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短編集8(過去作品)

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 男兄弟ばっかりで育った私にとって憧れだった“おねえさん”が目の前に現れたような気がした。白いワンピースに白い帽子、とにかく白ずくめの女性である。
 思わず周りを見てみた。さっきまでいたはずの親兄弟はどこかに行っていて、そこには私一人しかいなかった。なぜか私一人だけだという意識は持っていたようで、思わず周りを見たのも、確認の意味だったのだ。
 座り込んでいる私から見上げると、ちょうど太陽の影になっておねえさんの顔をすぐには確認することができなかった。ただスラリと肩まで伸びた髪の毛が風に靡いているのを見ると爽やかな感じを受けた。
 太陽を避けるように見上げている私は、歯を食いしばりながら頬の筋肉を硬直させて、さぞかしおかしな顔をしていたことだろう。
 目が慣れてくるとおねえさんの顔の輪郭が分かるようになってきた。想像通りの細身の顔で、顎のラインが子供心にもドキドキさせられたことを覚えている。さらに小さめの顔は、風に靡く髪の毛を長く感じさせるに十分だった。
 逆光であり、顔を確認できない状態であったが、おねえさんがこちらに微笑みかけているのはよく分かった。全体が影に覆われたように見える顔ではあったが、顔に浮かんだ表情の窪みをおぼろげながら感じ取ることができ、じっと私に送る視線とともに浮かぶその表情には、笑みが浮かんでいたのだ。
 私は、何とかおねえさんに、聞かれたことの返事を返そうと、いろいろ言葉を並べてみた。しかし、はっきり確認できない表情ではあったが、まったく変わることなく私に微笑みかけてくれていると思っただけで、まるで金縛りのようになってしまった。返す言葉が浮かんでは消え、結局そのまま見上げているだけだった。
「潮を含んだ砂って重いのかしら?」
 おねえさんの言葉の意味が私には分からなかった。
――子供だから、分からないのかな――
 とも考えたが、今の私には大人になってもおねえさんの質問の意味が分かるとは思えなかった。
 それからどれくらいの時間が経ったのか分からない。
 というよりも、それからの記憶が今の私にはないのだ。おねえさんが私の前から去っていったのか、それとも私がどこかへ歩いていったのか……。
 しかし分かっていることは砂浜で見たおねえさんのことを、事あるごとに私が思い出していたということである。
 それは海に行った時だけとは限らない。砂に関係あることとも限らない。どちらかというと太陽の光が気になった時と言った方が適切かも知れない。
 それは私だけに限ったことではないだろう。事あるごとに自分の記憶の引き出しが、ふとしたきっかけで開かれて、しばし過去の記憶にいそしむことがある。しかし得てしてそれがいつのどんなシチュエーションだったか覚えていないことも、しばしばあるのかも知れない。
 その時に見たおねえさんの顔ははっきりとはしなかった。
 もちろん、逆光だったからでもあるが、見ていたかも知れないが、記憶から顔が飛んでいるのでは? と思うようになったのも事実で、それが疑問として後から湧いてきたものだった。
 時々、道を歩いている時など、すれ違う女性を振り返ってみたくなる。さらりと髪の毛が風に靡くのを見た時など、まず間違いなく振り向いている。中学時代付き合っていた女の子は、あまり頻繁に振り返る私を見て、てっきり私が年上好みだと勘違いし、嫉妬の炎を燃やしたことが何度あったことか。
 だが、それもすべて一瞬振り返るだけで終わってしまうことで、即座に振り返ってしまったことを後悔させられる。頭の幻の中のおねえさんが、そう簡単に現れるわけがないと思いながらも、心のどこかで追い続けている自分を微笑ましく思うことすらあった。
 おねえさんの言った言葉、
「潮を含んだ砂って重いのかしら?」
 今もなお、頭の奥に残っていて、思い出すたびに風に靡く黒髪が私の頬をなでるように心地よい香りに誘われる気がしてくる。
 言葉の意味が分からないのは、ずっと続いていて、今も分かっているかどうか、はっきり言って自信がないからである。しかし、もし言葉の意味が分かった時があったとすれば、前に一度この駅に降り立った時だったような気がする。
 あの時、あれは今から二年前、今とほとんど時期的にも変わらない時のことだった。

 会社に入社してちょうど五年が経ち、そろそろ会社にも仕事にも慣れてきた頃だったであろうか。
入社当初から一年くらいは実地研修の名目で、いろいろな部署を短い期間で転属させられた。倉庫業務、内販業務、営業業務と一通りこなし、本部へと転属、営業企画という部署で会社の経費の問題から、経営のノウハウまでを一手に企画する部署で、いわばパイプ役、監視役として各部署とたえず連絡を頻繁にしなければならない部署でもあった。
最初こそ会社の重要な経営部分は教えられてなかったが、最近は私にもそういう重要なところもオープンにしてくれるようになり、光栄である反面、今さらながら大変な部署だということを痛感させられ、プレッシャーがストレスになることもあった。
取締役と締め切った部屋での密談など、日常茶飯事だったからである。
こういう部署というのは意外と部署内での交流は少ない。皆それぞれ会社の心臓部を任されていたりで、同じ部署内でもシークレットな部分が存在し、それぞれ各個人が会社のアドバイザーだったりするのだ。
他の会社はどうなんだろう?
時々そう考えてみるが、ここまで大変な部署だったとは、正直分からなかった。
 そんな私が会社に慣れるまでに五年、長いのか短いのか、それもよく分からない。
 ある日上司に連れて行ってもらった喫茶店があった。そこは馴染みがあって行った喫茶店ではなく、営業見習いの合間に偶然見つけたところである。
 季節は夏、燦々と降り注ぐ太陽の容赦ない日差しに、タオルハンカチが何枚あっても足らないような状況だった。
 そんな時見かけたのが店の前に掛けられたアイスコーヒーのイラスト、その時喉が鳴ったのに気付いた。ヒリヒリと喉の奥が焼けてくるのを感じていたのは上司も同じだったらしく、
「橋本くん、ちょっと寄って行かないか?」
「あ、はい」
 渡りに船とは、まさにこのことである。その時の状況はお互い同じ気持ちでいて、上司から声を掛けてくれるのを待っている部下に、見事な鶴の一声である。
 店の雰囲気はまさしくコーヒー専門店を思わせ、赤レンガ造りに木目調の扉と、いかにもレトロな感じを漂わせ、暑くなった体を癒してくれる気がしていたのである。
 カランカランと鈍い音を立てながら開いた木目調の扉の向こうから、待ちわびていた涼しさが頬を撫でる。
――生き返った――
 思わず叫びたくなるような気持ちを抑え、ふうっと大きく溜息をついたが、どうやら課長も同じだったらしく、偶然にも同じタイミングの溜息に苦笑してしまった。
 店の中から流れてくるクラシックの幻想的なメロディは、入ってくる人に安らぎを与えてくれる。テーブルやカウンターが木目調になっているのも暑いところから来たものにとって癒しになることに間違いない。
作品名:短編集8(過去作品) 作家名:森本晃次