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一歩通行に騒めく騒音

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揺られ、揺られる。動く電車は線路に沿った動きしかしないはずだが、自身の重さや、乗客の重さに負け、上下左右に揺れる。脱線しないギリギリの揺れが車内に響いているが、そこに恐怖や焦りなどの不安要素を感じるものはいない。幻影のように揺れ続ける電車がこのホームを通り過ぎ、先の駅に向かう。黄色い踏切が耳障りな音を発し、車輪と線路が擦れ合う音が不協和音となって善弥の体を刺激する。どうもしっくりこないこの不協和音をなぜこれまで数十年に渡り放置しているのか、善弥にはかなりの疑問であったが、電車が通り過ぎた後に訪れた踏切だけの音は確かにこの廃れた町駅の香りを増幅させていた。電車が通り過ぎた後の一瞬のためにうるさい複合音は鳴り響く。
 
 「どうも今日の天気は気に入らないな。どうしてこうも晴れているんだ」
「そりゃあ、あんたの旅出だからに決まってるじゃないかい。なんだい?それとも空に曇って、雨の一粒でも降ってほしかったんかい」
隣にいたおばあさんは善弥の近所の人で、今日は唯一の見送り人だ。なんとも狭いこの街でなんとも狭い関係しかここにはないのだ。昨日ふったやかましい雨音とその名残の水たまりが恋しく見える。笹のような草にしがみついていた水滴がすっと離れ、水たまりに落ちると生み出した波紋がこちらまで伝わってくるようで、右手に持っていた傘を咄嗟に開きたくなる。
「雨なんて都会の人間様は大嫌いさ。うちら農民にとってはそりゃあたいそう恵みの雨だ。特に今年は雨が少なかったから、みんな昨日は喜んでいたさ」
「僕は雨が嫌い。あんなにうるさくされたんじゃ、静かに本も読めやしない」
「そう思うのはあんたが都会の人間向きだからさ。だからとうきょうへ行きたいって言ったんじゃないんか?」
腰の折れた体は稲刈りの時の姿そのままで、長年目に映ってきた普通の風景を形容する。田舎を表すどんな形容詞もこのシルエットには勝てそうもなかった。
「とうきょうへ行ったらこの田舎を表現できる言葉が見つかるんかな」
あ?なんかいったかね、とおばあさんが歩きながら善弥に聞いたが、善弥はただ駅に向かった。

 見える景色は見慣れたもので、流れる音は聞きなれた草の音で、ここはやはり故郷なのだと実感する。座ったベンチでさえもその肌触りが懐かしく思え、張られているポスターもそういう顔をしている。ここまですべてのやつらがそういう色をしていると、ただ一色で塗られたキャンパスのようで味気なく思えるのだが、自分の手元にある羽田行きの航空券と黒いスーツケースだけが違う色をしているようで、周りの景色はかろうじて色彩豊かな田舎を演出していた。ぎしぎしと座る場所を変えるたびに音を出すこのベンチもきちんと色を出している。
「もうすぐ電車が来るが、お母さんに何か伝えておくかい?」
「いいえ、何も。あの人はまた反対するだけです」
「そんなはずあるかい。とうきょうへいくお金も出してくれたんだろう?陰では応援してるのさ」
げへへという表現が一番似合う笑いをしながらおばあさんはそういった。客観的に見ればその通りなのだ。心からの反対ならば金など出さず、ましてやわざわざ飛行機のチケットまでとったりしない。しかし、その本当は応援してるけど反対するのが親の務めと察してほしいというような言動が善弥には理解しがたかった。善意の行動の向こう側の意図を読んでしまい、すべての根源に悪を考えてしまう。とうきょうへいこうと決めたときからそういう考えが表われ始めた。
「あんたが何を考えて何をしたいかわしにはわからんが、少なくともここはあんたの故郷だ。いつでもかえってこい」
おばあさんはそう言い残して駅の入り口で善弥と別れた。広く開けられた改札への道がやけに寂しそうにこちらを見ている。周りには人がいない。駅員もいない。そういう小さな駅だった。そしてそこに一人いる善弥はかなり小さな人間であった。止まったままの時間がこの駅を包んでいる。その反する時間の中で善弥はひたすら思考した。これから、とうきょうで何をするのか。とうきょうは自分を受け入れるのか。はたまた、自分はとうきょうを受け入れられるのか。

 止まったままだった駅に時間が流れた。唐突に流れ始めたアナウンスにより、電車の到着が伝えられる。あと少しでこことも別れだ。飛行機まで時間はかなりある。その気になればあと二つ電車を待ってもいい。だが、この小さな駅でやれることなど限られており、善弥の周りは既知の物しか並ばなくなっていた。黄色いポスターはそのシミさえも善弥の視界の一部と同化しており、何を見てもまたあれかと感想を繰り返す。
 電車がやってきた。ゆっくりと進む電車は善弥の前で止まり、扉を開いた。何ともあっけない別れだ。生まれてからこれまで過ごしてきた故郷とはこんなにも簡単にサヨナラできるのだ。善弥はあっけなく開かれたとうきょうへの道を疑うことなく進んだ。車内は予想通りすいている。乗客は一人だけ。それも人間でもない。猫だ。この車両の向こう、一番ドアの付近にいる。白い床にその黒い体が映える。
 扉が閉まると、やはり乗客は猫と善弥だけだった。
 
 電車が進んでいくにつれて生じる騒音は大きくなり、だいぶ古びたこの車体にもその揺れが響いてくる。善弥は猫に近づいた。猫は興味がないかのように外を見ている。次々に移り変わる景色の中に彼の仲間でも見つけたのだろうか。緑と青が混じり、田んぼと道路が混じる。
 一瞬暗くなったと思うと車内は一瞬だけ静かになった。とても短いトンネルが、電車の周りに漂っていた騒音をざっと取り払ったかのようだった。一瞬の暗闇の後の光は少しまぶしく、善弥の目を小さくさせ、猫は外から目をそらした。そのそらした目が善弥のもとに向けられた瞬間、猫は自分ではない存在に初めて気づいたかのように逃げ去った。この車両には善弥だけになってしまった。
 
 席に座り、少し時間がたった。もう少ししたら善弥の実家の付近だ。窓に映る景色が普段のもので、家に帰るような気になったが、これは旅出なのだ。新しいとうきょうへの。
 その時、田んぼの少し高くなっているところに人を見つけた。見覚えのある赤い帽子、赤い靴。向こうに見える家もみたことがある。とてもきれいな日本の原風景。ここまで懐かしいと感じられる場所はここ以外にやはりないのだ。
作品名:一歩通行に騒めく騒音 作家名:晴(ハル)