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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第十一話 破鏡の道


 ねばつく闇が崩れ落ちてきた。
 リンの両手の指が動いて、空中に第二種術式文字を結ぶ。青く輝く文字が渦巻く。
「結式──凝輪(ぎょうりん)」
 半球形の金色の光がふたりを包みこみ、広がって、どんよりとした闇を押し返す。
「錬時術で結界を張りました。わたしたちの周りにだけ正常な時間が流れます。結界になにかが触れると監視霊が警報を発してくれます」
「結界の外に出るとどうなる?」
「すぐに危険な状態におちいることはありませんが……あまり長くとどまっていると、身体のなかの時晶が蒸発してしまいます。そうなると、身動きできなくなります」
「つまり、死ぬんだな?」
「正確には時晶が全部蒸発して、肉体が時間死を迎えるんです。肉体はいつまでも残りますが、魂は〈死者の門〉をくぐって冥界に墜ちることもなく、完全に消滅します」
「わかった。おまえのそばから離れないようにしよう」
 レギウスは周囲を用心深く見回す。背後を振り向くと、いま通り抜けてきたはずの入口はどこにもなかった。
 足元に目を落とす。硬いものを踏みしめている感触はあるのだが、床や地面は見えず、あたかも暗黒のなかに浮かんでいるような錯覚を覚える。光源は判然としないが、リンと自分の姿はよく見えた。
 腰に帯びた〈神の骨〉の柄に手を置き、闇のなかの気配を探っていく。真っ暗な〈破鏡の道〉の内部はある程度、レギウスの想像どおりだったが、予想もしていなかった景色が頭上いっぱいに広がっていた。
 真っ黒に塗りつぶされた平面に散らばる白い輝点──星だ、とレギウスは思った。天井や壁に星が張りついている。
 それが本当の星ではないことは察せられた。偽りの星々。ごく近くにも白い光を放つ星の群れが暗闇のなかにぼうっと浮かんでいる。
 その正体をレギウスは悟る。大きさもかたちもさまざまな無数の窓が空中に開いていた。
 レギウスは目を凝らす。窓のなかで幻影がうごめいている。時代も場所もバラバラな老若男女が、空中にぽっかりと口を開いた窓の向こう側で動きまわっている。音はない。
 ある者はゆっくりと、ある者はせせかましく、笑い、泣き、怒り、しゃべっている。よくよく見ると暗い窓もあった。暗いのは夜だからだ、と気づく。窓の向こうの、さらにその向こうに開いた本物の窓から銀色の月光が降り注いでいる。
「……これは?」
「鏡です。これまでに存在した、ほとんどすべての鏡がこのなかに集まっています」
 リンが身近な窓を指さす。ふたりが立っている場所から左に十数歩離れた位置──縦に細長いその窓のなかでは、椅子に座った若い女性がこちらをのぞきこみ、櫛で髪をとかしていた。女性の背後に、彼女の恋人らしい男性が微笑みながら立っている。男の口が動く。女性がおもむろに振り返る。笑うふたり。幸せそうだ。
 レギウスが右に視線を転じると、丸い窓のなかで三人の子供たちが床に座りこんで本を読んでいた。窓の外から母親がすべりこんできて、子供たちのそばに腰を落ち着ける。騒ぎだす子供たち。にっこりと微笑んで、ひとりひとり頭をなでていく母親。
 切り取られた情景、過去の虚像、記録されることもなかった生活の断片。
「鏡のとらえた光が〈破鏡の道〉のなかへ落ちてくる時間は、必ずしも一定ではありません。ここにはほぼすべての時代の風景が再現されています。〈破鏡の道〉が過去を暴きだす、というのは、この空間が過去の光に満ちているからです」
