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紅装のドリームスイーパー

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Memories Level.2 ──いまから三年前、中学一年生


 文化祭。
 投票の結果、クラスの出し物はいちばんオーソドックスなテーマに落ち着いた。すなわち、「郷里の歴史」だ。自分たちで調べた地元の歴史を模造紙につらつらと書きつらね、歴史地図といっしょにパネルにはる。そんなに手間暇はかからないし、製作費だってタダ同然だ。いいことずくめだが、最大の欠点はおもしろくもなんともないことか。少なくとも、おれにとってはそうだった。
 椅子の上に乗って、花鈴が模造紙をパネルにはりつけている。おれはそれをチェックする係りだ。「斜めになってるよ。もうちょい右だ」と花鈴に指示を出す。花鈴が背伸びする。模造紙の角をピンでとめようとして──バランスを崩した。
 花鈴の短い悲鳴。椅子から転げ落ちた彼女をあわてて受け止めた。花鈴の全体重がのしかかってきて、おれは彼女といっしょに倒れる。おれは腰をしたたかに打ちつけた。激痛に息がつまる。
「……翔馬?」
 花鈴がギョッとする。おれの身体の上からどいて、口許にこぶしをあてる。こんなときなのに、その仕草がすごくかわいい、とおれは思った。
 アクシデントを目撃したクラスメイトが集まってきた。「大丈夫か?」の声に、おれは「平気、平気」と軽い声で返す。
 おれは痛みをこらえ、肘をついて上半身を起こす。ズキリと鋭い痛みが腰から背筋へとつきぬけていく。口のなかにしょっぱい血の味がする。下唇に触ると指先に血がついた。花鈴を受け止めたとき、彼女の肘がおれの口を直撃して、歯で切ったらしい。
 血を目にして、花鈴の顔色が青ざめる。いまにも泣きそうな顔になった。
「ごめんなさい、翔馬。わたし……」
「いいよ。たいしたケガじゃないから」
 立ちあがろうとしたら、腰が激しく痛んだ。ズキズキと痛む。
 マズい。こっちのほうが深刻かもしれない……。
 誰かが担任の先生を呼んだらしい。頭頂部の髪の毛が絶滅寸前の、中年の男性教師が、数名の女子生徒に導かれてこちらにやってくる。先生が両膝に手をついて腰をかがめ、おれの顔をのぞきこむ。太い眉をひそめた。
「口を切ってるな。痛むか?」
「平気ですって。これぐらい」
 おれは腰の痛みを無視して立ちあがった。突き刺すような痛みに冷たい汗が肌ににじんでくる。花鈴が目をうるませている。おれは虚勢を張って笑ってみせる。たぶん、はた目からは不自然さのない笑顔に見えただろうと思う。
 花鈴がスカートのポケットからハンカチを取りだす。おれの唇の血をぬぐおうとする。
「やめとけよ。血で汚れるぞ」
「じっとしていて。ハンカチぐらい、なんでもないから」
 花鈴が優しい手つきでおれの唇の血をぬぐいとる。おれはぼうっと突っ立って、花鈴のされるがままにしていた。花鈴がおずおずと微笑む。目尻にたまった未完の涙を小指でそっとふきとり、穏やかな声で言った。
「ありがとう、翔馬。おかげでわたし、なんともないよ」
「……うん。よかったよ」
 周囲のクラスメイトがやんやとはやしたてる。花鈴がムッとして、揶揄(やゆ)の言葉を投げかけてくるクラスメイトをにらむ。こういうことに耐性のないおれは、気恥ずかしくて顔が真っ赤になるのを自覚していた。唇にあてられた花鈴のハンカチは、石鹸のいいにおいがした。
 おれの腰はそれから一週間のあいだ、痛みがとれなかった。医者に行くつもりはなかった。そんなことをしたら、花鈴にいらない心配をかけてしまう、とおれは思いこんでいた。おれってカッコいい──しばらくのあいだ、子供じみた自己陶酔にひたっていたのを憶えている。花鈴が微笑むたび、身を挺(てい)して彼女を救った自分がとてもほこらしかった。
 風呂にはいったとき、ふと鏡で見ると、尻のすぐ上のあたりに青黒い大きなアザができていた。なんだか赤ん坊の青い尻みたいで、がっくりと気落ちした。

 花鈴がおれのことを「新城君」と呼ぶようになったのは、そのちょっとしたアクシデントから十日ぐらいが過ぎたあとだった。彼女にどういう心境の変化があったのか、おれにはなんとなく想像がついた。もはや「翔馬」と気安く呼べるような雰囲気じゃなくなっていたのである。
 文化祭のあと、クラスメイトから底意地の悪い視線を向けられるたび、花鈴は顔をうつむかせて委縮していた。花鈴を助けたときのおれの英雄的行動がヘンに誇張され、彼女とおれの仲がクラスのなかでまことしやかに取り沙汰されていたのだ。「気にするなよ」と言っても、花鈴は硬い笑みを返すだけで、首を縦に振ろうとしなかった。
 おれのことを「翔馬」と呼んでくれ、と花鈴に強要はできなかった。
 時間が経って、口さがないクラスメイトがおれたちに興味を失っても、花鈴の呼びかけはあいかわらず「新城君」のままだった。