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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅳ

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「これから少し時間あるか」
 日垣が腕時計を見ながら低くささやくのとほぼ同時に、一基のエレベーターの到着を知らせるチャイムが鳴った。職場を出る人間たちが、扉の近くへゆっくりと歩み寄る。それをちらりと見やった美紗が「大丈夫です」と小さく返事をすると、日垣は、
「この前と同じ場所で待っていてくれ。十五分遅れくらいで行く」
 と言い残し、エレベーターの扉が開く前に立ち去っていった。

 地下鉄の駅の階段を上がると、「大人の街」が煌めいていた。二度目に見るその街明かりは、心なしか、温かみのようなものを感じさせた。前に来た時よりも時間帯が遅いせいか、あるいは、十日分だけ季節が秋に移り、少し夜気がひんやりとしているせいかもしれない。
 高層ビルに散りばめられた光を見上げながら、美紗は吉谷の姿を思い浮かべた。独身時代の吉谷はおそらく、仕事帰りにこんな街を優雅に闊歩していたに違いない。華やかな中にも落ち着いた空気を抱く夜の街は、外見も中身も洗練された彼女にこそ、似合いそうだ。

「待たせたね」
 声のしたほうにはっと目を向けると、目の前に背広姿の日垣が立っていた。大通りを行きかう車のライトに照らされる彼の面持ちは、職場のエレベーターホールで別れた時とは全く違って、ひどく和やかだった。美紗は黙って日垣を見上げた。彼と合流したらすぐにでも吉谷のことを聞きたいと思っていたのに、問いを発しようとした唇は、急に動かなくなった。
 日垣は、「取りあえず行こうか」と言って歩き出した。人の多い大通りを少し行き、すぐに暗い脇道へと入った。この前は先に立って道を進んだ彼が、今日は真横に並び、小柄な美紗に合わせてゆっくりと歩を運ぶ。よく見れば、この路地裏にもいくつか飲食店があるが、客が入れ替わる時間帯ではないのか、道を歩く人間は、美紗と日垣の二人しかいなかった。
 ゆったりとした革靴の音と、少しテンポの速いパンプスの足音。それだけが聞こえる中、美紗はいつの間にか、吉谷の身上とは少し別のことを考えていた。
 この十日ほどの間、自分は日垣に監視されていたのだろうか。上から下まで人脈の広い彼なら、昼休み中ですら、一職員の動向を見張ることくらい造作もない。やはり本心では疑っているのだろうか。極秘会議に関わる一連のことは他言しないと約束した自分を、信用してくれてはいないのだろうか。ついさっき見た優しげな顔の裏に、冷ややかな視線が隠れているのだとしたら、怖いというより、なぜか、辛い。