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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 五、生命の章

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下・結び、ひらく・1、もっと。


 
 膜を貫き降りそそぐラアの力。
 直下の北の神殿に残った神々は、はじめの爆風で多くがその場から引き離されていた。炎を身に受け燃えるものもあった。
 カナスとネイトもまた足場を失い、水に落ちた。しかしまた互いを求めるように這い上がり、対峙する。
 争いどころではないと、彼女たちは考えなかったのだろう。そのもつ火の性質を、太陽神の炎が煽り立てていたのか――互いに敵だけを映しているようだった。
 草木を焼く炎を背に、カナスは金の槍をかまえじりじりと敵に迫る。ネイトは水上に積み上がる瓦礫の影を次々と駆けそれを翻弄した。炎が二人の間をさえぎれば、好機とばかりに弓を引き絞る。どちらも肌を焼く熱をまるで気にも留めていないようだった。
 その間も神殿の石々は燃え、その炎のなかでまたひび割れ、砕かれていく。砕かれた石が火をまとい水に落ちる。炎はなお燃えている。
 その立つ大地は、いつまでも同じ形をしていなかった。流星が落ちるたびに地は震え、割かれ、隆起してゆく。
 耳をつんざく音。近くに流星がまた落ちた。
 炉に投げ入れられたかのような烈しい熱、視界も定まらぬほどの地の揺らぎ。荒れた海のように、川の水が波を立てたかと思うと、ふたりをまっすぐに貫くように深い亀裂が走った。
 あっと声をあげる間もなく、ふたりはぱっくりと開いた地の底へと呑みこまれてしまった。
 ラアの力はますます激しく降り、大気そのものが火と思われるほど熱されてゆく。地に開いた亀裂へ滝のように流れ込む川の水も、みるまに蒸発してゆく。
 大河は、ついに涸れ果てようとしていた。
 両岸に生い茂る豊かな緑はあかあかと燃え上がる。風が向きも定まらず吹きすさび、嘆きの音を奏でている。
 その音は、中央神殿のカムアの耳にも届いた。
 彼はひとり、ずっと中庭で天を仰ぎ見ていた。
 そうして天穹をすべり、地を覆う傘のようにして降るその力に、うっとりと目を細める。
(やっと、この目で捉えることができた)
 表と裏の両側を編み、強い彩のコントラストを放つ光。その両極の彩こそが、光を黄金にみせるのだ。
(すごく、綺麗だ……)
 ラアの力を、感じる。――胸がぐっと熱をもつ。
 それは初めてラアと出会ったあの時に見た、星の輝きと似ている。
 自身と近い性質の、けれど決して自分は持ちえないもの。
 カムアは思った。己のこの性質が、異界の闇、創造主の「不在」と近いものであるなら……、
 それは、切り離された「在」を求めて生きるにちがいない。
 古のとき、ウシルによって引き離された在と不在。表裏一体であったもの。
 不在の闇が、いつでもこの生者の世界を呑み込み、ひとつに還ろうとするそのように。自分もまた、切り離された片側を、求めていたのだろう、と。
(僕は、見つけられたんだ)
 こんな幸福がほかにあるだろうか。
 カムアは瞬きも忘れ、引き付けられるようにそれを見ていた。
 と、視界の端にさっと光がひらめき、どお、と大地が振動する。少しむこうに、赤い炎が立ち上がり空を焦がすのが見えた。
 息をのむ。鼓動がひとつ大きく打ち鳴らされる。
(ラアの光が、届いた)
 またひとつ、より近くに流星が降り注ぐ。雷鳴のようなとどろきが腹を突きあげ、足元が大きく揺さぶられた。
