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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Hellhounds

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二〇一八年 一月十一日 夜

「そうです、こんな感じで……」
 宮間は、自分の人差し指に息を吹きかけた。運転席に座る前園がうなずくよりも先に、続けた。
「いなくなりました。待ち合わせ場所で、ずっと待っていたのに」
 停まっていてもハンドルに滲んだ汗でつるつる滑るのは、本革巻きのオプションがないグレードのマツダアクセラを買ったからだった。前園は、まだ新車の香りが残る車内で、シートに冷や汗をかいていた。緊張感だけが支配している、五人分の狭い空間。前園は自分の仕事に自信を持っていた。しかし、二十年のキャリアの中で、最も難しい依頼になりそうだった。宮間は二十代の若い女で、前園とは親子ぐらい年齢が離れていた。だから余計に断るきっかけを失い、結局首を縦に振る羽目になった。
「正直、結果は約束できない」
「それでも、結構です」
 宮間は暗闇の中で少し微笑んだが、前園はそれに気づくこともなく、ぼんやりとオレンジに光るナトリウム灯の街灯を眺めた。雨がぱらついていて、ワイパーが思い出したように時折拭い取るたびに、それに合わせて意識もはっきりと冴え渡った。
「二十年だ」
 前園が言うと、宮間は首をかしげた。髪の香りで、前園にもそれが分かった。大きな黒縁眼鏡に、花粉対策用の大きなマスクという出で立ちは、自宅の部屋から着の身着のまま飛び出してきたようで、危なっかしく感じた。個人的な話をするべきではないと分かっていても、今後接点が生まれることはないと思い直し、咳払いをしてから続けた。
「ちょうど二十年前の今日、この仕事を始めた。おれは二五歳だったよ」
「記念日ですか」
 そっけない言葉に、前園は笑った。
「そうだな。二十周年だ。でも、これで最後にするよ。難しい仕事をやるには、ちょうどいいかもな」
「その意気で、お願いします」
 宮間は前園の方を向き、ぺこりと頭を下げた。前園はその丁寧な仕草と、言葉のギャップに笑った。
「まあ、できることはするさ」
 宮間は、封筒から腕時計を取り出して、前園に差し出した。
「これと同じ時計をつけていました」
 前園はルームランプを点けた。ブロンズ色のシーマスターだが、特注のエングレーブが入っていた。
「珍しいな」
「それも、手がかりにしてもらえたらと」
 宮間は、前園の身振りをじっと見ながら、呟いた。
「巻いてくださって結構ですよ」
「いいのかい? じゃあお言葉に甘えて」
 前園がシャツの袖を少しまくったとき、腕の入墨が覗いた。宮間がじっと見つめていることに気づいた前園は、作り笑いを返した。
「上場企業に勤めてるわけじゃないからね」
 宮間はその冗談に少し笑い、目を伏せた。
「あんたの探してる人も、そうなんだろう?」
「本名はわたしも知りません。古野と、呼ばれていました」
 前園は眉間を押さえながら思った。宮間のような普通の女性が関わり合いになるには、少々根性の要る業界だ。
「あのさ……、気を悪くしないでほしいんだけど。ここまでどうやって来た?」
「電車です。駅近を指定してくださって、助かりました」
 前園は苦笑いで、遠くに見える自動販売機を指差した。その隣には、鉛筆に見えるぐらい細身の男が立っていた。
「あの自販機の横、男が立ってるだろ?」
 宮間は大きな眼鏡をずり上げると、指した方向をじっと見つめた。前園は慌てて手で止めた。
「そんなじっと見たら気づかれるから、ダメだって。あいつはシャブの売人。ああやって、危ない奴らがこの辺にはごろごろいるんだ。あんた、喉が渇いたらあの自販機でジュース買うんだろう」
 宮間は肩をすくめて、少し俯いた。前園は小さくため息をつくと、さっき仕事を請けたときと同じように、小さくうなずいた。
「また連絡する」
 宮間が車から出て行くのを確認して、前園は大きく息をついた。同時に、自分の経歴が頭の中を電流のように走りぬけた。前園友宏、四五歳。人生は二十歳まで順調だった。九二年に兄が殺人で逮捕されてから、全てが変わった。何をするにもタイミングの悪かった人生。その証拠に、暴力団の一員になったのは、暴対法が施行された翌年のことだった。破門になった年の暮れに、それまで仕えていた若頭が一気に出世した。いいように転びそうになった瞬間、強制的に転機が訪れた。三十歳を過ぎるころには、自分の心に誓いを立てた。他人の人生に関わることはあっても、自分自身の人生は自分から切り離そうと。身の回りは最小限にした方が、人を傷つけずに済む。どうせ、いずれ転機がやってくるのだ。幸せを掴んだり、少し鼻歌でも歌いたくなったときに限って。
 待ち合わせ場所。集合地点。いろんな呼び方がある。この車も、宮間にとってはその一つだった。古野という男が約束した場所も。待ちぼうけを食らうのは、非常にストレスがかかる。特に宮間のような普通の人間であれば、警察に通報しようとか、色々と考えただろう。でも、相手が相手だから、それすらできなかったのだ。バックミラーを見ると、傘をさして駅に向かって歩いていく後姿が見えた。一瞬考えたあと、前園は車をバックさせると、横付けして言った。
「近くまで送るよ」


「待ちぼうけでも、仕事は仕事なんだから。金よこせってんだよな」
 数ヶ月前のことをまだ気にしている。駒井の独演会を、武内は風船ガムを膨らませながら聞いていた。深夜も開いているドライブイン食堂は閑散としていて、テーブルの上は一日の疲れを溜め込んだように油っぽく、空っぽになったラーメンの鉢もつるつると滑った。
「あれ以来順調じゃん」
 武内が言うと、駒井は首をかしげた。
「どうだかな」
 二人の仕事は、内容にはっきりと当てはまる名前がなかった。ただ、人からは『逃がし屋』と呼ばれることが多かった。逃げた後でどう呼ばれているかは知らなかった。もしその呼び名を二人が知っているようなことがあれば、それは依頼者が逃げ切っていないということになる。雇い主は、駒井の母親であるアズサの前夫で、名前は蜂須。なで肩の小男で、本当の父親ではない。駒井は身長百八十センチで体重は百キロ近くあり、武内の古いインプレッサに乗せると、巨大な焼売を詰め込んだ重箱のようになるのが常だった。小柄な武内は、駒井の巨体でいつも左側が見えず、それで事故を起こしそうになったこともあった。二十三歳で、両方とも同じ高校を同じ年に中退した。
「そういや、ガソリン代も出なかったな」
 武内は、インプレッサの鍵にくっついたキーホルダーを持って、鍵本体をくるくると回した。あのとき用意されていたのは、シルバーのスカイライン。武内のインプレッサと同じ九八年型で、この手の仕事には珍しい型の車だった。記憶に残る車は、あまりよくない。
「ハイオクだったっけな。あれ、レギュラー入れたらどうなんの?」
 駒井は、そう言いながらおでんの方にぐるりと首を回して、前に向き直った。武内はガムを灰皿に吐いて、言った。
「まだ食べんのか?」
「いんや。持ち帰りにする」
 おでんの袋を提げて、薄暗い駐車場を歩く。駒井が振り返ると、真っ暗な中に灯るドライブインの光がまっすぐ向いていて、おでんの湯気を白く照らした。
「マジで寒いな」
作品名:Hellhounds 作家名:オオサカタロウ