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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 大粒の雪が空から舞い落ちてきて、岩の転がる不毛な大地を白く埋めていく。だしぬけに雪が赤く染まった。首のない男の身体が雪のなかに倒れこむ。血の色がモノトーンの世界に鮮烈な色彩を加えていく。
 レギウスは口から出かかった叫び声をどうにか呑みこんだ。
 この景色には見覚えがあった。
 あれは三年前の冬──〈光の軍団〉が異教徒の土地へと遠征したときのことだ。あのときも雪が降っていた。鏡があったのかどうかは憶えていない。たぶん、装飾品として価値のある家具を接収したなかに鏡があったのだろう。これは、その鏡が吸いあげた過去のかけらだ。
 五十人近い人間が雪のなかに正座させられ、処刑の順番を待っていた。泣き叫ぶ中年の女を〈光の軍団〉の屈強な兵士ふたりが左右から押さえつける。女の横に立つ男が大剣を振り下ろして女の首をはねた。
 女の首を斬り落とした男は、三年前のレギウスだった。
 黒と銀を基調にした軍服に血が飛び散り、鏡のなかのレギウスがいまいましげに毒づく。
 居並ぶ人々のあいだから七、八歳ぐらいの女の子が飛びだしてきて、泣きながら首を失くした女のそばに駆け寄った。
 軍服を着たレギウスが剣を一閃させる。
 女の子が前のめりに倒れて、積もったばかりの雪を自分の血で汚す。それでも母親に手を伸ばそうとして顔をあげ──首の後ろを、落ちてきた剣の切っ先に刺しつらぬかれた。
 たまらず、リンが目をそらす。嫌悪感に肩が小刻みに震えている。
 レギウスは鏡のなかの光景──六神教徒であるという理由だけで殺されていく人々を、無言で見守った。
 〈光の軍団〉の僧佐の徽章(きしょう)をつけたレギウスは淡々と作業を進めていた。なにも感じていない。達成感も義務感もなく、やらなければならない仕事を無心にこなすだけ。野菜を切るのと同じような感覚だ。そう思いこんでいたのをいまでも憶えている。異教徒の血は、食欲を増すための調味料でしかなかった。
 その当時のレギウスと同じぐらいの歳の少女が引きずられてきた。
 見目の美しい少女だ。〈光の軍団〉は決して六神教徒の女を凌辱しない。邪教を信奉する女との交わりは自らの信仰心を汚す破戒行為にほかならないからだ。
 だから、殺す。
 害虫は駆除しないとすぐさまはびこる。
 レギウスの前に引き据えられた少女は臆するでもなく、あわれみをこめた眼差しで処刑人を見上げた。少女がなにごとかつぶやいて、六神教徒の印を切る。彼女がなにを言い遺したのか、レギウスははっきりと記憶していない。確か「あなたの罪を赦します」とか、そんな赦免の言葉だった。
 おこがましい。〈光の軍団〉の士官であったレギウスは激しくいきどおる。
 神への冒涜(ぼうとく)だ。この女の魂は腐りきっている。
 いいだろう。それに見合う罰を与えてやる。このおれの手で。
 怒り狂ったレギウスの少女に対する仕打ちは、とても正視できるようなものではなかった。
 過去のおのれの行いに、レギウスは吐き気を覚える。おこりのように全身が細かく震えた。イヤな汗が額ににじむ。
 降りしきる雪が血しぶきに赤く濡れそぼつ。
 レギウスのために祈った少女が動かなくなるまで、思いのほか長い時間がかかった。
 〈神の骨〉の柄をきつくにぎりしめる。その手に、リンの手がそっと置かれる。目を合わせると、リンが小さく首を横に振る。
 焼けつくような息を吐きだす。いびつな笑みがレギウスの口許に浮かんだ。
