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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

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《r rkh.i rn.nw nTrw imy dwAt, r rkh.i rn n Tn――我、冥界のうちにある聖なる者どもの名を知るために、我、汝らが名を知るために。》
 月属の性質を唱えるその術は、やはり言葉を重ねるほど何かが身体を重く圧してくる。肺が締め付けられ息苦しい。しかし掠れさせてはならない。その声の威厳を闇に深く刻み、届けなければならない。
 デヌタの歩みが止まった。キレスのもとへたどり着いたのだ。位置の狙いは外れていないはずだ、しかし間に合うか――。
《i, sbAwy Xkr Hr DADA nswt, nb Swty m DAdw――おお、王の頭上に輝ける双星、謁見の間にまします二重の羽毛の主たちよ。》
 槍杖が静かに手元に引かれる。焦りが次第に声を大きく響かせた。
《wn n.i, awy.Tn bnty-aAwy――我がため開け、大いなる狒々。汝らが腕を。
 Hr bw pw dSr mr.f m rn n "imy-wt"――"イミウト"の名に於いて彼が望む、その赤の場に……》
 そうして彼はついに結びを声する。
《wp irk Tn! ――うち開け!》
 その時だった。まるでその声に応じるかのように、前方からどっと冷気が押し寄せ、視界を白く染め上げた。
「っ!!」
 ケオルは伏せたまま顔を覆う。激しい冷気。皮膚に細かなガラスの破片がいくつも突き刺さるかのようだ。冷たさを通り越して肌が焼けるように熱く感じる。
 幸いにも爆風は一瞬で収まった。白い息を吐きながらケオルは恐る恐る顔を上げる。
 ……静かだった。薄闇の中を散り散りになった白いもやが覆い、そのうちを冷粒がちらちらと漂うのが見えた。
(術は……うまくいったのか?)
 霧覆う闇の中、彼は必死で目を凝らす。術が成立していれば、敵は開かれた空間に呑まれたはずである。北で試したとき、こちらから異界への路を開けたものの目的地への接続が不十分で、移送にはかなりの危険を伴うと知った術。それを、彼は今その不十分さをもって攻撃のすべとした。術の未熟さを逆に利用したのだった。
 冷気が闇を白くかすめるその向こうに、敵の姿を認めることはなかった。うまく呑みこみ退けられたのか、完全に呑み込むことが出来なくとも致命傷は与えられたのではないか。ケオルはきしむ身体を引きずりどうにか立ち上がると、地に倒れる影を注意深く探った。やはり敵は見あたらない。石畳の上にはキレスの姿だけが残されている。
 しかしそれを目にした途端、ケオルははっと息を呑む。
 様子が違う。あの黒々とした影はなんだ。キレスの身体をねっとりと覆い、そこから白い石の上を静かに滑り広がる黒。
 血だ――蒼然と立ち尽くし、ケオルはまさかとつぶやいた。瞬きも忘れ見開かれた目に映る、多量の黒い影。
(そん、な……)
 間に合わなかったというのか? 何かがじわりと喉に這い上がり絡みつく。信じたくない。危険すぎる賭けであったのだ、それは分かっていた、けれど――。
 ぞっと背筋が凍りつく。あの時、十年前のあの時に、キレスを見捨て一人で逃げた記憶が鮮明によみがえる。そしてまた、お前さえいなければと叫んだ自身の声が脳裏を響き渡る。白い息が、小刻みに吐き出された。
 ――いや。ケオルはそれらを振り払うように激しく首を振る。まだそうと決まったわけではない、まだ――。
 彼はふらりと足を踏み出した。確かめねばならない、まだ、わからない。確かにするまでは……そうしてキレスの元へ向かう。
 が、そのとき。突然、鈍い衝撃が背を襲った。
 ケオルの目はふたたび大きく見開かれ、虚空を見据える。背に突き立つ氷の槍杖が月明かりに仄光をたたえ、それはまっすぐにケオルの腹部を貫いていた。
 がくりと膝が落ち、仰け反るようにして槍杖から解かれるとそのまま、ケオルの身体は重い荷を落とすようにどっと地に伏した。声ひとつ漏れず、ただその身から湧き出る影がじわじわと地を這いゆく。
「ハアッ、ハアッ、……」
 デヌタは先を黒々と染めた自身の槍杖を地に衝き立て、それを支えに立った。肩が大きく上下する。ぼとぼとと音をたて彼自身の血液が足場を黒々と染める。地に立つ足はひとつきりで、もう片方は大腿から下をそっくり食いちぎられるように損失していた。
 デヌタは低く呻いた。激しい痛みが視界を霞ませる。意識が徐々に閉じられてゆく。
(ここで果てる、わけには……)
 あの瞬間――術を唱えられていると気づいたそのとき、彼はとっさに自身を――四属高位者が成せる一体化のすべをもって――氷粒に代えたが、ほんの僅か遅れをとった。通常の知属の術であればこれほど警戒することはなかった、しかし厭な予感が的中した。それでも、完全に避けることは出来なかったのだった。
 激しい吐き気とめまいが襲った。これ以上長くは意識を保つこともできそうにない。
(ま、だ、終って、は――)
 しかし、ぐらりと体が揺れ、意識の薄弱に応じるように槍杖がその形を失う。長髪が扇のように広げられ、身体が地に向かう――と、地に着くが早いか、白霧がたちのぼりその身を包み込むと、あとかたなく消し去った。
 風もない夜だった。うっすらと霧が残る塔門前の石畳は、冷え切った空気に霜がかったその表面を、月光にちらちらと瞬かせていた。