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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 四、知の章

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 謁見の間で対したラアは、強く、ゆるぎない瞳をしていた。戦い抜く自信の表れなのか、しかし、その根拠をヤナセは知らない。同じものを持ちえない、その苛立ちもあるのかもしれない。
 ラアはたった一人で、もう何もかも決めてしまっているかのようだった。戦は一人で成すものではないはずだ。しかしなんの相談もない。
(皆、見ているものがばらばらに感じる。取り越し苦労であればいいんだが)
 そして、もうひとつは、ジョセフィールのことだ。
 彼とは共に神殿代表として、戦後から十年間、毎月一度は顔を合わせ、言葉を交わしてきた。気さくに何でも話しはしたが、思えば独特の距離感があった。いつも笑みをたたえているが、決して内側を見せない。議場でも彼が感情をあらわにしたことはなかった。親疎が曖昧だったと、今となれば思う。
 その彼が、生命神を救ったという事実。
 敵に与したともとれるその行為は、裏切り以外の何ものでもない。しかしそれに対し、みな寛容すぎはしないか。
 シエンは、それは王の裁くところであり、自分には分からないと言った。確かに、四大神とはいえ王に従たるもの。王の決定こそがすべてである。
 では、王であるラアは。それについて問うたとき、なんと言ったか。彼は自身の役を全うしているのだと、ただそれだけだったのだ。
 それは、ジョセフィールが――彼自身が語ったとおりに――生命神同様、ラアの命をも守る存在であるためだろうか?
 ジョセフィールは言った。月が、それを求めたのだと。
 彼自身の命を脅かすかもしれぬ存在を、生かすという選択。それをさせる「月」とは、いったいどのような存在なのか。彼にとって、わが身よりも重要な存在であるのか。それとも……彼は、その選択のために命を奪われる恐れがないと、確信しているのか。
 たとえば、生命神が彼にとって、敵ではないとしたら――
 幼子の声に、ヤナセははっと顔を上げた。見ると、廊下の先、ケオルが立つその傍の柱の陰から、ころころと毬が転がり、それに続いて幼い息子がたどたどしい足取りで姿をあらわした。
 まだ歩き出したばかりの幼子が、今にも転びそうな足つきで目の前をふさぐので、ケオルは支えるべきか戸惑いながら手を伸ばしている。その慌てた様子に、ヤナセはおもわず笑みをもらす。
 と、そのとき。幼子の母親である妻ヒスカが、さっと駆け寄り、わが子を抱えあげた。ケオルの手を避けるように。
 ヤナセは息を呑んだ。妻ヒスカの、おびえきった表情。ケオルには背を向けているので見えてはいないだろう、しかし夫である彼には、彼女が体中で警戒しているのが分かった。
 すぐに駆け寄り、落ち着くように肩を抱いてやる。しばらくそうしてから、ヒスカは促されるままその場を後にした。
「ヒスカ、調子悪かった?」
 ケオルがたずねる。ヤナセは大丈夫だとだけ答えた。
「なんか、あっという間だな。イオクスがもう歩けるようになるなんて」
 立ち去る母子を眺めながら、ケオルはしみじみとした様子で言った。ヤナセもどうにか笑みを浮かべてみせる。――気づかなかったのなら幸いだった。ヒスカはおそらくケオルをキレスと思い込み、そのためにああして怯えていたのだ。
 あの日から、妻ヒスカは精神的に不安定な状態が続いていた。……いや、その前、敵襲のあったあの夜。千年前の出来事を知らされたそのときから、兆しはあったのかもしれない。
 この戦そのものの引き金ともなった月。また十年前のあの戦の原因でもあった月。
 月が、……キレスが、生まれていなければと。彼女がそうこぼしたのを聞いたとき、ヤナセは我が耳を疑った。信じたくなかったのだ。ひとの生を否定するような言葉を、安易に口にする女性ではなかったはずだ。
 治癒に関する力を求め、彼女は多くの命を救おうと奔走してきた。しかしどれだけその力を用い、心を砕いて治療を施しても、戦のたび負傷者は増え、甲斐なく亡くなるものもある。
 それでもできる限り救うのだと、そう意気込んでいた彼女は、しかし子を産んでから、少し意識が変わったのかもしれない。傷ついたものを回復させるのでは、間に合わないのだと。わが子のことを思えば、傷つくことそのものを避けさせたいと、そう考えたに違いない。
 しかし無情にも戦は目前に迫り、幼いわが子をその脅威から完全に引き離す方法はない。それに対する激しい無力感を、彼女は覚えたことだろう。
 ヤナセは思わず息を吐き出した。やりきれない、たしかにそうだ――。
「……どうかした?」
 ケオルの声にわれに返る。ヤナセはもう一度笑みを作ると、
「いや、今日はお前かと思ってな。わざわざ別々に来ることもないだろうに」
 そう言って、歩くよう促した。
「ああ、キレスか。今は寝てるよ、俺の部屋で」
「なんだ、部屋をのっとられたか?」
「今日も昨日も一昨日も……ほんと、のっとる気かも」
 ケオルがため息混じりにそう言うと、ヤナセは声を立てて笑った。
「しかし――よく隠し通したものだな」
 ずっと東に住み、学校でケオルと知り合ったヤナセだが、弟がいることなどまったく知らなかった。
「敵を欺くには味方から、とはよく言ったものだ」
「俺も苦労したんだよ。学校に出る前に父さんに術かけられて、それらしい言葉を封じられて。――もっとも、そんな術かけられなくても、言いたくなかったけどね」
 用意は周到だった。当然そうだろう。
「それにしても、記憶の封印がお前にも及んでいたとは驚きだったな。ということはやはり、フチアもなのか」
「そりゃあそうだよ。覚えてたらほっとくわけないだろ」
「どうだか。そもそもお前に対しても、あまり兄らしく振舞わないようだからな」
 そう言うと、反論の余地がなかったのだろう、ケオルは黙ってしまった。
 ヤナセはもちろんそれを疑っていたわけではなかった。だが事実、フチアは他者にはもちろん実の弟に対しても、あまり関心を払おうとしない。それでも慕おうとするケオルの様子は、外から見ると不思議でならない。一言いいたくもなる。
「兄貴いつもあんな感じだからさ……」ケオルがぽつりと言う。「あの夜、北の襲撃を受けたときも、なかなか参戦しないし……何考えてるのか知らないけど、あれじゃあ誤解されても仕方ないよな。勝手だよ、昔から」
 そしてふうっと短く息を吐くと、こう加えた。「でも、理由はあるんだと思う」
 ヤナセは小さくため息をつく。兄のそうした様子をもって誤解と言い切ってしまうところに、根が深いものを感じさせる。
「先日シエンも指摘していたが。お前のその、兄への絶対の信頼感は、どこからくるんだろうな」
 そう言って、ヤナセは笑みともいえない複雑な表情を浮かべると、すっと遠くを見た。
「……生命神が現れた夜――」
 そうして声色低く、語る。「あの戦で、一人、犠牲があった」
「シエンから聞いた」ケオルがうなずく。「ホルアクティ神も辛かったろうな。たった一人の肉親だったんだ……」
 ヤナセはぴたりと足を止め、怪訝そうに瞬くケオルを見据えると、
「言わなかったろうな――シエンは」どこか自嘲気味につぶやく。「だが私は違う」
 そうして彼は、表情険しく告げた。
「ラアの姉を殺したのは、お前の兄。フチアだ」