小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

睡蓮の書 四、知の章

INDEX|27ページ/48ページ|

次のページ前のページ
 

中・知ること・3、往にし方の



 知属のもつ言葉の力。その根源を求めるとき、ヘジュウルについて触れずにはおれない。
 王ウシルの下「力ある言葉」を用いて世の事象を操ったと言われるその存在は、古い書物にわずか言及されているに過ぎない。ケオルは自身の研究の延長でたびたびそれに触れてきた。そうして何度も繰り返し目にするうち、まるで統一性のない人物像に、対ともいうべき傾向があると知った。
 変わりゆく人の心を憂い、気遣う声。未来を推し、揺れ動く思いの交差に迷うもの。
 変わりなき事実を見据え、決断する声。過去を知り、定められた道を指し示すもの。
 相反した人格描写。それはまるで、望まぬ事実を目の前にしたときの心の葛藤を示すようだ。事実に重きを置くか、それとも、それを知ることで与うるだろう影響に重きを置くか――。
 創世のとき、世界の秩序を整えるそのときに、王ウシルは多くの選択を迫られてきただろう。その決断に際し、彼を傍で支えるものがあったに違いない。それが、二つの相反する視点から正しく事象を捉える助けをしたればこそ、今の「世界」が、その秩序が成ったといえるはずだ。
 昨夕、あの樹の下でキレスの言葉を聞いた瞬間。赤い鳥が冥王ウシルの魂と気づいたとき。ケオルははじめ漠然と兄フチアを思い浮かべていた。根拠のない連想である、ただイメージされる色が同じなのだ。――またそれと同じように、その鳥が唯一停まるという柳の樹が、兄の友人であったキポルオと結び付けられた。キレスがそう呼ぶためだ。
 にわかに浮かび上がる、南の年長者たちの姿。ジョセフィールと、共にある二人の友人たち。
 常に三人だった。兄たちを結ぶのはジョセフィールである。彼をおいて二人でいる様子を見た覚えがない。
 ケオルの脳裏に刻まれた三柱の様子と、あの、第51節の示す図――日輪を負う、双頭の神。上天と下天の境である地平――「アケル」。
 対のものが、あるものを中心に左右にある、三位一体の図。
 イメージの相似。互いにどうしようもなく引き付けられるというように、それらが重なり合おうとする。ケオルはまさかと思った。重ねてよい筈がないと、否定の理由を明確にしようとした。しかし――これまでとはまるで逆に、そこには確実に否定できる要素が見当たらない。それどころか、予期せぬところから次々と、それを補い確かにしてゆくものばかりが見えてくる。
 目を逸らそうとしてもできない。もう、どんな誤魔化しも、通じない。
(そうなんだろ……)
 ケオルはその瞳で、兄をじっととらえている。
(兄貴、ほんとうは――)
 フチアはそれを、ただ無言で受け止める――いつものように。
 陽が西の山に隠れると、射光は遮られ、ただ橙の空が格子窓に切り取られるばかり。部屋は、薄暗かった。青灰色の影のうちに、二人の兄弟の姿が溶け込んでゆく。
 フチアがしずかに目を伏せた。そのとき、ケオルにはその口元が笑ったように見えた。
 兄が笑うのを、彼はほとんど初めて見たような気がした。なぜ、今、笑うのだろうとケオルは思った。彼は確かに、兄の笑みを見たいと望んでいた。自分に対して、よくやったなと認める言葉と共に、そうすればどんなに――けれど、今の兄の笑みはそれなのだろうか。そうだとしても、ちっとも嬉しくなどない。
 そうだ、こんなことは初めてだった。問題を解き明かすこと、答えをつかむことを、何より望んでいたはずだ。そこには達成感と、ときには、より広く物事が見えるようなすがすがしさがあるものだった。……だが、今は違う。答えをつかんだという瞬間、いや、それに近づくにつれてじわじわと重たいものがのしかかるような気持ちになるなど、これまでなかったことだ。
 知ることを、これほどまでに恐れたことは、なかった。
 真実を、たしかに知りたいと願いながら、それをまた遠ざけたいと思ったことなど――。
「そうだ」
 フチアが声した。
 再び、兄の眼がこちらを捉える。その紅は、灰色の影に混ざり合うかのように、すこし掠れて見えた。
「我は往にし方の記憶の保持者。大いなる銀の鬣《たてがみ》、以てヘジュウルと呼ばれしもの」
 その声はまるで聞きなれた兄のものではなかった。それを自身の耳で聞いたかすら、定かでない。
「原初の性質を語るこの舌により、王ウシルの意思を実現するもの」
 低く告げるその声は、灰色の影そのものから生み出されているようであった。
「わが王の存在を冥界に留めしむその肉体を、あらざるべき地上へと晒しあげし冒涜。よりて我ら憤激のもとこれを取り戻さん」
 聞くうちに、声も形も、何もかもが曖昧に、その影のうちに溶かされ、世界はただ灰色に染め尽くされていく。
 やがてその灰色が、ひとつの巨きな影であると知った。それは、白銀のたてがみが外套のように悠然と身を覆う、偉大な狒狒《ヒヒ》のようでもあった。
「王、その理《ことわり》を掲げて曰く、『我が門を通過せしもの、再びそれをくぐることあらざるべし』と――よりて“我ら”のここに仮現す」
 ひとつの色なき色、そればかりが世界を呑み込んでいた。声が――フチアのものであってそうではない、どこかから遠く響くような、その言の葉の連なりが、その色を生み出し、覆い尽くしてゆく。
 体中がそれに満たされる。その音が、臓腑のすべてに行き渡る。同じ色をした世界、その闇に、自身もすっかり呑み込まれ、それとひとつになってしまった。あるいは意識が丸ごと、ここではないどこか、ずっと遠い世界の果てに、置き去りにされたかのような感覚。
 そうして、ケオルは意識の彼方で“体感”した。
 それは言の葉で紡がれる、創世の時。ヘジュウルのもつ叡智、その源である、「往にし方の記憶」の再現であった。


   ウシル、原初を食らいしもの。
   原初の水より自ら現れ出でしもの。
   留まる時を飲み下し、よりて時を流動せしめる「永遠の主」。
   彼は言う。「見えざるものあり」、よりて原初のひとつをペテハとす。
   彼は言う。「留まるものあり」、よりて原初のひとつをケネムウとす。
   彼は言う。「成らざるものあり」、よりて原初のひとつをトゥムとす。
   彼は言う。「知らざるものあり」、よりて原初のひとつをアムンとす。

 色のない世界から生じる、ただひとつの兆し。
 ウシルによって四つの不在が定義され、そこから対となる“存在”が分かたれると、天と地が、光と気が生み出され、そうして、世界がその形を成した。そこに精霊のようなものが満ち、それらが交わって初めて人の姿をとるのだった。 
 しかし、ウシルによって分けられた“不在”の闇は、常には遠ざけられていなかった。ウシルが疲弊すると闇が空を覆う。ウシルが休息し、力を蓄え、再びそれを退ける。そうした時が、繰り返されていた。

   闇に喰われ、滴る血液が地を流れる。ウシルはその流れがやまぬようにした。
   闇に追われ、怒れる眼光が天を渡る。ウシルはその渡りがやまぬようにした。

 日に日に闇は大きくなる。分かたれたものと再びひとつになり、原初の混沌へと帰さんとするように。