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文目ゆうき
文目ゆうき
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睡蓮の書 三、月の章

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上・夢・3、ケセルイムハト


 
 北の神々の前に立つ、ひとりの男神。
 それが「生命神ハピ」と知るシエンでなくとも、その進む道を分け、今は背後にじっと控える北神らの様子を見れば、その人物の与える影響力の大きさが知れるというもの。
 カナスもヤナセも、身動きひとつしなかった。いや、出来なかった。力ではなく、その存在そのものが――ヤナセには、人物の周囲の大気の緊張までがはっきりと見てとれたが――遠くから動きを制してくるように感じる。こうしてただじっと、顔も分からないほどの距離をとって対峙するだけでも、消耗するほどだった。
 カナスがその抑圧に屈することをよしとせず、黄金の槍を静かに構え直したときだった。突然、カナスら三人をまるで薄い亜麻布のような光が覆ったかと思うと、一瞬後、目の前に広がっていた荒地も北神らも消え去り、そこは太い柱の囲む閉じられた場に変えられた。掘り返された地は石畳に代わり、闇に閉じていた周囲は点々と灯された火によって薄っすらと色形を浮かび上がらせている。
「みなさん、無事ですかっ……」
 カムアの声に、三人は神殿内に戻ったことを確かにする。そこは中央神殿の中庭だった。
 気遣うカムアの傍らに、神杖を手に柱廊の壁――もちろんそれをこえた先にある敵の気配に対して――を睨むラアの姿があった。結界を解くことなく、三人を同時に神殿内へと移したのは、彼の力だ。
 北神らの存在を捉えたラアは、すぐに中庭へと駆け出していた。王座でじっとしてなどいられなかった。今までの彼ならそのまま神殿を出、北神らに戦いを挑んでいただろう。ぐっと堪えることが出来たのは、何度も王の役割を説いて聞かせた、ヒキイの言葉を思い出したからだ。そしてそのひと呼吸をもてたのは、常に側にある彼の補佐、カムアの存在のおかげだった。
 王は第一に、神殿内の安全を確保し、力を持たぬ神々を守るべきであると。
 今この神殿内には、東の治癒女神もいる。ラアの姉もいる。守ることを最優先にしなければ――。
 ラアは、北神らに新たに加わった存在が他の力を優に超えるものであり、敵の主神のものに違いないと確信していた。それはひと月前、北の地下で捉えた力と同じ、水と地の属性を兼ね備えた大いなる力の主。
(生命神――。何を企んでるんだ……)
 ひと月前、精霊を用い姉をさらった男。あのとき同様、まったく目的が知れない。姉はあの後も、変わらず眠るばかりで動く気配はなかった。あのとき見たものは、幻だったのかと思うほど。
 姉が何かを持っているのか、それとも狙いは別にあったのか……? 
(どっちだって、もう思い通りにはさせない。今度こそ――)
 はっとラアが天を仰ぐ。同時にそこへ、生命神が姿を現した。
 神殿を覆う不可視の結界の上、宙に身を留める様子を、ラアにわずか遅れシエンらも見上げる。
 初めて間近に見る、生命神ドサム・ハピの姿。
 白い衣を重ね、つややかな黒髪を背でゆったりと束ねたその男神は、捉えられたその力の揺るぎないさま、強大で完成されたさまから想像されていたものと違い、年のころは二十歳前後と、まだ若い青年の姿をしていた。整った顔立ちの中で、閉じられたままの瞼が目を引く。目が見えないのだろう、彼はラアたちのいる地上を見下ろしているわけではなかった。だが、その意識が確かに自分たちを捉えていると、ラアにははっきり感じ取ることができた。
 千年前、その力で大河の氾濫を引き起こし、大地とその上にある生命を呑みこみ、疫病を蔓延させ、人々に苦しみを強いたという恐ろしい力の主。神王の座を狙い、戦を繰り返してきた神々を率いるもの。
 だが、目の前の青年からは、ラアが今まで想像してきたような攻撃的な意思――奪い取ろうとする貪欲さや憎しみのようなもの――を感じることは出来ない。そのことに、ラアは多少戸惑っていた。
 ラアだけではない。ヤナセやカナスも、生命神のまとうものが邪悪というものとは程遠い、むしろその逆に、穢れを払い去るような清らかさを感じとり、敵であるという認識が大きく揺さぶられていた。目を閉じ、その顔に感情を表さない様子は、地に息づくあらゆる命の声を聞き、それに応えようとする慈愛の相とさえ見える。
 この男は、本当に、討つべき存在なのか……?
 しかしラアは戸惑いを払うように、神杖を強く握った。攻撃の意思が感じられないからと安心が出来るか? 話し合いをしに来たとでも言うのか? ――考えられない。北神らに神殿を襲わせたのは、間違いなくこの男なのだ。
 ラアの目の色が変わる。すっと息を吸い込むと、腕を素早く上に突き出し、握っていたこぶしを開いて見せた。たったそれだけの行為が、結界の向こうに大きな爆発を引き起こす。神殿を覆う結界すら振動させたそれは、生命神ドサムの姿を完全に覆い尽くすような黒煙を生じ、それが結界の表面を走る様子が、しばらく空の代わりに映されていた。
 煙が流れ去り、結界の向こう側が徐々に晴れてゆく。と、ドサムのいた場所に、ちらちらと何かが無数にまたたくのが見えた。カムアは、星を集めたようなそれが小さな魚の群れであることに気付く。それらはまるで空中を水の中と同じように、ひれを動かしながら泳いでいたかとおもうと、ゆっくりとその姿を消し去った。ラアの力を防いだ生命神ドサムの力の現れに違いない。
 ドサムはかすり傷ひとつ負った様子もなく、先ほどと変わらぬ様子で上空にあった。けれどラアはあの一撃で敵にダメージを加えることを期待したのではなかった。敵が攻撃を防ぐ間に、不可視の結界の上にもう一層、薄っすらと光を帯びる結界の層を生み出していたのだ。
 ラアはドサムを睨むように見上げている。ヤナセとシエンは神殿の周りを取り囲むように散った北神らを意識する。迎撃態勢が整った。一触即発の緊張感が漂う。
 ――しかし、それからしばらく、北は一向に動きをみせなかった。攻撃するそぶりも見せず、何かを待つようにじっとしている。……不気味だった。戦う以外に何の目的があるのか、見当もつかない。戸惑いが焦りを呼ぶ。間を計っているのか、隙をうかがっているのか――それにしても、長い。
 ふと、ラアの目に小さな変化が映る。
 それは本当に、微かな動きに過ぎなかった。が、ラアたちの目を引くには充分だった。
 生命神ドサムの瞼が、ゆっくりと持ち上げられ、
 その目が、静かに開かれたのだ。
 だがそこには、目と言って連想されるような、円形の虹彩が白い強膜に囲まれているものとは違った。ふたつの眼窩は、深い色をしたガラスがはめられているかのようだった。足下にある結界の薄い光に照らされ、宝石のような透明の輝きを帯びるそれは、しかし命あるもののもつ潤いを見せ、幾重にも無限に重なり空間を感じさせるような、不思議な色合いを呈している。
 それは、青。
 それは昼間、頭上を覆う大気の重なりの向こう側、天空のもつまことの色。
 それは地を流れゆく恵みの水、その透明を重ねて織り上げた清浄の色。
 命をもった青の色。
 この色を的確に表現できる言葉を、ここにいる誰もが、ただひとつだけ知っていた。
 そう、それは「予言書」冒頭に記された色。
 “ケセルイムハト”の、青だった。

      *

「きゃあああ!」