 神殿内に女神の悲鳴が響く。カムアもよろめき膝をつく。ひとときも逃すまいと仰いだその瞳にうつる、天を覆いつくす黄金。
 バリバリと激しい轟音をたて結界が反応した。ラアが作り上げた結界に同じ力が衝突し、ついに破られると、直ぐに灼熱が襲った。
 烈風に圧され、カムアは脇の柱廊に転げるように身を倒す。白い石畳を敷きつめたその場が一面炎となった。修復されたばかりの柱が砕かれ、熱風が神殿を駆けめぐる。
「きゃああっ!!」
「こっちよ!」
 女神の叫びが炎の渦の向こうに聞こえる。
 カムアは自身が炎に晒されているのを感じていた。足が背が焼かれ、激しい痛みに呻きが漏れる。しかし彼はそのまま目を閉じ、抵抗することをしなかった。
(ラアの、火……)
 この火の中で終えられるのなら。そう考えた。――だが、
「しっかりしてください、大丈夫ですか!」
 女神たちが放っておかなかった。母娘女神が小さな結界を張り、その炎を遮ったのだ。
 母がひとりで結界を保ち炎を押しのけている間に、娘ソークがカムアの傷に手をかざした。治癒の力はほんの慰め程度であった。それでも何かをせずにはいられなかったのだろう。
「早く……ヒスカ様に――」
 母親がそう声したときだった。炎の勢いに圧され、小さな結界が音を立ててはじけた。
 悲鳴を上げる間もなく炎が押し入る。母親は娘に覆いかぶさった。
 追い打ちをかけるように、上空に大きく映し出される流星。
 ――どこからか、大きな羽音が近づく。
 一陣の風がさっと天より滑りこみ、カムアと母娘を炎から遠ざけるように、柱廊の影に追いやった。柱が一つ倒され、熱を遮るように横たわる。
 その音を最後に、神殿は静寂に包まれた。
 降り注いだはずの黄金は消え去り、上空はただ影に覆われている。
 中庭には消えずの炎がいまだ燃え盛ってはいるが、熱風は去り、崩壊の音は遠くにくぐもり、ときおり地が揺らぐのみである。
 神殿上空に何かが「蓋」をしたのだ。
 治癒神ヒスカが駆けつけた。ソークは無事であったが母の方はすでに息がなかった。すすり泣くソークの横でヒスカは淡々とカムアの傷をふさいでゆく。
 そのうち他の女神たちも包帯や水を手にやってきた。逃げるうち怪我したのか、足を引きずるものもあった。肌も衣も汚れ皆疲れていたが、気丈にできることを探そうとしていた。そうすることで不安に押しつぶされまいとしていたのだった。
 ふと、上空からひとひら、白いものが舞い降りた。
 大きな羽毛だった。ふわりとヒスカの視界をかすめ、炎の中に熔ける。
 ヒスカの顔色が変わった。彼女はハッと上空を仰ぎ、震える声で叫んだ。
「あなた……ヤナセ!」
 返事はなかった。しかし疑いようもない。
「いや……やめて、こんなことをしたら――やめて!!」
 低い地響きと共に地から衝撃が届く。はらはらとまた羽毛が散る。微かに焦げたにおいが鼻をつく。
「あなた!!」
 天から、ぽたりと鮮血が滴った。ヒスカはいよいよ狂乱ぎみに泣き叫ぶ。
《地下へ、……急ぐんだ》
 声にならないその言葉を、カムアだけがとらえた。彼は絶えそうな意識を奮い、自身の負う責務を思い起こすように、女神たちにそれを告げた。
「皆さん地下へ……ヤナセさんが、そう言っています」
 自分のことはかまわず。カムアは身を横たえたまま言った。
 女神たちはしばらく躊躇したが、泣き叫ぶヒスカの様子に照らし、冷静であろうとしたのだろう。そのうちソークが、目を赤く腫らしたままスと立ち上がり、行きましょうと言った。
 きゅと唇を結んだその面持ちに励まされるように、他の女神たちはうなずき、立ち上がる。ソークは自身の亜麻布の羽織を母のなきがらに被せると、無言で背を向け歩き出した。