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ひこうき雲

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 海外新興メーカと標準品の価格競争をまともに戦えば、人件費の高い日本製は、早々に競争力を失う。競争力を失うまでには、無理な価格設定による収益の減少が必ず発生し、次の競争のために製品開発を行う余力さえなくなる。高品質・高信頼性のメイド・イン・ジャパン。それは今も昔も変わらないが、目的を果たしてくれるなら安い方がいい。そういう顧客が増えてきたのが今の社会だ。であれば、標準品とオーダー品のベースを同じ機種にしよう。ということが、その答えとなったのだった。標準品は無駄に高くなるが、エレベーターや自動車、工場などの生産設備など、真に高品質・高信頼性を求める一部の顧客はウチの製品を買ってくれるはず。一方で、標準品との量産効果により、オーダー品のベース機種の生産コストは下がり、その特殊性から海外新興メーカとの差別化が図れ、安定した高値で取り引きされているオーダ品の利益を増やすことが出来る。そう考えた経営幹部は、この製品戦略のスタートとなる今回の開発を「Z計画」と名付け、発破(はっぱ)をかけた。言うまでもなく「Z」はアルファベットの末尾の文字。つまり「後がない」ということを意味する。
 かつて、日露戦争の日本海海戦でロシアの当時世界最強といわれた「バルチック艦隊」を迎え撃った日本の連合艦隊。客観的に勝てる見込みのない連合艦隊の旗艦「三笠」に司令長官の東郷平八郎が掲げた旗「Z旗」(皇国の荒廃、この一戦にあり)にあやかった。という歴史好きや軍事モノに興味のある人なら納得してしまいそうな話は、製作所内でも特に男性の比率が多い設計や製造では周知の事実となっていた。
「それはそうと、その子が例の「ハムちゃん」かい?」
 帽子を被りなおした根岸組長の目が笑顔で細くなる。
「大田公子です。よろしくお願いします。」
 小さな手帳を一瞬で閉じて礼をする。その気忙しいが一生懸命な動きはハムスターそのものだ。
「よろしくね。そのオジサンには気をつけるんだよ。嫁さんに構ってもらえなくて爆発寸前だから。」
 えっ?と気のせいですませそうな小さな音が耳に入る。無視しようとするが大きく見開いた公子の驚きの眼差しが俺の視界の真ん中に入る。
「ちょっ、組長。なに言ってんですか。あ、そうだ、こないだの作業性改善、設計変更忘れてました。ま、いーか。」
 俺は根岸組長を作り笑いで捉えると、即座に反撃した。否定できない現実を逸らすために。。。そして公子から目を逸らすために。。。公子の目が驚きだけに見えなかったから、と言ったらいい年した中年の勘違いだろうな。。。
「ま、とにかく試作をよろしくお願いしますよ。
じゃ、次、検査場を見学するぞ。」
「あ、はい。ありがとうございました。」
 視界の隅で、公子がバネのように腰を折るのを見届ける。帽子を取ってまで挨拶しなくていい。という小言は次にしよう。垣根を低くすると今は、公子が何を言ってくるのか油断ならない。
 ったくあのオヤジめ、
 猫のように細めた目でからかうような笑顔を向ける根岸組長に軽く黙礼すると、肩のラインで揃えた髪を撫でつけながら水色の作業帽を被り直す公子の横を足早に通り過ぎる。慌ててついてくる公子の気配を確かめると、俺は歩幅を緩めた。

 俺のチームが設計する制御装置と呼ばれるパートは、制御盤と呼ぶいろいろな装置を詰め込んだ箱のようなものの設計をしている。外には操作パネルや、各種ケーブルを取り付ける入出力部、その中には電力を変換する、つまり電気の種類を変える肝となるパワー半導体の電力回路、そしてパワー半導体をコントロールする電子回路とマイコンを組み込んだプリント基板、安全装置や、動作状況を出力する信号部の回路を詰め込む。これらの回路と装置を実装を一挙に引き受ける。みんなは「ハード屋」と俺たちを呼ぶ。簡単に言えば回路の設計と箱物の装置の設計、ある意味電気屋さんと機械屋さん両方の役割を持つ。
 ちなみにマイコンや電子回路を実装したプリント基板は、別の開発チームで試作に入っており、今回の試作の中盤で制御盤に組み込まれる。ちなみにこのプリント基板を設計しているチームを「電子屋」と呼んでいる。そして、これらマイコンの動作を司るソフトを設計しているチームが「ソフト屋」だ。
 車でいえばエンジンルームといったところだな。これら一式が組み上がって初めてインバータという我が社の商品になる。
 検査場で出荷検査のために中身をさらけ出した製品に、検査用の配線や測定機器が所狭しと繋がれている。さながら病院の集中治療室のような場所で製品の臓物(ぞうもつ)を見せながら設計の分担を説明して終わりだ。出荷までの流れも現場で見せることが出来た。そろそろ会議の時間だ。
 検査場で主任をしている同期に手を上げて合図をするかのようないつもの挨拶を送り、踵を返す。出荷検査も我らが子会社「みなとエンジニアリング」の領分になっていた。何でも子会社に業務委託。。。それが価格競争の舞台裏だ。

 今度の開発で、俺は主に回路を設計し、回路図を作って部下の鳥井に渡す。もちろんその前に、必要な部品や定格などの計算・検討は済んでいる。 実装や筐体などの構造は、イチから鳥井にやらせてみた。5年目になる鳥井は俺の回路図から最適な部品の配置を検討する。熱に弱い部品を発熱体の近くに置くことは、寿命の低下を招き、ノイズを出す部品や、ノイズに弱い部品の配置を誤れば、誤動作の元になる。そして、生産性と保守性の高さ。どんなに性能が優れていてもこれらの作業性が悪ければコストが上がる。これらを年々厳しくなる小型、軽量化のニーズに応えて実現する。その設計の難易度は上がる一方だ。
 今でこそ3D-CADといった類の三次元でシミュレーションを行いながら図面を描ける設計ツールがあるが、当時は経験とセンスが技術力の一翼を担っていた。どんなに勉強して知識を磨いても経験とセンスが悪ければ良いモノは出来ない。「頭でっかち」では良い設計はできない。良い設計ができないとどうなるか?答えは簡単。モノだ。製品へと繋がる試作品ではなく、モノというガラクタとなる。そうなっては全て「やり直し」だ。つまり試作品をいかに完成度高く設計できるかで、開発計画、コストは大きく変わる。そして他社よりも先んじることが出来る。
 試作品は、目的とされたスペックそして機能を満たすかを確認する機能試験だけでなく、寿命を確認する温度上昇試験や、誤動作の無いことを保証するためのノイズ試験など、多種多様な試験を行う。その中には「そこまでやるか?」と誰もが思う「過酷試験」も含まれる。これらの試験は、社内基準を満たさなければ合格とはならない。そして、社内基準は、国や業界が定めた基準より遙かに厳しい。それが日本の品質を支えてきた。と俺は思うし、その厳しさが設計者泣かせであっても、ある意味メイド・イン・ジャパンを設計している誇りにもなっている。と誰もが感じている。そういう雰囲気の中で仕事をしてきた。
作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