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紅装のドリームスイーパー

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Dream Level.3 ──異夢


 違和感。
 最初に感じたのがそれだ。
 いつもと違う感覚。でも、以前にも体験した感覚。
 教室のなかにいた。後ろの席に座っている。誰もいない教室。灰色の光が周囲の空間に満ちていた。なにも音はしない。不自然な静寂が、海底に降り積もるマリンスノーのように沈殿している。
 そして──
 自分を認識する。

 あたし、を。

 視線を下に落とす。グレイのブレザーと白いブラウス。高く盛りあがった胸。顔のまえに手をかざす。華奢なつくりの手とほっそりとした長い指。肌の下に透ける青い静脈。薄いピンク色のマニキュアに彩られた爪がつややかな光沢を放っている。
 これは「あたし」だ。決して「おれ」じゃない。新城翔馬とは明らかに違う身体──少女の身体。身体だけじゃなく、思考も「あたし」のものだった。
 これが夢だということはわかっていた。が、夢にありがちな曖昧さというものがない。なにもかもがやけにクリアだ。教室に並べられた机と椅子のひとつひとつを明確に見分けることができる。窓の向こうの景色を遠くまで見晴らすことができる。
 あたしは自分の唇をこすった。それに──自分の肉体を実感している。これ以上にないぐらい、はっきりと五感が働いている。
 立ちあがった。ブレザーと同じグレイのプリーツスカートをはいていた。一瞬の違和感。それも、すぐに意識の奥底に追いやられる。
 窓辺に寄り、外を見た。空っぽのグラウンド。積み木でつくったような実用本位の角張った校舎。色彩にとぼしいモノトーンの風景。
 この景色を知っているような気がした。錯覚かもしれない。夢のなかではなにもかもが身近に感じるように。
 ふと背後に気配を感じた。振り返る。
 教壇に黒ネコが尻を下ろしていた。金色の眼であたしをじっと見つめている。
 ルウ。確か、葵からそう呼ばれていた。しゃべるネコ。
「きみが来ることはわかっていた」
 と、黒ネコのルウ。落ち着いた、ふところの深さを感じさせる男の声で。
「ようこそ、夢の世界へ。歓迎するよ」
「あたしは……」
 周囲のぐるりを目で示して、
「あたしはどうしてこんなところにいるの?」
「きみが望んだからだ」
 ルウは教壇から飛び降りた。ネコに特有の、しなやかな身ごなしで近寄ってくる。
「もっと正確に言うならば、夢見人(ゆめみびと)としての才覚を覚醒させる出来事がきみの周囲で起きたからだ。きみは、それに反応した」
「あたしが?」
「意識的にではない。なにが起きてるのか、きみが正しく理解してるとは思えない。そうであっても、きみは夢見人として覚醒した。だから、いまこの場にいる。ここは、夢の世界だ。きみが見てる夢のなかだよ」
「あたしは、あたしじゃない。この夢があたしの夢であるはずがないよ」
「矛盾してるな、その言い方は。じゃあ訊くが、きみは誰だね?」
「あたしは……あたしは新城翔馬という高校生だった」
「ほう、過去形を使ったね。そいつは正しい認識だ。新城翔馬というのは現実世界でのきみだからな。ここでは違う。もう一度、訊こう。きみは誰だ?」
「……わからない」
「きみのその姿」
 ルウはあたしの足元まで近づくと、ジャンプして、窓際の机の上に飛びのった。黒ネコは背を弓なりに曲げ、小さな牙の並んだ口をモゴモゴと動かす。
「鏡で見たらどうかね? きみが誰なのか、答えが見つかるかもしれないぞ」
「鏡なんてどこにある……」
 突然、外が真っ暗になった。光源の定かじゃない濁った白い光があたしを照らしだす。窓に自分の姿が映っていた。
 あたしはあんぐりと口を開ける。
 窓に映った少女の鏡像があたしをまっすぐに見返していた。肩から背中へと流れ落ちる、ツインテールに束ねた金髪。くっきりとした眉の下で輝くターコイズブルーの瞳。バランスよく配置された目鼻と唇。
 見覚えがあった。この顔に。
 この金髪の美少女は、確か──
「……ラノベ。あのラノベのヒロインだよ、これ」
「いまのきみのその姿は、きみ自身が望んだものだ」
「これが?」
 思わず、声が裏返った。あたしがこの姿を望んでいたって? つまり、翔馬が望んでいたってこと? だって、女だよ? 美少女は嫌いじゃないけれど、自分が美少女になってみたいとは思っていなかったはずだ。
 それに、なんなのこれ? このメリハリのきいた身体つきは? 服を脱げば、自分の裸が見られるってこと? そんなことがホントにありうるの?
 混乱するあたしに、抑揚のないルウの声が遠慮会釈もなく降りかかってくる。
「心理学の用語では男性の心の奥にひそむ女性的な要素をアニマというな。きみの姿はそのアニマが具現化したものともいえる。気に入ったかね? なりたい自分になれて満足かな?」
「…………」
 言葉が出てこなかった。あたしがこの姿を望んだのかどうかは自分でもわからない。しかし、現実は無視できない。いや、これは夢なんだから、夢のなかでの結果は無視できない、ということか。
 よくよく考えると、翔馬が読んでいたラノベのイラストはどれも彼女が中心だった。きわどいシーンのイラストも何枚かあった。
 主人公の勇者のイラストもあったが、翔馬はほとんど関心がなかった。当然ではあるが。
 表紙のイラストだって、もちろん彼女である。健全な男子高校生である翔馬は、神秘的な胸の谷間に幾度となく視線が吸い寄せられたものだ。
 だからだろうか。翔馬が強い関心を寄せたこの容姿に自分を重ねたのは。翔馬の男子高校生としての正常な発育が裏返しとなって、いまのあたしの姿に反映されたのかもしれない。アニマだかアニメだか知らないけれど、自分自身の潜在意識が奈辺にあるのか、よくわからなかった。
 まあ、金髪のツインテールの美少女になったきっかけはともかく──
「……あなたはあたしの夢の一部じゃなさそうね?」
「フム。イエスでもあり、ノーでもあるかな。この夢はきみの夢だからな。ここにいる私は、きみの夢の一部を構成してる、ともいえる。だが、私は独立した人格(パーソナリティ)を備えた存在だ。私はおのれの意志で行動してる。こうしているいまでも、ね」
「あたしは自分が誰だかわからない。あたしは新城翔馬じゃない。あたしは自分の姿を見ることはできるけれど、あたしという存在を──そうね、定義できない、という感じかな」
「だったら、自分で自分を定義すればいい。きみの名前は? まずはそこからだ」
「あたしの名前?」
 そんなの考えていなかった。あたしの名前なんて……あるのだろうか?
 頬に指をあてて考えてみた。ラノベのヒロインには名前があった。でも、それは彼女の名前であって、あたしの名前じゃない。あたしはここに存在している。たとえ夢のなかであっても。空想上の人物じゃない。あたしには別の名前が必要だ。自分を定義づけるための名前が。
 ひとつの名前が心の奥底から浮上してきた。その名前を頭のなかで繰り返すと、欠けていたパズルのピースがぴったりと収まるように、あたしの心のなかで確固とした位置をしめた。
 そう、それがあたしの名前。
「あたしの名前は芽衣(めい)。芽衣と呼んで」
「芽衣、だね。承知した。これからはきみをそう呼ぶことにしよう」