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短編集7(過去作品)

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 私の頭には “アラブのヘビつかい”のイメージが浮かんだ。頭に巻かれたターバンがいかにもアラブ人を思わせ、ペルシャ絨毯に胡坐をかいた男が目を瞑ってタテ笛を吹いている。楔形文字が打ち込まれたような少しカラフルな模様のついた目の前にあるツボから、笛の幻想的な音楽に誘われるように上がってくるヘビ、顔が小さいため視線がその動きに行きがちだが、真っ赤な舌がにょろにょろと出したり引っ込めたりと、それがとても不気味である。
――なぜ、よりによってヘビつかいなのだろう――
 そう思わないでもなかった。
 しかし、風もないのに不規則な動きをする煙、まるで催眠術に掛かってしまうのでは、と思ってしまうほどに視線が集中しているのに気付く。もっとも、気付いている間は催眠術に掛かることなどありえないのだが……。
 店内に流れるクラシック音楽は静かな楽章へと入り、街のあちこちで聞くことのできるポピュラーな曲が奏でられている。さっきまでの壮大なイメージから急に静かに変わると、気持ちは逆におおらかになるのか、壮大な空のイメージが浮かぶ。もちろん、雲ひとつなく、どこまで行っても天をも貫き通すような真っ青な空は、距離感など二の次と言わんばかりに、頭の上を覆っているのだ。
 しばし、立ち上る湯気を眺めていて、入ってくる音が耳鳴りに変ったと思った頃、耳の奥に響く地割れのような音を感じた。
 一瞬我に返った私は、すでに目の前に置かれていたコーヒーに気付くことなく一点に集中していたようで、陽子さんに見つめられているのに一切気がつかなかった。
 見つめられてびっくりしたという思いと、気にしていたはずの視線の先が、いつの間に彼女本人に向けられていたかという疑問とが頭の中に交錯する。
「ひくしゅん!」
 思わず出てしまったクシャミのせいか、ムズムズする鼻を擦ってみた。
 鼻のとおりが瞬間よくなり、感じた香りは何ともいえないものだった。
――これは菊の香りだ――
 瞬間にして思ったことだったのだろうか?
 先ほど感じた“ヘビ使い”や“おおらかな空”のイメージは一瞬だった気がする。しかしその間にコーヒーはできていて、自分の視線がいつの間にか彼女に向けられていたことに気がつかなかったことなどから考えると、思いつかないまでも、“菊”に対してさまざまな思い出が私の中にあるような気がして仕方がない。
 何よりもクシャミによって真っ赤になった顔が、なかなか直らないことも気になっていた。元々シックな照明に、スポットライトが雰囲気を出している店内で、真っ赤な顔がさぞかしはっきり映っているだろうという気がしている。毛穴まではっきり見えそうなのは、カッと熱くなった頬にまったく汗を掻いていないからではなかろうか。
 あれは小学校の頃のことであった。花壇や動物の世話といったものを、ある学年になると当番を決めて生徒がやっていた。私は花壇の世話の当番に当たっていたのだが、菊の香りというとその時のイメージが頭から離れない。
 花壇の世話は友達と三人で組みになってやっていたのだが、私一人が空の様子を気にしていた。
「純也、どうしたんだい。空ばかり見て」
「あ、いや、雨が来そうな気がして」
「おいおい、これのどこに雨が?」
 そう言って取り合ってくれないが、私には昔から妙に雨の降るタイミングが分かるのだった。
 雨や潮風に敏感というか、潮風に当たるといつも次の日熱を出しては、
「身体が弱いなあ」
 と友達からも言われていた。しかし、肌に合わないというのはこのことで、潮風を感じただけで、顔から上がいつも熱を持ったようになっていた。気分の持ちようだといつも言われるが、その持ちようから来るのだから仕方がない。
クシャミが止まらなくなり、いわゆる“海の匂い”が鼻から離れなくなるのだ。インプットされていた嫌な思い出を、肌に纏わりつくベトベトが、嫌でも思い出させてくれるのだ。
「おいおい、本当にやばいんじゃないか」
 私があまりにも空を気にしていたのでさすがに無視できなくなったか、友達が見上げたその頃には、もうすでに鼠色の雲が空一面に立ち込めていた。太陽の光に反射する部分がくっきりと区別され、雲が厚くなった真っ黒い部分と、もろに太陽の光を受けて限りなく白に近いほどに光っている部分とがまだらになっている。
 ザアー
 ついに雨が降り始め、校舎の軒下にとりあえず隠れた。
「実は俺も分かるんだよ。雨が降り始める前は。だから気になって空を見ていただろ」
「どういうふうに?」
「何かコンクリートか石のような匂いが鼻をつくんだよね。感覚的なものなんだけど」
 それは私にもあった。しかしそれよりも私には肌で感じるものの方に信憑性がある。
 いつも感じた時はすぐにでも雨宿りするからよかったのだが、その日のように皆と共同作業中に他の人にとって信憑性のないことで自分だけ勝手に離れることができない状況は初めてだった。
 しかも友達もそれを感じていて離れないんだから、それこそ離れなくて正解だったと後で感じた。これでも人に気を遣うことの多い性格なのだ。
 しかし後が悪かった。その時の無理が祟ったのか、翌日には風邪をこじらし寝込んでしまった。激しい頭痛の中で、ずっと離れなかった思い出として菊の香りが無意識に定着して行ったのだ。
――菊の香り……、それは激しい頭痛と火の出るような熱さ、火照り――
 なのである。
「体調が悪いんですか?」
 陽子さんにそう聞かれ、
「いや、そんなことはないんですが、妙に顔から上が火照ってしまって……。あ、でも大丈夫ですよ。いつものことですから」
――いつものこと――
 自分で言った言葉を反芻してみた。顔が火照るような経験は今が初めてではない。原因が風邪だけでなく、菊の香りにもあるがゆえ、そう感じたのかも知れない。
 私はもう一度店内を見渡した。
「あれは?」
 私の視線の先に陽子さんも合わせてくれた。それはさっき彼女が怯えたようにチラチラと向けていた視線の先でもあった。
「気が付きました? 不思議でしょう」
 黄色く咲いているそれはまさしく菊の花であった。
「あの菊は、店長が外国から見つけてきたらしく、ああやって飾っているんですけど、さすがにあまり気が付く人はいないみたいなんです」
 春のこの時期に菊が咲くなど珍しいことだ。外国ということなので、ひょっとすると菊に似ているというだけで、実際はまったく違う科目かも知れない。その時の私は菊にすべての神経を集中させ、そう思っていた。いや頭の中にそう思い込ませようとしていたに違いない。
「世界は広いですからね」
 その時の考えそのままに出た言葉だった。
「ええ、私も最初、信じられませんでしたけど。でもよくあの花に気が付きましたね」
 あれだけあなたの視線を見ていれば……と、答えたくなったのも山々だったが、先ほどと打って変わった溢れんばかりの笑顔の前では、そんな言葉も出てこない。
「他の人はあまり気が付かないんですか?」
「ええ、意外と皆さん気が付かないみたいですよ。実際近くの席の人からは、誰も聞いてくる人がいませんから」
「『灯台もと暗し』って言いますからね。目の前にあっても気が付かないのかも知れませんね」
「ええ、そうですわね」
作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次