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短編集8(過去作品)

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重い砂



                重い砂

 滑り込むようにホームに入ってきた列車の中には、ほとんど人は乗っていない。
 ホームは舗装もされていない田舎駅で、駅舎は無人となっているが、単線で離合する列車の待ち合わせのためか、どうやらこの駅で少し停車するようである。
 その駅で降りることにしていた私は、荷物を抱えてホームへと降り立った。
 車掌ものんきなもので、切符の確認にやってくることもない。私が一人降りることが分かっていたはずもなく、駅に下りて柔軟体操を始めた。相当に身体が鈍っているのか、背筋を伸ばすたびに身体の軋む音が聞こえてきそうである。
「あ、どうもありがとうございました」
 旅行カバンを持っている私が、無人となっている改札へと向かうのを見て、帽子をとりながら挨拶してくれた。
 私も後ろを振り向きながら挨拶を交わしたが、ニコリと微笑むだけで、すぐにまた柔軟体操を始めている。
 ポカポカ陽気の昼下がり、風が強いのか、舗装されていないホームから砂埃が上がっている。ホームに設けられている、壊れかけた鉄柵に絡みついている荒れ放題伸び放題になっている草を揺らしていた。
 電車から聞こえるモーター音だけが、やたら響いている。まわりに音を立てるものなどまったくなく、鼓膜を揺らすピューピューという風の音が気になるくらいであろうか。
 穿いている革靴の音すら、舗装もしていないところなので響くこともない。少し頭を上げると、そこには雲ひとつない綺麗な空の中に、まともに見ることもできず、測り知ることなどできないような大きく丸い太陽が、これでもかと私を照らしていることだろう。
 少し歩いただけでも汗が滲んできそうだ。風がなければ、まるで身体が溶けてしまうであろうというほどの直射日光は、逃げるところの少ない田舎駅を容赦なく照らし続けている。
 どこからともなくセミの鳴く声が聞こえてくる。最初、ホームに降り立った時には感じなかったのだが、日差しの強さを感じるにしたがって聞こえてくるようになったセミの声が次第に耳の奥で大きくなっていく。
 だんだんと暑さを感じてくるようになり、太陽のまぶしさが身に沁みてくるようになると、自然と手の平を額に持っていくことによって、庇を作ろうとしてしまう。見る意志があってのことか、庇を作りながら次第に視線の角度が上がっていくのは、日差しのきつさを感じようとしているからに他ならない。
 思わず屋根の上に視線を移したくなる。そこには前日雨でも降ったのか、水が溜まっているのが確認でき、そこから立ち上る水蒸気に陽炎を見てしまったのかも知れない。
 何とのどかな光景なのだろう。
 都会の喧騒とした雰囲気の中で暮らしていると、ふいにこんな街で暮らしてみたい衝動に駆られることがある。私がこの駅に降り立つのは実は今日が初めてではない。
 あれはいつのことであったろうか、そういえば季節的にはほとんど違いがないかも知れない。あの時も今日と同じように、静けさに迎えられた気がした。
 あの時との違いは二つある。
 一つは、確かに同じように静けさに迎えられたと感じていたのだが、今日の方が改めて感じるせいか余計に静けさを感じ、寂しさを伴っていることであろうか。まるで音が吹いてくる風と照りつける太陽に吸収されてしまっているような錯覚さえ感じるのである。
――気圧が低いのであろうか――
 などと、とりとめのない妄想すら浮かんでくる。
もう一つはその時私が一人ではなかったということである。
 しかし、なぜか今回の目的が頭の中でぼやけている。何か目的はあるのだが……。
女性が一緒だったのだが、当時私はその女性と付き合っていた。今日と同じような静けさではあったが、私一人で味わう空間と違い、もう一人いることで空気が濃かったことを覚えている。
小学生の頃、砂浜に行って、巻貝があればそれを耳に当てて、風の通り抜ける音を聞いたものだが、自然と瞼が近づいていき、頭の中で“海の音”を感じたことを思い出していた。
 今の私もあたりをゆっくりと見渡し、それが以前来た時とまったく変わりなく迎えてくれたことに感動しながら、ゆっくりと目を閉じる。
 潮の香りが生暖かい風に乗ってやってくるのを感じることができる。それは以前来た時の記憶を呼び起こすに十分で、小学生に戻ってしまう自分を、果たして抑えることができるか一抹の不安さえあった。
――小学校の頃行った砂浜ってどこだったんだろう――
 どちらかというと方向音痴で、今でも知らない街を一人で歩くのは苦手な方である。そんな私が親の運転する車で連れて行ってもらった海がどこだったかなど、覚えているはずもない。
 しかし、それだけに一度視界に収めた風景はずっと目に焼きついている。少しでも違えばすぐに分かるのではないかと思えるほど、はっきりと瞼の奥に焼きついているといっても過言ではない。それだけに駅に降り立って最初に見た風景が、瞼の奥の風景とまったく変わっていなかったことは、私にとって至高の喜びとなった。
――至高の喜び? 本当にそうなのだろうか――
 そう問いかける自分がいる。
 ここが、私にとって楽しい思い出の場所ではないことを、私が一番よく知っているからだ。
 小学生の頃の私は砂浜で遊ぶことといえば、砂の粒を選り分けることだったろうか。幼稚園の頃よく遊んだ砂場、そこでいつもザルで濾して遊んでいたのを覚えている。
小学生の時は、手の平いっぱいに握った砂を座り込んだその場で、目線より少し上げたところから少しずつ落とす。まるで砂時計のように落ちていく砂を、もう一方の手の平が受け止める。さぞかし周りから見れば暗い遊びだったに違いない。
幼稚園の頃の私は、砂場が好きだった。ブランコ、滑り台と遊戯はいっぱいあるのに砂場が好きだったのである。ブランコや滑り台というのは他の人と共有するためには並んだり、順番待ちをしなければならないのに対し、行けばその場で遊べるというところが気に入っていたのだ。その時はそのことに対してそれほど意識していた記憶がないが、今思えば、はっきりと理由を思い出すことができる。
あまり友達と協調性のある子供ではなかったことが、今の自分の性格を物語っているような気がして、公園などにある砂場で遊んでいる子供を見るたび、その頃のことを思い出したりすることもあるくらいである。
砂浜で遊び始めた私は周りが見えなくなっていた。声や音は聞こえているのだが、まるで他の世界の出来事のように、右から左へ流れていくのを感じていた。意識していたかなど分からないが、感じていることには違いなかったのだ。
砂場で遊んでいる時の私もそうだった。気がつけば、友達のおもちゃを勝手に使っていて、親から注意されて始めて気がつくようなところがあった。自分の世界に入り込んでいるという感じでもないのだが、しいて言えば考える前に行動し、行動してしまったことについてあれこれ考えなかったような気がする。
「坊や、何作ってるの?」
 唐突に話しかけられ、びっくりして見上げる私の目の前に立っているのは一人の女性だった。
――おねえさん――
作品名:短編集8(過去作品) 作家名:森本晃次