦の声を上げている。隙間もないほど私の身体に絡み付いてくる優美子の軟らかい身体は相当な熱を持っていて、暖かいというよりも熱いくらいだ。
 私も火照ったからだから、何かがこみ上げてくる感覚に身をゆだねていた。優美子の歓悦の声が遠くで響くのを聞きながら興奮を一点に集中させていた。
――初めて味わった感覚ではないような気がする――
 と、なぜか終始考えている自分がいた。
 それは懐かしさという言葉だけで片付けられるものではないかも知れない。
――ずっと私の中にあったものだ――
 という思いが快感の中で感じる唯一の感情だった。
 最初、母親のお腹の中にいる頃の、羊水に浸かっている気分になっていた気がする。しかしそれとは別に女としての優美子を抱いている間、違う女性が私の中にいて、その人とダブっていることに気付いたのだ。顔が浮かんでくるわけではない。それだけに錯覚ではないかという思いの元、自問自答を繰り返していたのだ。
――なぜ、ハッキリと顔を思い出せないのだろう?
 私の中で、それは小学校の頃に野球観戦をしていた女性がいることは分かっていた。そして彼女を思い浮かべていることも分かっていたはずなのだ。
――いつもであれば、思い浮かんでくるはずの顔なのに――
 そう感じるのも無理のないことだった。いつも彼女の存在が、私の頭の中から表に出てきた時は、彼女を思い浮かべることができる。しかし、無表情な顔しか思い浮かべることのできない私の中に、歓悦の声を上げている優美子とダブッて見ることは不可能なのだろうか?
 逆にこの場面で思い浮かぶことができれば、私の中にいる彼女の違う表情をさらに自分のものにできるのではないかという感情がなきにしもあらずであった。
 最初に「失恋したの」と言った優美子の顔が思い浮かんだ。明らかに私を求めている目だったと思うのは後になってからだったような気がする。最初は彼女の幼い雰囲気に魅了されていたためか、お茶目な感じさえ受けていた。そこに妖艶な雰囲気があったとしても、その時の私には気付かなかったのだ。今、私の腕の中ですべてを任せている優美子を見ていると、今日初めて会ったような気はまったくしなかった。
――情が移ったのかな?
 今までに抱いた女性に情を感じなかったと言えば嘘になる。元々情に流されやすく、惚れっぽいタイプの私としては、身体を重ねれば相手を好きになる可能性は十分に秘めている。確かに身体を重ねたことで付き合い始めそうな女性も今までにはいただろう。しかし、今までの女性は決して私に従順ではなかったのだ。
作品名:短編集22(過去作品) 作家名:森本晃次