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尖閣~防人の末裔たち

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14.帰郷


 7月の最終金曜日の茨城県日立市。いつもながらに夕方の渋滞が発生している海沿いの国道245号線。この国道を南へ向かって地形に沿って登り下りを繰り返してきた車の列はしばらく高台を走ると左手に灯台が突き出しているのが見える。その水木灯台を過ぎて間もなく海側の視界が開けて日立港の一部を見下ろすことができる。普段は何気なく視界の片隅に置き去りにして誰も気に止めない日立港だったが、この日は灰色と白の大きな山のような2つの塊の存在に、視界の片隅の変化に気づく者も多かった。そして大多数の人間が明後日に毎年恒例の日立港祭りが明後日開催されるのを思い出すのだった。2つの山のような塊は、日立港祭りの常連であり、目玉でもあった。

 灰色の山は海上自衛隊の護衛艦で、横須賀を母港としている第1護衛隊群第5護衛隊の護衛艦「さわぎり」だった。「さわぎり」は「はつゆき」型の拡大改良版として建造された「あさぎり」型護衛艦で全長が7m拡大し、基準排水量は500t増加していた。低い艦橋とその後ろに艦橋の倍はあろうかと思われるほどの巨大なヘリコプター格納庫を備えており、通常の搭載ヘリコプターは1機だが、緊急時には2機のヘリコプターを格納できるようになっている。均整のとれたデザインの「はつゆき」型とは似ても似つかないまるで大きな箱を背負っているようなその外観は、ファンの間でも好みが別れる程の特徴的な艦である。
白い山は宮城県塩釜港を母港としている第2管区海上保安部のヘリコプター搭載巡視船「ざおう」だった。「ざおう」は佐世保経由で尖閣諸島へ応援に向かう途中で、休息も兼ねて日立港に立ち寄っていた。
2隻は共に明後日の日曜日の日立港祭りで、船内公開と体験航海を行う予定だった。

海上保安庁の巡視船「ざおう」からは、休暇を貰って荷物を抱えて降りてくる者と、サンダルが似合う夏の夕方にぴったりのラフな格好で降りてくる4、5人のグループが足早に遠ざかっていった。いずれも既にタクシーを呼んであって、荷物を抱えた者は数人で相乗りし最寄りのJR大甕(おおみか)駅へ向かい、グループの者は伝え聞いた飲み屋に向かってタクシーに乗り込んでいった。
ヘリコプター「うみばと」の同僚から満場一致で無理矢理休暇をとらされた倉田昇護は、他の部署の3人の帰省組に混ぜてもらいタクシーに相乗りさせてもらって大甕駅に辿り着いた。土産を買って帰るからと言い、他の3人と別れて独りになった昇護は、駅のロータリーをぐるりと見渡す。何も変わらないな。というのが久々に訪れての感想だった。学生の頃は日立港祭りにPLH(ヘリコプター搭載大型巡視船)が寄港したときは大好きな海上保安庁のヘリ目当てに大甕駅で下車して日立港まで歩いて行っていた。
夢がかなって展示を見に来る側から展示する側に立場が変わった昇護が大甕駅に来たのは海上保安庁に入ってからは今回が初めてだった。
地元の大手電機メーカーのモーターを型どった最中で有名な老舗和菓子屋の隣にある洋菓子屋グランバードは昔と変わらず健在だった。巡視船を見に来た時に一度だけここの焼き菓子の詰め合わせを母への土産に買って帰った際に、母がいたく感動していたのを思い出した昇護は、母用と、恋人の美由紀用に購入した。確か美由紀も美由紀の母も焼き菓子は好きだった筈だ。だいたい焼き菓子が嫌いな女性はまず居ないだう。フィナンシェとマドレーヌとクッキーをチョイスして詰めてもらった。
駅のホームに立つと、大きな違いに気付いた。昇護が知っていた大甕駅には、JR常磐線の他に、常陸太田市から日立市鮎川町を結ぶ日立電鉄の電車が走っていたが、今はその姿はなく、赤い日立電鉄の電車が並んでいた場所は駐車場と化していた。上りホームで普通列車を待つ昇護の前を見慣れない特急列車が通過していく、それは、白に限りなく近いピンクで全面を塗られたボディーに薄い紫と赤のラインが引かれ、地元茨城県の梅の名所である偕楽園の梅をイメージしたと言われるカラーリングをまとい、強く傾斜した曲面で斬新な面構えをした新型特急E657系だった。昇護に馴染みのある常磐線の特急列車といえば、白地に細く濃い緑のラインが引かれた651系スーパーひたちや、地元観光地を赤、青、黄、緑、橙のイメージカラーで表し、編成毎にそれぞれ身にまとうイメージカラーが異なるカラフルなE653系フレッシュひたちだったが、今年3月のダイヤ改正で常磐線の特急列車は全て新型のE657系に置き換えられていた。
駅の風景、走る列車が変わったことに時の流れを感じ、思い出に浸っているうちに上野行きの普通列車がやって来た。夏休みのためか、夕方の割りには、座る場所がちらほら見える車内で昇護は左側の列に座った。土浦駅には母親が迎えに来てくれることになっているので、ポケット時刻表を取り出して到着時刻を調べる。到着時刻を母親の携帯にメールで送信すると、ぼんやりと時刻表を眺めていた。仙台で航空科の教育を受けていた頃は、土浦の実家へは常磐線の仙台発上野行きの特急スーパーひたちを使っていた。東北新幹線で上野まで行き、常磐線で土浦へ帰る方が時間的には早いのに。と、よく周りから言われていたが、乗り換えが好きではない昇護は、仙台から土浦まで特急スーパーひたちを好んで利用していた。また、都会的な雰囲気の仙台からだんだん寂しい雰囲気の福島、茨城の海岸線を通り、日立、水戸、土浦へとだんだん大きな街へ変化していく車窓が昇護のお気に入りでもあった。
そんな車窓を思いだした昇護は、改めて時刻表を見る。土浦の到着時刻を調べるために、「いわき-日立-水戸-土浦-上野」というタイトルのページを開いていたが、ふと、いわきから北の懐かしい路線はどうなっているのかと思い、ページをめくる。「いわき-原ノ町-岩沼-仙台」というページはすぐに見つかった。かつては所狭しと時刻が刻まれていたであろうそのページは変わり果て、灰色で塗りつぶされた部分に目が引き寄せられた。いわきから北に駅名を追っていくと「いわき駅~広野駅」は白地に時刻が記載されていたが広野駅以北の木戸駅から原ノ町駅以南の磐城太田駅までの10箇所もの駅が灰色に塗りつぶされており、時刻も記入されていない。駅名の隣に記載された「東京からの営業キロ」を見ると「広野238.2、原ノ町292.7」とあった。その2つの距離を頭の中で引き算してみると、実に54.5kmの区間が不通となっていた。そこは、東日本大震災による津波と原発事故により復旧が困難となっている区間だった。震災後JRが鋭意復旧を進めてきたことは新聞で知ってはいたが、今のところ広野までが限界なのだろう。そしてその北の「原ノ町駅~相馬駅」の間は再び白地に時刻が記載されていたが、相馬駅以北は再び灰色に塗られ、そこには「駒ヶ嶺駅~山下駅」の4駅が記されていた。距離にして22.6kmが不通になっていた。その北の浜吉田駅からは何事も無かったかのように仙台までの時刻が白地に並んでいる。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