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その日までは

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〈終章〉そして五年


 閑静な住宅街のはずれにある一軒のコーヒーショップ。
 斜め向かいには大きな公園があり、散歩で疲れた人の憩いの場として地域の人たちに親しまれていた。
 その店内では、カウンターの内側にエプロン姿の万里子が立ち、注文を聞いてはコーヒーを入れている。そして、そのコーヒーを客の元へ運ぶのは、同じエプロンをつけた恵子だった。
 午後になると、花音と鈴音が学校から帰ってきて、隅のテーブルで宿題を始めた。それが終わると、ふたりは前の公園で遊んだり、二階の万里子の住居部分でテレビを見たりして、店が終わるのを待った。そして、店が閉まると、みんなで夕食を食べ、母の恵子とともに裏のアパートへ帰って行った。

 
 今日は、幸治の一周忌。
 寺に顔を揃えたのは、家族七人だけだった。万里子、恵子と二人の娘たち、そして潤也夫婦と一人娘。
 五年前、恵子は離婚し、娘二人を連れて家を出た。そして、わずか三年で、家族六人で暮らした真田家は人手に渡ることになった。交通の便の良い築浅物件ということで高く売却でき、残っていたローンを払い、その残りに退職金を加え、幸治夫婦は住まい付きのコーヒーショップを購入し、店を開いた。例のマスターの紹介で見つけた物件だった。
 商店街ではなく、目につきにくい場所ではあるが、住宅街というのは意外と主婦層の語らいの場としての需要があった。そして何より、大きな公園の目と鼻の先というのは、好立地だと勧められた。その言葉通り、客足は順調に伸び、常連客も増えていった。
 ところが、店も軌道に乗り、幸治が自分の思い描いていた第二の人生を謳歌し始めてしばらくたった頃、突然、病に倒れた。そして、ひと月後には帰らぬ人となった。
 今にして思えば、残りわずかな自分の人生を好きな道で飾ると同時に、残してゆく万里子へ生きる道しるべを残して行ったのかもしれない。幸治亡き後も、毎日のようにやってくる常連客に慰められ、明るく日々を過ごせることに、万里子は改めて亡き夫への感謝を深めた。


 そして、恵子――
 五年前のあの時、和也と離婚し、女手ひとつで二人の子どもを育てるという、今まで経験したことのない過酷な環境に放り出された。
 それまでの恵子にとって仕事というのは、より豊かな暮らしを得るためのものであり、職種も自分に合うもの、好みのものを選んだ。流行のファッションに身を包み、颯爽と職場に向かったものだった。
 それが一転、食べていくため、子どもたちを育てていくために働くことになり、仕事を選ぶことなど到底許されなかった。
 急いで見つけた仕事はスーパーの裏方業務だった。作業着姿で一日中立ちっぱなしの仕事に、最初の頃は、トイレで涙を流した。仕事が辛いからか、元夫への未練からか、それともこれまでの自分の振舞いへの後悔からか、恵子自身にもわからなかった。
 そんな慣れない仕事でも、一日一日をがんばって働くしかない。子どもたちは、そんな働く母の後姿を見て、自然と家のことを手伝い、母の帰りを待つようになった。こうして母子三人、助け合って日々を送った。
 そんな中で、恵子は気づいた。周りに自分と同じような女性が多いことに。みんな子どもとの暮らしを守るために懸命に働いている。だが、みんな明るくたくましい。休憩時間に仲間同士愚痴を言い合い、みんなで笑い飛ばした。
 そして同時に、恵子はその中で、自分がどんなに恵まれているかを思い知らされた。仕事仲間の中には、養育費さえまともに払ってもらえない人、いざという時に頼ることができる身内のいない人が多かったのだ。

 恵子が家を出る時、転居先のアパートを探し、手続きを進めてくれたのは和也だった。その上、引っ越しにも立ち会ってくれた。その後も月に一度、必ず養育費を持って、子どもたちに会いに来た。そして、元家族に変わりのないことを確かめると、安心して帰って行った。母の万里子からも、毎週のように元気にやっているかと電話が入る。
 生きていく大変さを身を持って体験し、母として強く生きていくことを恵子は学んだ。そして、周囲の優しさに感謝するということが心に深く刻まれた。このようにして、恵子は以前とはまるで別人のように変わっていった。

 そんな時に父、幸治が倒れたとの知らせを受け、恵子は、すぐにパート勤めをやめる決心をした。幸治の闘病の手助けと、万里子の支えになるためだ。
 そして、店の裏にある古びた安アパートに越してきて、店を手伝い始めた。生活を切り詰めるため、日中はみんなで万里子のところで過ごし、アパートには寝に帰るだけの毎日が続いた。
 ギリギリの生活に変わりなく、特に住まいはかなり厳しいものになったが、働きながら間近で子どもたちの様子を見られるのは有難かった。また、子どもたちもいつも母の近くにいられることをとても喜んだ。そして万里子は、思いもしなかった恵子の手助けのおかげで、幸治の病院通いができたし、何よりこんな時に娘がそばにいてくれるのは心強かった。
 幸治はベッドの上で、自分がいなくなった後の万里子や、店のことをとても心配していた。その気持ちに答えるように、恵子が店を手伝い始め、万里子を支えているのを知り、幸治は安心して旅立つことができたに違いない。
 これで、なんとか父に少しは親孝行が出来たのではないかと恵子はホッとした。そして、次は母の番だと思った。若い頃の身勝手な自分を、ずっと支えてくれた母、万里子にこれからは少しずつでも恩返ししていこうと強く心に決めていた。
 そしてまた、近くの賃貸マンションでは、潤也夫婦が一人娘とともに暮らしていた。幸治が倒れた時、潤也の妻、晴香は進んで、万里子や恵子のサポートに通った。そんな時、花音や鈴音は、晴香が連れてくる歳の離れた従兄妹を、まるで妹のように可愛がって面倒を見た。目の前の公園で遊ぶ姿はまるで三姉妹のようだった。

 一方、和也は離婚後も、恵子たちの生活が落ち着くまでは、陰になり日向になり、元家族を支えてきた。そして、二年が経った頃、恵子たちの暮らしが安定したのを見届けて、ようやく自分のことを考えることにした。
 一間のアパート暮しから、小さなマンションの部屋へと移り、かねてから待たせていた桜井道子母子を呼び寄せた。それからは、恵子のところを訪れることはなくなり、恵子たちとの縁は、養育費の振込だけとした。

作品名:その日までは 作家名:鏡湖