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星の流れに(第一部・東京大空襲)

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2.勇蔵としづ



 静枝と和貴はスカイツリーの足元にある商業施設の和食レストランに腰を落ち着けた。

「お祖母ちゃん、何でも食べたい物言って」
「そうねぇ……ああ、これこれ、深川めしが良いねぇ」
「それでいいの? もっと高いものでも良いんだよ」
「でもね、このメニューの写真見ると、アサリを煮込んだ汁をかけてあるみたいなの、最近は炊き込みご飯のものが多くてねぇ」
「へえ、二種類あるんだ、炊き込みしか知らなかったよ」
「元々は漁師さんのお料理だからぶっ掛けだったのよ、名物としてお弁当を売り出す時炊き込みにしたのが一般化したみたいね」
「そうなんだ……セットものとか付ける?」
「そんなに沢山は食べられないし……でも、せっかくだからデザートにあんみつをお願いしようかな」
「オーケー、深川めしにあんみつね……あ、すみません、注文お願いします」
 和貴が注文を済ませると、静枝はお茶をすすりながらいつものにこやかな表情。
「深川めしはね、父の好物だったのよ」
「へぇ……ひいお祖父ちゃんってどんな人だったの?」
「それはね……」

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 静枝の父、田中勇蔵。
 子供の頃は活発な子供、と言うよりガキ大将だった。
 ただ、近所の子供ははっきりと二派に分かれていた。
 一つは勇蔵が率いる一派、もう一つはもう一人のガキ大将、利助が率いる一派。
 利助は体が大きくて喧嘩には滅法強い、気分次第で乱暴を働くような身勝手な性格なので嫌う者も少なくなかったが、ほとんどの者はその力の前に従わざるを得なかった。
 勇蔵は体も力も利助には敵わないが、殴られても投げ飛ばされても食らいついて行き、勝てないまでも一矢報いるまでは決して引き下がらなかったので、利助も勇蔵には一目置いて煙たがっていた、それゆえに勇蔵は、人数では及ばないまでも追随する者を得られていたのだ。
 真っ向からぶつかれば利助の一派には敵わない事はわかっている、それ故に勇蔵の一派には気骨ある者が揃い、勇蔵はその大将とは言っても、彼らを従えようとはせず、仲間として扱った。

 そんな勇蔵を不幸が襲ったのは十二歳の時の事。
 まだ荷車を引く馬が珍しくなかった時代である、そして馬の尻尾の毛は釣り糸に丁度良い。
 勇蔵は馬の背後からそっと近付いて尻尾の毛を数本、手に絡ませた。
 引っこ抜けば馬は当然びっくりして暴れる、しかし真後ろに立ちさえしなければ問題ないはずだった、と言うより、そのスリルを楽しみたいと言う気持ちすらあったのだ。
 しかし、事態は思わぬ方向へ向かった。
 びっくりした馬は、繋がれていた杭にぶつかって急に向きを変えた、馬の後ろに繋がれた荷車が倒れ掛かってくる、だが、それに巻き込まれるようなノロマではない……はずだった。
 しかし、飛びのいた時運悪く馬糞を踏んでしまった勇蔵は足を滑らせて尻餅をつき、勇蔵は荷車の下敷きに、そして右足がスポークの間に……。
 騒ぎを聞きつけて駆けつけた馬子が馬の興奮を収めてくれるまで勇蔵は馬の力に翻弄され、助け出された時、勇蔵の右足は無残な姿を晒していた……。
 まだ成長期にあった子供のこと、骨折自体はなんとか元通りに治ったのだが、損傷してしまった神経は元には戻らない、それ以来勇蔵の右足は思うように動かせなくなってしまった。

 そうなると黙ってはいないのが利助、目の上のたんこぶを取り除こうとばかり勇蔵を殴り倒し、勇蔵を庇った仲間達もさんざんに叩きのめした。
 自分がやられるのは仕方がない、しかし仲間がやられているのに手も足も出せない悔しさは勇蔵の頭に深く刻み込まれた、そしてその時、思い知った。
 理不尽な力による支配には力で対抗する他はないのだと。
 それは勇蔵の性格を形作る上で大きな要因となった、そして不自由になってしまった右足は職業の選択肢を狭めた。

 家業はべっ甲細工師だったが、活発だった勇蔵は大工が鳶になりたいと願っていた、しかし不自由な足ではそれは無理な話、勇蔵は止む無く家業を継ぐ事になった。
 勇蔵の父は仕事よりも遊びが好きで調子の良い性格、腕はいまひとつでも問屋に対して上手く取り入るのは得意、父はそれが性に合っていたのだろうが、勇蔵は違う。
 その代わりに勇蔵は己の腕を磨くことに専念した、問屋におべんちゃらを言ったり酒席でもてなしたりするのではなく、べっ甲細工の出来でその価値を認めさせて仕事を繋ごうとしたのだ。
 仕事ではいっぱしの職人と認められるようになった頃、勇蔵が大きな負い目を感じる大事が起こった、日露戦争だ。
 日本に比べてロシアは大国、そのロシアとの戦いは勇蔵にとっては利助との戦いを思わせる、親の世代に日本が日清戦争で勝ち取った満州を横取りしようとする大国と一戦交える事は、勇蔵にとっては正義以外の何物でもなかった。
 そして、子供の頃からの仲間はほとんどが兵隊に行った、もちろん勇蔵を目の仇にしていた利助もその一人だった。
 しかし、不自由な右足のせいで勇蔵は彼らと共に戦場に出向くことが出来ない。
『義を見てせざるは勇無きなり』、戦えない理由がある勇蔵にその言葉は当てはまらないが、一本気な本人にとって見れば同じことだった。
 そして、彼らが戦場へ赴いたと聞けば、勇蔵は申し訳ない気持ちで一杯になる。
 そんな折、利助が戦死した。
 その報せを聞いた勇蔵は己の無力を身に沁みて感じ、自虐的に自分を『方輪モン』と呼んだ。
 そして動かない右足を呪い、自暴自棄に陥った。
 
 そんな勇蔵を救ったのは、後に妻となる娘、しづだった。
 しづもまた下町生まれの下町育ち、勇蔵より一回り年下になる。
 しづが育ったのは女性の社会進出が始まった時代とは言え、まだまだ「嫁入り前の娘が……」と眉をひそめられる時代にあって、カフェの女給として働いていた。
 しづが女給となったのはカフェが大衆化し始めた頃の事、元々は文人墨客や上流社会の社交場だったカフェだが、数が増えて大衆化するに連れて庶民も楽しめるような場所になりつつあった、普段は居酒屋で楽しむとしても、少し改まった機会があれば庶民もカフェへと足を運ぶようになった、そんな頃である。
 カフェの女給とは単なるウエイトレスではない、食事や酒を給仕するのがその役目ではあるが、店から固定給を貰うわけではない、酔客の相手をしてもらうチップが女給の収入なのだ。
 当然、女給の中には客に媚を売って取り入る者も少なくはなかったし、中には色を売ってチップを得ようとするものもいた、しかし、そんな中にあってしづは少し違っていた。
 下町育ちの娘らしい、気風の良いさっぱりとした受け答え、きびきびとした身のこなし、内面からにじみ出る愛嬌、客の少々下品な冗談を上手く受けて笑いに変える機転、そんなところが下町の男たちに愛された、カフェに通う男たちは、しづに軽口を叩いては鮮やかに切り返されるのを楽しみ、気分良く酔ってしづにチップを弾んでくれたのだ。
 勇蔵としづが出会ったのはカフェ、商工会の寄り合いで一杯やった後、仲間に誘われて繰り込んだのだ。