小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
御手紙 葉
御手紙 葉
novelistID. 61622
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

碧い涙 ~アオイナミダ~

INDEX|1ページ/3ページ|

次のページ
 
僕はその海岸線をずっと歩きながら、彼女がこの間囁いていたその歌をそっと口ずさみ始めた。それは僕の胸に深く降り積もり、口ずさんだ瞬間に、ふわりと一斉に舞い上がる光の雨に似ていた。僕はその曲を歌っている最中、ずっと彼女と一緒にいて、お互いの魂をこの世のどこかに感じていた。
 潮騒が繰り返され、僕の心にひっそりとした落ち着きと、太陽に煌めく炎がせめぎ合い、溶け合って、胸の中で揺れていた。宵闇は海をどこまでも掻き消し、しかし彼女が腰を下ろした岩肌だけは月の光が満ちていた。
 そこに座っている一人の少女。いや、少女と言っていいかはわからないけれど、彼女はこの世のものとは思えない美しさをその姿に体現していた。その青い艶やかな髪は胸元を隠し、肌に直接触れている。服を着ていないその姿はあまりにもほっそりとしていて、彼女の尾びれがリズムに合わせ、岩肌を打った。
 人魚。彼女は人間ではなく、海に棲む生き物だった。
「また、歌を唄っていたのか」
 僕がそっと近づいていって囁くと、彼女はようやく歌うのをやめ、薔薇の花びらのように微笑んだ。
「歌っていれば、浩介が来ると思ってね」
 その言葉は人間のもので、何一つとして僕と変わらない人の心を持っている。でも、僕と彼女は致命的に別々の生き物なのだ。でも、惹かれ合っている。青空と水面がそっと水平線の上で交わるように。
「浩介も、私の歌を唄っていたでしょ」
「うん。そうしていれば、君に会えると思ってね」
 そう言って僕らは体を向け合って、声を上げて笑った。
「今夜が、最後なのね」
 彼女がそう、ぽつりと静かな囁きを零した。僕はぐっと密かに拳を握りながら、うなずいた。
「もう夏休みが終わってしまうから。僕はこの海を離れなくちゃ」
「私の心からも、離れてしまうの?」
 彼女は僕を責め立てる訳でもなく、懇願する訳でもなく、ただその決まった運命を打ち明けるようにその唇を開いた。
「それはないよ。僕はこの海から離れても、ずっとミアのことを想ってる。絶対に、忘れたりしない。僕はミアのことが、本当に好きで、絶対に会いに来るよ」
「本当に?」
 本当に、だよ。僕はそう笑って、そっと波を掻き分けて歩み寄っていくと、彼女の頭にぽんと手を置いた。
「大丈夫。来年の夏、また会いに来るから」
「絶対に……絶対に会いに来てよ」
 彼女はあくまでも笑みを浮かべたまま、そう強い口調で言った。
「うん。ミアの元に必ず帰ってくるから」
 彼女は僕の真意を探るようにすっと透き通るような眼差しを向けてきて、目を覗き込んできた。そして、微笑み、一つうなずいた。
「わかったわ。これをあなたにあげるから」
 彼女がそっとそれを僕に差し出してきた。
「これ……本当にいいの?」
「いいに決まってるでしょ。浩介の為に作ったんだから」
 それはこの海の貝殻を繋げて作ったブレスレットだった。とても綺麗な形に収められた貝殻が彼女の美しい指先で円を描いて繋がり、彼女のその純粋な好意が感じられた。
「ありがとう。大切にするよ」
「それをしている時、私達は繋がっていられるから。私もこのブレスレットを付けて、浩介の想いをいつも感じているから」
「うん、ミアと一緒にいられるね」
 ミアは僕の肩に額を擦り付けて、目を閉じていたけれど、やがて「そろそろ行くわ」とつぶやいた。
「ミア。元気で」
「浩介こそ、他の女の子と浮気したら承知しないからね」
「おお、こわ。でも、それは絶対にあり得ないよ」
 僕は彼女の頭をくしゃくしゃと撫でると、そっと身を離した。
「ミアの方こそ、僕と離れるって言うのに、そんなに笑顔のままで、つらくないのか?」
「私を馬鹿にしないで。浩介がいなくても、一人で生きていけるよ。今までずっとそうだったんだから」
 彼女はそう言って、とんと胸を叩いてみせた。
「そうか。その言葉が聞けてほっとしたよ」
 そう言って僕はミアへと手を振る。ミアはそっと海岸を滑って、水の中へと入った。
「じゃあね、浩介」
 彼女はその瞳をにっこりと微笑ませて、元気良く手を振った。僕も負けずに両手を大きく振って、それに応える。
「じゃあね、浩介!」
 彼女は少し離れてからまた海面から顔を出して手を振った。それを何度も繰り返し、彼女の姿が今度こそその暗い海の底へと消えていくと、僕はぐっと唇を噛み締めて、その溢れ出しそうな想いを堪えた。
 大丈夫。ミアとまた会えるまで、絶対に負けないように頑張るんだ。
 僕はすっと身を翻して歩き出した。砂浜を一歩踏みしめて歩き出すにつれて、ミアへの想いが強くなっていく。不思議なもので、離れれば離れるほど、ミアへの気持ちは膨らんでいく。
 また、来るから。
 そうつぶやき、もう一度振り返って、ミアがいる海へと大きく手を振った。

 *

 僕とミアが出会ったあの海岸にもう一度戻る時、僕は彼女に対してあるプレゼントをしようと決意していた。それに向けて、毎日疲れ果てるまで努力し続けた。僕が今生きる意味は、ミアと一緒にいることにあった。
 そうして僕は高校三年生になり、やがて受験勉強の日々が来た。僕は予備校に通いづめになり、その志望する大学に入りたい一心で勉強を続けていた。でも、ミアのことは頭から離れることはなかった。彼女のブレスレットに触れれば、確かに僕達は繋がっていると感じることができた。
 そこにミアがいなくても、ミアの心を感じることができるような気がする。そんな暖かな感触をブレスレットは僕に与えてくれた。
 そうして徐々に夏休みが近づいてきた頃、僕はいつものように学校から帰ると、自室に篭って勉強を続けた。ひたすら机に向かって問題を解き続け、ブレスレットの存在だけを頼りに前へと進んでいた。
 いつしか僕は机に突っ伏して眠ってしまっていた。ミアのことを考えながら、夢の中で出会えることを期待して、心地良い眠りへと入っていく。
 気づいた時には、あれから二時間が経っていた。やばい、と僕は机から顔を起して時計を見たけれど、そこで何か違和感を感じた。僕を支えていたあの暖かみがふっと消えていた。僕は自分の腕を見て、血の気が引いた。
 ブレスレットが机の端に引っかかって切れていたのだ。眠っている際に、誤って糸を切ってしまったのだ。貝殻が机に転がり、僕は唇を震わせながら、何か掠れた声を上げてそれらを掌で包み込んだ。
 もう彼女の心はすぐ側になかった。僕の世界が崩れ去り、何か僕の上へ重たい負の壁が圧しかかってくる気がした。
「ミア……ミア!」
 僕は慌てて貝殻を集めて糸に通し、何とかブレスレットを修復した。何でこんなことをしてしまったんだろう。ブレスレットを修繕している最中、僕は目頭が熱くなるのを感じた。本当にみっともなかった。こんな姿をミアが見たら、「情けないわね、浩介」とあのつんとした表情で言うに違いない。
「ミア、ごめん」
 僕はそれを手にしながら、ミアに繰り返し謝った。でも、その想いは彼女に届くはずがなかった。

 *