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短編集1(過去作品)

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西日の逆説



               西日の逆説



 その日は朝から靄がかかっていた。
 昨日降った雨は、夜間轟音とともに当たりの姿を一変させてしまっていた。せっかく咲いた桜もこの日の雨にはひとたまりもなく、桜吹雪はおろか、雨に叩き付けられ、まだ乾ききっていないアスファルトの上に無残な姿をさらしている。
 雨が降ったのは時間にして三時間ほどのものであったが、そのうちの一時間は、それは激しいもので、いかにも嵐が過ぎ去った後の様相を呈していた。まだ雨だれが屋根から落ちてくる光景も見かけるが、嵐の後には急速に良くなった天気とともに昇り始めた朝日に照らされ、水蒸気がもやって見える。
 朝五時半、日が高くなって来た今日このごろでは、時間的に交通量の少ない大通りを通る大型トラックが、かすかにスモールライトを付けて走っているくらいである。しかしさすがに今日はヘッドライトやフォグランプを付けていないと危なく、靄のかかった状態では照明の線がくっきりときれいな台形を描いていた。
 まだひっそりと寝静まった都会の中でもさすが老人は目が覚めるのも早く、いつもキッカリ同じ時間に目が覚めるもののようだ。日課の散歩に出掛けようと表に出ると、靄の凄さにびっくりしたが、その靄の影響がいつも聞こえてくる犬の遠吠えが今回はさらに大きく耳についた。
 夜、雨が降っていたことは知っていたのでそのせいかとも思ったが、それにしても激しい靄である。いつもの散歩コースは車の通るところから離れているので、とりあえず危険もない。いつものように戸締まりをすると老人はゆっくりと歩き始めた。
 定年退職から十年、いろいろなことがあった。息子二人は結婚後家を出て、最愛の妻も三年前に他界していた。今や一人暮らしとなって日課といえば毎日の仏壇での妻との会話と、ずっと続けてきた朝の散歩くらいである。時々息子夫婦が連れてくる孫との一日が今一番の刺激ではあるが、帰った後の寂しさを和らげてくれるのはこの朝の散歩かも知れない。
 妻が生きている時はいろいろ植えていた草花も当時はきれいであったが、妻が死んでからというもの荒れ放題となってしまった。家の前に作られた板塀の白さが目立っていたところに伸び放題の蔦が絡みつき、今や幽霊屋敷のようになってしまっている。
 そんな老人を近所の人は気持ち悪がっているが、それを本人がどこまで知っているか定かではない。
 その日も目覚まし時計に関係なく定刻に目を覚ますと、出掛ける時間もいつも通りの五時半だった。
 家の近くを流れる川は一級河川で、河川敷は野球場がいくつも出来るほどの大きな敷地である。早朝野球もまだ始まっていないため、ガランとした河原を老人が一人で占有できる。
 河原には野球場の近くにいくつかの小屋が作られていて、半分更衣室代わりに使われていた
 しかし最近は皆車で来ることが多く、ユニフォームに着替えることがない。ほとんどの小屋が使われることがないため、近くの草が生えそろっても誰も刈ろうとしないこともあってか、朝はそこに野良犬が入り込み、住居にしているようだった。
 いつもの散歩コースにそこも含まれていた。河原の土手を一通り歩いた後いつも小屋に近づき野良犬たちにエサをやっている。最初の頃はそんな小屋など気にもしなかったが、いつしか自分と犬をダブらせて見るようになり、エサをやったのが日課となってしまった。無気力な人生ではあるが、野良犬に対してだけそうしても無視できないのは自分の今の寂しさを十分分かっているせいだということは熟知している。
 エサをやりながら多分自分がやさしい顔になっていることは老人自身が一番良く分かっているだろう。しかしそのことを感じながら客観的になればなるほど、今の自分の寂しさが浮き彫りにされるようで、やり切れない気持ちになるのも事実である。
 しかしやめようと思ってみても朝の目覚めが犬の遠吠えと時を同じくして始まることで、結局やめられなくなってしまうのだ。
(おやっ?)
 老人がいつになく犬の声が少し異常なことに気付いたのは、土手沿いの道から小屋への細い道に差し掛かった時である。いつもであれば行動をともにすることのない野良犬たちがその小屋の近くで数匹が集まり、何かに向かって吠えているように聞こえたからだ。
 靄がかかっていてはっきりとは見えないが、やはり数匹が必死になって吠えている。その様子は他人ではよく分からないだろうが、別に喧嘩をしているのでないことは老人にはよく分かった。
 しかし事態がよく分からず近づいて行ったが、近づくにつれ少しずつその様子が尋常ではないことが分かってきて、嫌な予感がしてきた。
 犬たちが何かを取り囲むようにして吠えている。靄がかかる中老人が近づくと、匂いでそれが何なのか分かるのだろう、少しずつ落ち着いてきて、一匹ずつその輪から離れていく。
 そこに横たわっているのは茶色っぽい物体であった。最初それは木か何かかと思ったが、近づくにつれ晴れてきた靄のおかげでどうやら布製の物であるという見当がついてきた。やがて左側に黒いものが見えてきたかと思うと、老人はそれがいよいよ自分が想像していたものであると分かった。犬が驚いて避けるのも構わずに走って近寄ると、その場に立ち尽くし凍りついたようにしばらく見下ろすだけしかなかった……。
 朝も七時を過ぎると靄もすっかり切れてきて、今日の晴天を約束するかのように雲一つない空から朝日が容赦なく降り注いでいる。
 普通であればほとんど人通りもなく閑散としたグラウンドの横は、今や人と車が所狭しと犇いていて喧騒とした雰囲気に包まれていた。朝集まっていた犬たちはすっかりどこかへ行ってしまい完全に主役の座から下ろされていた。
 朝の静けさを吹き飛ばすように、サイレンとともにグラウンドに乗り入れて来たパトカーからただならぬ雰囲気の男たちが飛び出してくる様子を見た老人は、今まで一人でいた心細さから開放されたと同時に、時間との戦いを強いられている警察の人間の登場に、厭がうえにも緊張感で一杯になった。
 発見された物体は言わずと知れた人間の死体だった。もちろん初めて見る他殺死体にビックリした老人が急いで通報したのだ。
 老人は発見当時のことをくどくど聞かれたが、死体発見までに不審なことがなかったことから事情聴取は終始事務的に行われた。いわば第一発見ということであれば、老人ではなく、野良犬たちが主役なのだ。
 発見された死体は男で、年齢は二十代後半くらいだろうと推測された。身元を証明するものは何も持っておらず、遺留品もほとんど何もなかった。
 ここで二つのことが考えられるのだが、金品強奪が目的の強盗殺人という可能性、財布がなくなっていることからの推測である。またもう一つは、殺害現場はここではないという考え方である。衣服が濡れていたことから殺害後、川に流されて流れ着いたところがたまたま現場だったに過ぎないということである。断定するには材料が不足していて、まずは殺害現場の特定が急がれる。
 死因は刺殺。胸に鋭利な刃物で抉られた痕があり、凶器はあたりから発見されなかったが、多分ナイフであろう。
作品名:短編集1(過去作品) 作家名:森本晃次