「……こういう男だと知っていながら、おまえはおれを護衛士にしたんだろ? 後悔してるのか?」
「いいえ。わたしはあなたを断罪するために護衛士にしたわけではありません。わたしもあなたと同じ……咎人(とがびと)ですから」
「おまえと出会ったあのとき──いっそのこと、おまえに殺されていればよかったと思うことがあるぜ。どっちがよかったんだろうな?」
 リンは答えなかった。ただ物悲しそうな顔をして、レギウスを見据えている。
 リンとの絆を通して、感情の揺らぎが伝わってくる。そこに迷いはない。強く感じるのはレギウスとの一体感──信頼に裏打ちされた共感だった。
 レギウスはうつろな声で笑う。消すことのできない罪を背負っているのはお互いさまだ。
(おれたちは互いの傷をなめあう獣だ。所詮は五柱の神々の玩具なのさ……)
 気がつくと、レギウスの罪を暴きだした窓は消えていた。
 案内人の少女が足を止め、色のない瞳でこちらをじっと見守っている。
「前へ進みましょう」
「それしかないな」
 歩きだす。
 案内人の少女はひと言も発することなく、黙然と道なき道をたどっていく。
 背後から強い殺気を感じる。近い。いまにも襲いかかってきそうだ。敵の息吹が背筋をチクチクと刺激する。
 五感を圧迫する邪念の放射を浴びながら、いったいどのぐらいのあいだ、闇のなかを歩いたのだろう。
 時間の存在しない虚空は、不確実な時間感覚さえも狂わせ、歩き始めてから数時間が経ったようにも、あるいは数日が経ったようにも感じていた。
 頭上からひとつの星が墜ちてきた。
 星が爆発する。
 円形の窓がリンの目の高さの位置に開く。
 立ち止まったリンがあえぎ声を洩らした。
 レギウスは目を凝らす。
 今度はリンの過去だった。
 銀髪の少女が寝台に腰かけていた。豪奢な内装の部屋だ。レギウスには見慣れない、波形と渦巻きを組み合わせた装飾が、天井や調度品を仰々しく飾りたてている。奥行きの深い部屋は白と灰色で統一されていた。色彩にとぼしい空間のなかで、銀髪の少女の碧眼(へきがん)だけが色鮮やかだ。
 銀髪の少女は、リンだった。
 いまのリンよりもいくぶん顔立ちが丸く、髪も肩にかかるぐらいの長さしかないが、たぐいまれな美貌は少しも変わっていない。
 彼女の双眸(そうぼう)が両方とも碧いことにレギウスは気がつく。萌えいずる若葉の色だったはずの右眼も、夏の高い空と同じ色に染まっている。
 レギウスと出会う前──おそらくはまだ旧帝国のローラン皇女であったときのリンが、人待ち顔でソワソワと身じろぎしている。視線が泳ぎ、膝に置いた手を開いて、閉じて、開いて、もてあましたかのように指を組む。
 レギウスはリンを横目でうかがう。肩をわななかせ、目を大きく見開き、食い入るように窓が映す過去の断片を凝視している。血の気を失った唇が動き、レギウスには聞き取れないうめき声を洩らした。
 窓のなかのリンの顔が輝いた。ひとりの青年が窓の外から入ってきて、彼女の横に腰を落とした。
 銀髪の、切れ長の碧眼(へきがん)が美しい青年。
 青年は上半身が裸だった。柔らかそうな筋肉のついた裸の胸板に、リンがしなだれかかる。
 青年が微笑んで、リンの肩に腕を回す。彼女を優しく抱き寄せ、そっと口づける。
 と、ふたりの背後の太い柱の陰で人影が動いた。
 頭を出して、口づけを交わすふたりを盗み見ている。
 複雑な表情、軽くかんだ唇、揺れる長い銀髪。
 レギウスは息を呑む。柱の陰にいるのは、もうひとりのリンだった。が、こちらのリンは両眼とも翠眼(すいがん)だ。それ以外は、寝台で青年の腕のなかに抱かれている銀髪の少女とうりふたつだった。
 双子──レギウスは悟る。