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紅装のドリームスイーパー

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Real Level.6 ──病院


 家に帰り、生乾きの服を着替える。
 遅めの昼飯は手早くカップラーメンで済ませた。なにをする気にもなれず、自分の部屋の椅子に座って雨にけぶる外の景色をながめていると、母親が階下から声をかけてきた。これから祖母の見舞いに行くという。雨が降っているので、今日は会社が休みで家にいる父親がクルマを出してくれるそうだ。
 なにもしないでいるよりはいいかもしれない。祖母の元気な顔を見るのも気分転換になりそうだし、今日こそは沙綾さんに会えるような気がした。
 しのつく雨のなか、父親が運転するミニバンの後部座席で揺られること約十分。地下の駐車場からエレベーターで病棟へ上がり、四階で降りる。ナースステーションで面会者の名簿に名前を記入する手続きは母親が引き受けてくれた。祖母は体調がよいらしく、自分の病室ではなく、デイルームで同年輩の老婦人とお茶を飲みながらテレビを見ていた。
 おれの顔を目にすると、祖母は腹の肉を揺すって豪快に笑う。同伴していた老婦人がしわがれた笑い声をあげる。老婦人の着ているピンク色の派手なパジャマが、いろいろな意味で目に毒だ。
 おれと両親、祖母と老婦人の五人でテーブルを囲み、世間話に興じる。やれ、この病院とくらべてあちらの病院の待遇はいいとか悪いとか、病院食が味気なくておいしくないとか、聞いていてもおもしろくもなんともない話題ばかりがおれの耳をとおりすぎていく。よほど退屈そうな顔をしていたのだろう、おれを見とがめた母親が「売店でものぞいてくれば」と手を振って、体(てい)よく追い払う。おれは素直に従った。
 祖母の病室をのぞく。もちろん、まっさきに確認するのは入口の右側のベッドだ。
 目をしばたたく。ベッドは空だった。入口の名札を確認すると、幸恵さんの名前がない。
 退院したのだろうか? そんなに病状が回復しているようには見えなかったが……。
 一時帰宅だとしても、名札はそのままのはず。退院はしていないのにここにいない、となると考えられる可能性はふたつ。病室を移ったか、あるいは──あまり考えたくはなかったが──亡くなったか。
 デイルームに戻る。大人の四人はまだくっちゃべっていた。祖母に幸恵さんがどうなったのか、おそるおそる尋ねる。祖母は顔をしかめた。
「昨晩、容体が急に悪化してね。病室を移ったんだよ。看護師さんのハナシだと、いまは三階にいるそうだよ」
 それを聞いて、迷った。いままでは祖母と同じ病室だったから、幸恵さんのベッドの近くにいても不自然ではなかったが、親戚でも知人でもないおれが、容体の悪い患者の病室のなかをうろついていたりしたらあからさまに怪しまれるだろう。それでも、沙綾さんにひと目会いたい、という気持ちは抑えきれず、おれは階段で三階へ降りた。
 病室を探す。すぐに見つかった。ナースステーションの目の前だ。つまり、それだけ具合がよくない、ということなのだろう。ふたり部屋で、入口に掲げられた名札からすると、この病室に入院している患者は幸恵さんともうひとり。
 開いたドアから部屋のなかをのぞく。ベッドを囲む白いカーテンの壁が見えた。ベッドのなかにいる人物の顔は、ここからだと確認できない。ボソボソと低い話し声が聞こえてくる。幸恵さんの家族だろうか。沙綾さんもいるかもしれないが、さすがに声をかけるわけにはいかない。
 廊下をとおりすぎていく看護師が不審げな視線を向けてくる。しばらくその場に踏みとどまってみたが、誰も病室から出てくる気配がないので、待つのを断念した。病室を離れる。
 母親の助言に従い、一階にある売店へ足を向ける。外来受付のすぐ横にスペースをかまえるその売店は、病院のなかにあるコンビニで、成人用のオムツやパジャマなど、普通のコンビニでは扱わない商品のほかに、通常の商品もところせましと並べられている。
 炭酸飲料でも買おうと思い、背の高いガラスケースの冷蔵庫のまえに移動すると、そこにひとりの女性が立っていた。向こうもおれに気づき、目をパチクリさせる。
 三村沙綾さん。純和風美人の、おれより二歳年上の女性。
 学校の制服──藍色を基調に朱色の校章を襟元に配した、スタンダードなセーラー服を着ていた。肩にかかる黒髪がツヤツヤと光っている。小柄でほっそりとした身体つき。制服の下からのぞく手足の肌はきめが細かく、白く透きとおっている。くっきりとした二重まぶたの奥の、濃褐色の双瞳がおれを温かく包みこんでいた。
 声が出なかった。まるで小さな子供に戻ってしまったかのような感覚を覚えた。あんぐりと口を開け、目を丸くしているだけ。さぞかし、マヌケに見えたことだろう。
 沙綾さんがおっとりと微笑む。同じ美少女でも、花鈴の微笑みと沙綾さんのそれとでは印象がまるで違った。なんといえばいいのだろう──おれと二歳しか違わないのだが、沙綾さんの落ち着いた物腰からは母性とでもいうべき奥底の深い豊かさを感じるのだ。幼なじみである花鈴とは、身にまとう雰囲気が根本的に異なっていた。だから、彼女のまえではいつも委縮してしまう。いまもそうだった。
「お見舞いですか、新城さん?」
 音楽的な、澄んだ声で沙綾さんが尋ねる。このひとは容姿だけではなく、声までもきれいだ。
「あ、はい。その……」
 言葉が舌にからまってしまう。沙綾さんは笑みを深める。彼女の笑顔を拝めただけで、この病院に来たかいがあったというものだ。
 沙綾さんが冷蔵庫からペットボトルのお茶を二本、取りだす。華奢な手で二本のペッドボトルを抱え、小首をかしげて「新城さんもお茶でいいですか?」と訊いてくる。
「そんな……自分の分は自分で買いますよ」
「わたしが払いますから。遠慮しないでください」
 沙綾さんの穏やかな微笑みが、おれの声を問答無用で封じてしまう。なにも言えない。黙って彼女の後ろに従い、いっしょにレジに並ぶ。せめて荷物は持とうと、店員がよこしたレジ袋を沙綾さんよりさきに受け取った。コンビニを出る。
「あそこでいっしょにお茶を飲みましょうか」
 と、沙綾さんが待合室の一画を指さす。給茶機のまえに白いテーブルと椅子がいくつか置かれていた。小学生の女の子を連れた母親が、紙コップに注いだお茶を飲んでいる。沙綾さんに言われるまま、空いているテーブルにつき、レジ袋からペットボトルを取りだして二本のうちの一本を彼女に手渡す。沙綾さんは「ありがとう」と言って顔をほころばせる。沙綾さんからはシャンプーのいいにおいがした。頭がクラクラしそうだった。
 ペットボトルのお茶をすする。なにを口にすればいいのか、まるで思いつかない。幸恵さんの容体を尋ねるべきなのかもしれないが、こわくて訊けなかった。沙綾さんは心持ち顔を伏せ、物思わしげに視線をテーブルの上に落としている。ペッドボトルに口をつけようとしない。テーブルの真ん中に置いたまま、手を伸ばそうともしなかった。
 隣のテーブルにいた母親が女の子を促して席を離れる。それを待っていたかのように、沙綾さんがおもむろに口を開く。暗く沈んだ、痛ましげな口調だった。
「祖母の容体が悪化したんです。昨晩、病室を移りました」
「……それはぼくも聞きました」