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拝み屋 葵 【参】 ― 西海岸編 ―

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 *  *  *

 翌朝、化け猫は刺客であった連絡員と狙撃手を捕縛し、安全な場所に運んでいた。
 地面むき出しの峡谷地帯が見渡す限り続き、空には雲などなく、容赦なく太陽が照りつける砂漠気候。コロラド川が流れる峡谷の底は、遙か千メートル下だ。
 アリゾナ州北部に広がるグランドキャニオン。
 アリゾナは、カリフォルニアの東、メキシコとの国境線に沿って内陸部に移動したところにある。

 化け猫が尻尾による緊縛を解くと、狙撃手であった男は一目散に走り出した。
「止めぬのか? あの者は死んでしまうぞ?」
 何の装備も持たない身体一つの状態で、ここグランドキャニオンから生還できる確率など、計算して答えをはじき出す方が愚かしい。
「貴方だって、止めないじゃない」
 元連絡員の女は、無気力に言葉を搾り出す。
「自らの意思で往かんとする者を制するは、野暮というもの」
 化け猫は、自らが自由気ままに生きるように、すべてを流れ行くままに、それぞれの自由意志に委ねることにしている。
「私はこれからどうなるの?」
「汝は生き証人である。この場所に留まること即ちそれ……」
「いいわ、証言してあげる」
「む、それは話が早い」
「その前に、一つだけお願い。彼を見殺しにしないで」
 走り去る男の背中は、すでに米粒のように小さい。
「汝の目の前に道路を横断しようとする猫属の者がいたとする」
「いきなり何?」
「汝は、猫属に声を掛け、横断を中止させようか? 行き交う車を止め、横断を手助けしようか? それとも……」
 多くの人間が選ぶのは、第三の選択肢『どちらもしない』だろう。
「彼を見捨てるというの?」
「見捨てるのではなく意思の尊重である」
「そんなの詭弁よ」
「考えてもみよ、あの男が吾輩の言に耳を貸すとは思えぬ」
 化け猫の説得が通じる相手ならば、問答無用で逃げ出したりはしない。
「だが吾輩、汝には一つ借りがあるのである。恩を返さぬは猫属の恥にあたる故、男のところへは連れて行こう。説得は汝がせよ」
「ありがとう」
 元連絡員の女には、もはや魔性そのものに対する憎しみはない。そうでなければ、感謝の言葉など口にするはずはないのだから。
 魔性は人の心から生まれる。人はそれを乗り越えることで成長してゆく。
 では猫属である自分はどうなのか、と化け猫は思う。
 だが、愚問。
 猫か人間かの違いなどあって無きもの。
 たまたま自らの存在が魔性であっただけのこと。ただの猫であれば、同じように魔性を恨み、生涯呪い続けただろう。
 主の名を決して忘れぬという誓いは、他ならぬ魔性によってもたらされたもの。ならば、魔性に対し憎悪を向けることは、自らの存在だけでなく主への愛をも否定することになる。
 魔性だけを否定することが不可能であったがため、両方を受け入れるしかなかっただけのこと。化け猫と元連絡員の女とでは、ほんの少し境遇が異なっていただけのことだ。

「死にたいの!? 助けてくれるって言ってるんだから!」
「化け物の言うことなんか信用できるか!」
 化け猫は、言い争う二人の人間に、まぁ落ち着けよ、と大欠伸を一つ披露してみせたが、何の効果もありはせず。
 はては犬属の所為であったか、と首を捻る。

 それでもまだ「化け猫であったのだ」と名乗り出る勇気が持てずに、“有り内な飼われ猫”であった頃の自分と、“化け猫”として覚醒した自分を同一視することを避けようとしている。

「化け物なんて呼ばない!」
「化け物は化け物だろうが!」
「ちゃんと名前があ……!」

 一度は別の名を貰うことで安易な道を進もうとした。だが、「それはダメだ」と一蹴されたことで、決意は確固たるものになったのだ。
 拝み屋としての生き方はまだ分からない。分からないが、逐一すべてを覚えておこう。魔性である自分が語り継げば、何とも滑稽ではないか。

 二人の視線を正面から受け止めた化け猫は、冷然と答えた。
「吾輩は化け猫である。名前はまだ無い」


          ― 『魔 性』 了 ―