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紅装のドリームスイーパー

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Real Level.3 ──病院


 天気予報では夕方から雨だったが、重く垂れこめた鉛色の雲の底からはまだ雨滴が落ちてこなかった。
 行きとは違うルートをたどって私鉄の踏切を越え、一年前にオープンしたショッピングモールの横を自転車で走り抜ける。
 最近はいつもこの道をとおっている。まっすぐ家に帰ることはしていない。もはや日課になっている、といってもよかった。
 角にファミレスのある交差点を左に折れてすぐのところに、おれの目的地があった。
 大学の付属病院。この近辺ではいちばん規模が大きい。凹の字のかたちに配置された八階建ての白い病棟が、緑の鮮やかな桜並木の向こうに頭を突きだしていた。
 調剤薬局の裏にある駐輪場に自転車を停め、自動ドアがガタガタときしむ殺風景なエントランスをくぐる。節電のため照度を落とした薄暗い廊下をまっすぐに進んでいく。ツンとするにおいが鼻についた。行きかう医師と看護師の群れ。点滴の架台といっしょに移動するパジャマ姿の老人。アナウンスがキンキン声で患者の名前を呼ばわる。
 エレベーターで四階に昇る。途中、ナースステーションで面会者の名簿に名前を記入し、デイルームのすぐ隣にある四人部屋の病室に向かう。
 いまその病室に、おれの母方の祖母が入院していた。夏風邪をこじらせて肺炎になってしまったそうだ。一週間前に救急車でこの病院に運ばれ、それからずっと入院している。幸いにして重症ではなく、もうすぐ退院できそうだ、と母親から聞かされていた。
 もちろん、ここに来る目的のひとつは祖母の見舞いだ。だが、それ以外にもここに毎日、足を運ぶ大きな理由がおれにはあった。
 病室に足を踏み入れる。まっさきに右を確認した。
 入ってすぐの右側のベッド──そこに、若いころはさぞかし美人だったのに違いない、豊かな白髪の老婦人が入院していた。入口の名札で名前は確認してある。「島幸恵(しまゆきえ)」というのが老婦人の名だ。ついでにお歳は、本人の言によると今年で八十四歳。しかし、おれのお目当ては幸恵さんじゃない。いくらなんでも年上すぎる。本命は、幸恵さんの孫の女子高校生──三村沙綾(みむらさあや)さんだった。
 ここへ来るとかなり高い確率で沙綾さん──ちなみに、おれより二歳年上の高校三年生だ──に会えるのだが、今日は残念ながら、幸恵さんのベッドは白いカーテンで囲まれ、その向こうをうかがい知ることはできなかった。立ち止まって、耳を澄ます。話し声がしないところからすると、誰も見舞いには来ていないらしい。
 江戸時代に生まれていたら浮世絵のモデルになれそうな、純和風美人である沙綾さんに会いたいがために、この病院へ足しげくかよっているというのに……。しかたない。今日は代わりに、看護師の高橋さんの美貌と巨乳をたっぷりと拝見してから帰るとしよう。
 落胆が色濃く表情に出ていたのだろう、窓際の祖母のベッドに顔を出すと、祖母と小声で話しこんでいた母親からジト目でにらまれた。さすがはおれの母親だ。息子の思考を完全に読み切っている。どうでもいいが、おれの母親はなかなかどうしてすっきりと整った顔立ちをしている。高校生のころは大勢の男子生徒から最高の評価を得ていたとか、いないとか。ソースが母親の弟、つまり叔父なので、真偽のほどは定かではないが。そのせいなのかどうかは知らないが、おれの行動を読むことに対してはやたらと鋭い。おれが毎日、祖母の見舞いに来るホントの理由はとっくに見抜いていそうだ。
 あたりさわりのない話題を口にして、祖母と母親との会話の隙間に割りこむ。祖母は腹の肉を揺すって快活に笑う。母親は口許が笑っているけれど、眼が笑っていない。そうして二十分近く、従順な孫の役割を演じていたが、そのうち母親の顔がひきつりはじめたので、そろそろ潮時だと判断し、「バイ」と手を振って病室をあとにした。
 幸恵さんのベッドをのぞいてみたが、やはり誰もいないようだ。残念無念。
 さらにがっかりしたことに、看護師の高橋さんも姿を見なかった。白衣に包まれた立派なふたつの半球を拝むことができず、おれはしょんぼりと肩を落とす。
 そんなおれに追いうちをかけるように、帰るころには雨がしとしとと降っていた。
 思わず、天を仰ぐ。
 無情な灰色の雨雲は、まるでおれの心情を表現しているかのように、世界をくすんだ色彩に染めあげていた。