「それじゃあ、もしかしたらおれやリンの過去も……」
「たぶん、ここにはあるはずです」
 それを聞いてレギウスはたじろぐ。レギウスにとって、おのれの過去は血と暴力にまみれた唾棄(だき)すべき醜態(しゅうたい)でしかない。旧帝国を追放されたリンにとっても過去は決して楽しい思い出ではないはずだ。
(おれは過去の自分と向き合うのか……)
 吐き気にも似た恐怖がこみあげてくる。〈神の骨〉の柄に置かれた手の指に思わず力がこもった。なにが映っているのかもしれない鏡を直視するのがおそろしかった。
 リンは眉をひそめて、数えきれないほどの窓が浮かんだ四囲をながめている。彼女もあのなかに自分の過去を映しだす鏡がないか、探しているのだろうか……。
 リンとレギウスの目前に白い影が凝(こご)った。影がかたちを得ると、それは十歳前後の美しい少女となった。
 レギウスはハッとして身構える。それをリンが手で制した。
「心配いりません。彼女は〈破鏡の道〉の案内人です」
「案内人? ジスラが言っていたやつか?」
「はい。彼女がわたしたちを目的地まで案内してくれます」
 レギウスは少女の姿をした案内人をしげしげと観察する。
 氷でできているかのような、生気を感じさせない白い肌。足首まで届く長い髪は脱色したかのような淡い銀髪。氷河の色をした大きな瞳。手足はほっそりとしていて、袖口に刺繍のある見慣れない寛衣(かんい)が、まるで第二の皮膚のように肢体を隙間なく覆っている。表情はなく、宝石のような硬質の両眼がリンとレギウスをひたと見据えていた。
 案内人の少女は、〈神の骨〉がひとのかたちを借りたときの姿を彷彿(ほうふつ)とさせた。色彩にとぼしい幽鬼めいた外見がそっくりだ。なにか関係があるのかもしれない。ふたりは姉妹だと告げられても驚かなかっただろう。
「わたしたちを東海岸──〈乱鴉(らんあ)の塔〉の町まで連れていってください」
 リンが物静かに告げると、白い少女は小さくうなずいた。きびすを返して歩きだす。ついてこい、ということらしい。ふたりは少女のあとを追う。
 まがいものの星が音もなく揺れた。奇怪な星座がかたちを変え、星と星が衝突する。鏡の奥の幻像が溶けて、壊れかけた過去の破片を吐きだす。
 レギウスは油断せず、周囲に気を配る。異様な星座の裏側に悪意がにじむのを感知した。姿の見えない何者かが凶悪な邪気を投げつけてきたのだ。
 〈破鏡の道〉にひそむという妖異かもしれない。せせら笑っている。息を殺して、じっとこちらの様子をうかがっている。
 暗黒の空間に開いた鏡の窓が乱舞する。たくさんの人間が小さな窓のなかで右往左往していた。
 こぢんまりとした家のなか、戦場とおぼしき死体だらけの荒野、豪奢な金色の灯りにまぶしく照らしだされた大広間。
 強烈な昼の陽射し、温かな炎の光、世界を包みこむ穏やかな闇。
 見知った顔がちらついたような気がして、レギウスはハッと息を呑む。そちらへ目を向けると、黒っぽい影がすばやく窓を横切って、あやふやな残像を残した。軽く舌打ちする。
(惑わされるな。集中しろ……)
 リンは明滅する窓のなかの風景をいっさい無視して、確かな足取りで案内人の少女の後ろについていく。
 気持ちが悪いぐらい静かだった。声はもちろん、足音も聞こえない。耳に聞こえてくるのは自分の息遣いと衣ずれの音だけだ。
 小さな羽虫のように窓が乱れ飛び、押し流され、渦を巻く。殺意がうっすらと拡散する。
 しきりに肌を刺す殺気にガマンできなくなり、前を行くリンに声をかけようとしたそのとき──
 突然、リンの面前にほぼ真四角の窓が立ちふさがった。
 驚いたリンが足を止める。目を見張った。
 空中に口を開いた窓の向こう側は、雪が降っていた。