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御手紙 葉
御手紙 葉
novelistID. 61622
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Best Friend

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――私は、あなたとずっと一緒にいるよ。

 *

 私がその喫茶店を知ったのは、友人の水島菜月から紹介されたからだった。視界を遮るほどの建物の数がなく、広々とした住宅街が続く中に、ひっそりとその喫茶店はOPENの看板を掲げている。
 ログハウスのような外観をしており、その周囲を通る通路は煉瓦敷きで、とても雰囲気に合っていた。駐車場が狭いのが難点だが、その木製のドアを開くと小気味良いベルが鳴り、明るい店内がその先に待っていた。
 流れているのはほとんど落ち着いたクラシックかジャズで、私の好みに合っていた。元々人込みが苦手で、静かな空気の流れる場所が好きだった。その店を知っていた友人が紹介してくれたことに私は心底感謝していたが、恥ずかしくてそのことを口に出せなかった。
 私は口数が少なくて愛想も良くないし、明るくて交友も広く、誰にでも好かれる菜月とは全く違っていた。それでも何故か私達は気が合うのだった。でも、それは私がそう錯覚しているだけで、菜月が憐憫の感情を抱いて私に気遣っているのかもしれなかった。
 その日も私は店内の奥の席に座り、菜月を待っていた。使い込まれた調度品はどれも木製で、そこに刻まれた傷の数だけ人々の思い入れが篭っているようだった。
 その時、読んでいたのはゲーテの『若きウェルテルの悩み』だった。ゲーテの作品はファウストを時間をかけてゆっくりと読んでいたが、この小説に触れて本当に物語に浸っているのが心地よいと再確認するような気がした。
 私には本しか生き甲斐がないのだから、いつまでもこうして喫茶店でページを捲り、空想に耽りたいと強く思った。
 そこで菜月がやって来た。彼女は「ハロー」と快活に笑うと、私の向かいの席にいつものように腰を下ろした。彼女の栗色の長い髪がふんわりと揺れて、彼女の甘いシャンプーの香りが漂ってきた。私が男だったら、彼女に恋をしていただろう。
 そして、少しは愛想良く彼女に対して話をすることができていたかもしれない。
「こんにちは、菜月」
 私はそれだけを言ってまた本へと視線を戻し、ページを捲った。
「ごめんね、ちょっと友達が頼み事をしてきてね、その用事で遅れてしまったの」
「別に構わないわ」
 私は意図して冷たく言った訳ではなかったが、どうしてもそういう口調に聞こえてしまう。彼女は目立たないけれど上品な色の口紅が乗った唇を微笑ませて、身を乗り出してきた。
 彼女のガラスの底を覗くようなきらきらした瞳と、高い鼻、きめ細かな肌が私へと迫る。
「最近、調子はどう?」
「調子って?」
「仕事はうまくいってる?」
 私は本をテーブルに伏せ、小さく首を振った。菜月は少し心配そうな目で私を見つめ、そして再び微笑んで、うなずいてみせた。
「何かうまくいっていないことがあるなら、私に何でも話してみて」
「仕事のことはあまり話したくないの」
 私はそう言って唇を噛んだ。そうしてアイスコーヒーの注がれた長細いグラスの底をじっと見つめた。再び顔を上げて彼女を見つめ、彼女のまっすぐな眼差しを受け止める。
 彼女はどうしてこんなにも私を気遣ってくれるのだろう。私のことを大切だと想ってくれているのだろうか。
 そう考えて、すぐにその可能性を打ち消す。彼女は明るくて優しくて、数えきれないほどの友人が他にいて、私のことなど可哀想で付き合ってるぐらいなんだろうな、と思った。
 私は彼女の顔から視線を外し、本の表紙をそっと撫でた。
「私なんて生き甲斐もないし、ここでずっと本を読んでいるか、家にこもってる方がいいのよ、きっと」
 私が掻き消えそうな声でそうつぶやくと、彼女は少しだけ笑みを消し、私の手に掌を重ねた。
「あのね、私調べてみたんだけど、今度都内にある文学館に一緒に行ってみない? 瑞希、すごく本が好きだし、行ってみれば楽しそうだなって思うのよ」
 私は押し黙り、ストローを握ってグラスの中の氷を掻き混ぜる。
「行きたくない」
 はっきりとそう言った。菜月は視線を伏せて寂しそうな表情を浮かべたが、やがて小さくうなずいて、再び私へと顔を向けた。
「ねえ、そんなに他のことに興味ないなら、物語を書いてみるのはどうかしら?」
「……え?」
「だって、そうでしょう? 数えきれないほどの本を読んで、その才能を活かせるわよ、きっと」
 私は彼女の提案が本当に予想外だったので、声を失って彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。そして、そっと口を開きかけた。そんなの、嫌よ、と言おうとする。でも、何故かそこで否定の言葉が喉につっかえて出てこなかった。
「今度、タイプしたの持ってきてよ。私読むからさ」
「いや、だって、私はパソコン苦手でタイピングもできないし」
「じゃあ、原稿用紙でいいわよ」
 彼女はそう言って一斉に花が咲き乱れて周囲に色取り取りの花畑が広がるような、そんな美しい笑顔を見せて、私の手を再び握った。
「どう、やってみない?」
 その透き通るような純粋な眼差しに、私は視線を彷徨わせていたが、やがてふっと息を吐いて彼女を見返した。
「わかったわよ、書いてみるわ」
「やったわね。じゃあ、楽しみにしてるから」
 菜月は大きな声でそう言うと、ようやく落ち着いたのか、ウェイトレスに自分の分のコーヒーを頼んで文庫本を取り出した。また時代小説を持ってきたらしく、彼女はいつものようにそれを読み出す。
 私はそんな彼女の顔をじっと見つめながら、自分でも気づかないうちに、ずっと気になっていたことを聞いた。
「なんで菜月は私と会おうとするの?」
 菜月が本から顔を上げて、きょとんとした顔をした。
「え? どういうこと?」
「私なんて捻くれてるし、一緒にいても気分悪いでしょ?」
 私がそう言って視線を伏せると、何故かそこで菜月はぷっと噴き出して笑い始めた。
「何、笑ってるの?」
「いや、だって……私はね、瑞希、あなたがどんなに捻くれていても、一向に苦にならないのよ」
「嘘よ、そんなの」
 私は唇を尖らせて、顔を反らしてしまう。彼女はまだ笑い続けたまま、ただその言葉をつぶやいた。
「私が会いたいって思ってるんだから、それでいいでしょ」
 彼女のその顔をそっと見遣ると、彼女は全く笑顔を崩さず、私をじっと見つめていた。その眼差しが本当に嘘偽りなく柔らかなものだったので、私はあきらめて本を握った。
 そして、もう何も言わずに読書を再開する。お互いに無言で読書を続けるその時間は、何物にも代えられない穏やかな一時で、私にとっても本当に大好きな時間だった。
 でも、私は素直でなかったので、彼女に本当のことを言うことはなかったのだけれど。

 *

 私は小説を貪るように読んでいても、小説を書くということには一切触れたことがなかった。どんな作品を書けばいいのか、どんな風に書けばいいのか、全くわからなかった。
 でも、わからなくてもとりあえず書こうと原稿用紙に向かったが、アパートにこもって淡々と文章を綴っていても、全く面白くなかった。
 図書館に行けば資料もあるし、書けるかもしれないと思って赴いたが、アパートで書くのと大して差はなかった。
 もうやめようかな、と思って筆を置いた時、ふと鞄に入っていた一冊のハードカバーに気付いた。
『星の降る街』
作品名:Best Friend 作家名:御手紙 葉