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短編集4(過去作品)

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鍵が合わない



               鍵が合わない


「あれ?」
いつものように鍵穴にキーを差し込んで回せば、そのまま扉が開くはずであった。
家路を急ぎ、後は部屋への扉を一刻も早く開くだけだったのだが、最後に来て脆くも希望は絶望へと変った。マンションの通路を吹き抜ける風が一層冷たさを増し、私に追い討ちを掛ける。
「酔っ払ってるからかな?」
 確かに今日は馴染みの飲み屋で久しぶりに呑み過ぎたのも事実だ。最近アルコールにはご無沙汰で、元々呑める方ではない私が呑み過ぎたのは、忘れてしまいたいことがあるからに他ならない。
 呑み会に誘われなかったわけではない。強い方ではなくとも呑み会自体は好きで、雰囲気を楽しむタイプの私は、自分から同僚や後輩に声を掛けることすらあった。
「鶴岡さん、最近誘ってくれませんね」
 そう言って、遠回しに呑みに誘ってくれる人もいたのだが、私の方が精神的に皆と呑める状態ではなかったのだ。
一人寂しく炉端焼き……。そんな毎日が続いたが、最近ではそれもなくなった。めっきりアルコールとご無沙汰の毎日を過ごしていたのだ。
「アルコールを使っての現実逃避にも限界がある」
 そう悟った時は、アルコールを見るのが、ほとほと嫌になっていた。浴びるほど呑んだわけではないが、何度となく前後不覚に陥ったこともあり、内臓を壊しかけてもいた。
「くそっ、口内炎が痛い」
 元々口内炎には悩まされていた方であったが、特に最近はひどく、アルコールで内臓を悪くしたのでは? と思ったほどである。
 今日も一ヶ月ぶりに馴染みの居酒屋で一杯引っ掛けてきた帰りである。
 会社からの帰り道にありながら中々敷居が高かったのはなぜだろう? 開店当時、少し派手めのネオンが目立った店であったことが一番の理由だと思う。学生が多いようなら辛いものがある。普段であれば話をあわせることもできるのだが、一人で呑みたい時に学生のノリで話しかけられるのは苦痛以外の何ものでもないからだ。
 しかし最近は派手さも消え、落ち着いた雰囲気に見えてきた。ある日、急に入ってみたくなったのだが、入って正解だった。ちょうど店内には誰もおらず、てっきり店主はマスターだと思っていたのだが、実は女将だったことも私を安心させた。
 母親というには若いがどこか頼りがいのあるタイプで、割烹着がやたら似合っている。あまり広いとはいえない店内いっぱいに湯気を立てながら漂っている煮込みの香りが食欲をそそる。
 清酒を呑みながらの煮込みは想像以上においしかった。ついつい酒の量も増えていくのだが、不思議と酔っ払った感覚にならない。しかし何よりもうれしかったのは、私が一人になりたいと思った時に、不思議と他に客が来ないことであった。かといって普段は夜九時を過ぎる頃には、ところ狭しとカウンターがいっぱいになる店である。
 客層はそうだなあ、学生から初老の方までと幅広く、会話もまちまちなことも多いが、常連が多いということもあり、常連同士の暗黙の了解でできあがったマナーがしっかり守られている。ひとえに女将の人徳ではないかと私は感じているが、口に出さないまでも常連皆感じていることだろう。
 常連と呼ばれるようになってかなり経つが、意外と店以外での付き合いのある人というのはいない。私に限ったことではなく、皆店を離れると他人なのだ。それだけ店の中での雰囲気を大切にしようとそれぞれに考えていることであって、私にとっても願ったり叶ったりである。
“楽しい酔い”
 それがこの店の最大の魅力だった。
 もちろん今までに前後不覚になるまで酔っ払ったこともある。しかしさりとて感覚や理性はしっかりしていて、翌日記憶がなかったり、公園で寝ていたなどといったいわゆる“泥酔者の勲章”のようなものは一切ない。
 したがって酔いを理由に鍵が合わないことの理屈をつけるのはあまりに早急すぎる気もする。
 いくらやっても鍵穴に鍵が通らないのだ。
「ええい、くそっ」
 半ばやけくそ気味に鍵を入れようとしても入るわけがなく、あせりと疲れだけで悪戯に時間だけが過ぎていく。さっきまでの心地よい酔いは吹っ飛んでしまい、ただ無駄な努力を繰り返すだけだった。
 酔いが醒めているはずなのに、しっかりと感じることのできる心臓の鼓動は、あせりがピークに近づいていることを教えてくれる。いくらやっても同じことだということは頭の中でわかっているにもかかわらず続ける努力は、自分が人間ではなくなったかのような錯覚を与える。
 どれくらいの時間が経ったのだろう? 気が付けば無駄な努力をする気力もなくなり、扉にもたれかかっていた。その日は満月で、透き通るような黄色と、手を出せば取れそうなほど近くに見える月が印象的だった。
 満月がこれほどきれいなものだと感じたのはいつ以来であろう。まるで黄色い綿菓子が浮かんでいるかのごとく立体感あふれる雲を目の当たりにしていると、月を近くに感じてくるのである。
 高校まで田舎暮らしだった私が故郷を思い出したのは無理のないことであった。周囲を山で囲まれた閉鎖的な村で見るのと同じ月を見ているなど、まったくもって不思議なことである。
 山で見え隠れする月がある無しで、周りの景色が一変してしまう田舎に比べれば、幾分かのネオンがある分、月を気にしなくなっていた。考えてみれば寂しいかぎりなのだが、今見ているのと同じ月を、田舎で昨日見たように思うのは、あっという間に都会での生活が過ぎ去っていったことを物語っているかのようだった。
「本当に酔っ払っているのだろうか?」
 意識は田舎の生活に戻っていた。周りに何もなく寒風吹き荒ぶ田舎よりも都会の方が寒いと感じたのは昨日今日のことではない。人口は少なかったが、少ないだけに人情に溢れていた田舎の生活を時々思い出すことがあるくらいだ。
「故郷は、遠くにありて想うもの」
とはよく言ったもので、あこがれの都会の生活に疲れを感じてきた証拠かも知れない。
 一にも二にも都会への憧れは、そのまま一人暮らしへの憧れであった。とにかく親元から離れ独立したい。それが一番で、都会の会社に就職できた時に手放しで喜んだのもそのためだった。
 一人暮らしはそれなりに充実していた。炊事、洗濯、料理に違和感はなく、自立は願ってもないことだったのだが、そのまま自分が都会の生活に順応しているという錯覚に陥ってしまったことは失敗だった。我ながら情けなかったが、もっと情けないのは、そのことに中々自分で気付かなかったことである。
 田舎から出てきて早三年、想像していたこととの開きは否めないが、たえず成長していこうという気構えだけは持ち続けてきたので、それなりに充実していたかも知れない。
 そんな私に恋人ができたのは、田舎から出てきてちょうど一年が過ぎようとしていた頃だった。
 都会の生活にも慣れた頃で、ちょうど時期もよかった。最初の一年間というのは、それこそ生活に慣れるのと、会社の仕事とでそれどころではなかったのだが、却ってタイプの女性を逃していたかとも思えて歯がゆい気持ちであった。しかしそれでも彼女と出会うことができたのは運命だったのかも知れない。
 元々の出会いがそうだった。
作品名:短編集4(過去作品) 作家名:森本晃次