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星の流れに(第一部・東京大空襲)

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1.プロローグ~スカイツリーからの眺め~



「和貴、国技館はどこかしら?」
「え~と……あ、ほら、あの緑色の大屋根の建物だよ、すぐ側に江戸東京博物館もあるから間違いないよ」
「え? どこ?」
「ほら、あそこに」
「ああ……本当だ……」
 
▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 佐藤静枝は孫の和貴と東京スカイツリーの展望室から東京の街並みを眺めている。
 和貴は就職して三年、四月からは関西に転勤になる、東京スカイツリーがオープンした頃、祖母の静枝が『行ってみたいねぇ』と言ったのを覚えていて、しばらく会えなくなるだろうからと連れて来てくれたのだ。
 静枝は眼下に広がるビル、ビル、ビルの景色に、子供の頃目に焼き付いた風景を重ねて行く。
「そう言えば、お祖母ちゃんは両国生まれだったね」
「ええ、そうよ、十二歳まで両国で育ったわ」
「国技館はその頃から両国にあったんだね」
「ちょっとだけ位置は変わってるけどね、あの頃は線路の向こう側、大通り沿いね、回向院の境内にあったのよ」
「ふ~ん、その頃から両国のシンボルだったの?」
「ええ、そうね……そして……」
「そして?」
「東京大空襲で焼け残った数少ない建物だったのよ、国技館が焼け残ってなかったら自分の家がどの辺りにあったのかすらわからなかった……」
 十二歳まで……祖母は今八十四歳、逆算するとおそらくは終戦までと言うことなのだろう。
 和貴が知る限り、この祖母は『品川のお祖母ちゃん』だ、終戦から祖母がどういう道筋を辿って来たのかは良く知らない、知っているのはその生涯を通じ、看護婦として人の命を守り続けて来たということだけだ。
 和貴の記憶の中の祖母はいつでも背筋をしゃんと伸ばした凜としたたたずまい、さすがに今は少し背中も丸くなってしまったが、今でも足取りや言葉はしっかりとしている、そして今も昔も変わらないのはその穏やかさ。
 和貴はそんな祖母が大好きなのだが、考えてみれば若い頃の事は何も知らなかった、祖母が自分から語ると言うこともなかったが、和貴から訊いた事もなかったのだ。
 自分の家がどこにあったのかすら分からないような焼け跡……そんな状況から今日までこの祖母は生き抜いて来たのだ……。
 和貴はそのことに得も知れぬ重みを感じて黙り込んでしまったが、静枝は感慨深げに空からの景色を眺めている。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 ゆったりと流れる隅田川……あの夜、姉の静子に手を引かれて見た隅田川には焼け焦げた死体が無数に浮かんでいた。
 あの時、姉がいなければおそらく自分もその中の一体になっていただろう。
 万一生き残れたとしても、姉がいなければその後の混乱期を往き抜く事は出来なかったに違いない。
 そしてもう一人、静枝には『育ての姉』とでも言うべき人がいる、中山幸子……彼女が面倒を見てくれなければ自分の人生は随分と違ったものになっていただろう。
 今、こうして孫にも恵まれ、人生を振り返ることができるのは静子姉と幸子姉のおかげ……。
 
 東京の街並みを飽かずに眺める静枝の脳裏にはあの頃の、見渡す限りの焼け野原になった両国の光景が焼きついている、今ではすっかり様子は変わってしまったが、隅田川の変わらぬ流れと国技館を頼りに、過去と現在をなんとか重ね合わせることが出来る。
 あの焼け野原がここまでになるには、どれだけの努力が、忍耐が、そして情熱が注がれたのだろう……。
 人ひとりが出来る事には限りがある、ここまでの復興、そして隆盛はどれだけ多くの人の力が必要だったのだろうか、逆に言えば多くの人々が情熱を傾けたからこそ、今目の前に広がっている景色が生まれ得たのだ。
 静子姉と幸子姉が生きていたなら、この景色をどんな思いで眺めたのだろう……。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「お祖母ちゃん、昔の事を思い出しているの?」
「そうだね、七十二年前、見渡す限りの焼け野原だった東京が、ここまで発展するとは思いもしなかったからねぇ」
「平和だからこそだね」
「そう、平和だからこそだねぇ」
「二度と過ちは繰り返してはいけない、つくづくそう思うよ」
 和貴はごく当たり前の事を言ったつもりだった、しかし、静枝は少し強い調子の言葉を返して来た。
「和貴……過ちって、何を指して過ちと言っているの?」
「決まってるじゃないか、軍国主義に染まって戦争を起こしたことさ」
「あたしはそうは思ってないよ」
「え?」
「日本に過ちがあったとすれば、戦争に敗けたことよ、もうひとつ言うなら、敗戦が逃れられない状況に追い込まれていながら、白旗を揚げるタイミングを誤ったこともだけど」
「お祖母ちゃん……」
 普段穏やかな祖母が強い口調でそう語ったことに、和貴は少し気圧された。
 祖母を見やると、相変わらず眼下の景色を見ているが、先ほどまでの感慨にふけっているような様子とは違い、きっとした目つきに変わっている。
 
▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 和貴は大学で機械工学を学んだエンジニア、小さい頃から工作や機械いじりが好きで、歴史や政治にはあまり興味がない、近代史に関しても小・中学校で教えられたことやドラマなどから受ける印象を鵜呑みにして来た。
 しかし、祖母は子供の頃それを体験して来た人だ。
 白旗を揚げるタイミングを誤ったと言う事はともかく、開戦を否定はしなかった、『日本に過ちがあったとすれば、戦争に敗けたこと』と言うのは普段穏やかな祖母にはちょっと似つかわしくない言葉のようにも思える……。
 祖母は昭和八年生まれだから終戦時には十ニ歳、祖母の両親、和貴から見た曽祖父母は東京大空襲で亡くなり、姉である大伯母も終戦の三年後に亡くなっている。
 祖母はその頃の事を自分から語る事はなかったが、考えてみれば生きのびることすら難しかった筈、ならば戦争そのものを心底憎んでも不思議はないのに……。

「お祖母ちゃん、その頃の話、聞かせてもらえるかな、ちょっと遅くなっちゃったけど昼飯食いながらでもさ」
「もちろん話すと、あたしも歳だからね、まだ頭が何とか働いている内に聞いておいて欲しいと思っていたくらい」
「なんでも食べたいもの言ってよ、奮発しちゃうからさ」
「無理しなくてもいいのに」
「関西へ行っちゃったらしばらく会えないかも知れないしさ、これでも一応は社会人なんだぜ、デートだと思って美味しいもの食べようよ」
「そうかい? 和貴とデートなんて嬉しいねぇ……」