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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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中・ほんとうの・4、記憶の在り処



 千年前を生きた「木」の見せる、遠い過去の記憶。
 月の血を浴びたことで刻まれ、今ここに、ジョセフィールのもつ月属の力によってよみがえる一連の出来事。
 火属と地属の確執。そこで語られるもの。
 創世の王ウシルの子、長子ハピと第二子ホルアクティ、そして末子である娘アンプの物語。
 母の異なる二人の息子。王位継承権と、不吉な予言。
 地の長の語るさまざまな疑いが、時を越えてそれを聞くヤナセらの胸のうちに刻まれてゆく。
 長兄ハピを退けようとするたくらみ、そして――月の姫アンプの「魔性」。
 医神ヒスカの脳裏に、先ほどのキレスの様子が鮮々と浮かび上がる。闇を張り巡らすように広がる黒髪、その影のうちに滲む、紫水晶の瞳。恐ろしく惹きつけられ、目が離せないもの。それが「人の心を操る」ものだとして、何の不思議もない。それほど異様な、そして、ただ目にするだけで激しく不安の掻き立てられる、あの様子――そう、あれを「魔」と呼ばずになんと呼ぶ?
 月の力は、目には見えない。そうして、人を内側から――心から、蝕んでゆくのだとしたら――。 
「これ……は……」
 ヤナセが苦しげに、声を漏らした。
「本当なのか、この――地属の長の言った事は……? 長兄を王権から遠ざけるために、『月』を差し向けた――」
「ことの真意は、わたしの知るところではない」ジョセフィールは静かに答える。「ただ、この『木』が見聞きしたものは、このとおりだ」
「……生命神が洪水を引き起こしたのは、この後なのね」
 カナスの問いに、ジョセフィールは黙ってうなずいた。
 千年前、はじめの生命神ハピがその力をもって地を水で満たし、人々を苦しめたという伝説。それは、太陽神の王位継承に異を唱え、自身の力こそ王に相応しいと見せ付けるための暴挙であったと、そう言い伝えられてきた。しかし――
 今、千年前に交わされたこれらの言葉を聞くと、その事実がまるで違う形をもって見えてくる。
 もともと自身のものであったはずの王の座。それを、ある予言のために、自ら手放したというハピ。
 月の姫を自身から引き離すことを拒み、ただそのためだけに、王位継承権を放棄したという事実。
 火属の男は、それを「ハピの狂恋」と呼んだ。地属の長は、それを「月の魔性による人心操作」であると言った。
 どちらにしろ、ハピが王位継承権を手放してでも傍にあるよう望んだもの、それが、月であった。
「月の『死』が――あの惨劇を引き起したのか」
 シエンが言った。
 以前西でこれを見たとき、漠然とそう感じ、そして今二度目に見て、それを確かにした。
 間接的な語りではあったが、生命神ハピの伯父であった地属の長と、火属の男、二人の掛け合いによって浮かび上がる、生命神ハピの想い――月の姫アンプへの、おそらく義妹に対する以上の。
 そうした存在を失ったとき――おそらくハピは理性のたがが外れてしまったのではないか。そう、思えるのだ。
 生命神に感じた、清らかな流れ。高圧的なものとは違う威厳。地の底ふかくを満ちる命の源流、広がりゆき、包み込むもの。……シエンはそのときの感覚を、今も否定できないでいる。それは多くの敵を率いて現れたその様子を見ても変わらない。地属の血が、――同様の性質も持ちながらそれを超える力、その根源にあるものを――敵や味方などの立場を超えて、確かにそうであると伝えているような気がしていた。そうした力――地を流れ、恵みを届けるもの――が、災害と疫病を届けるものとなり、まさに「混沌」へと向かう悪しき力となったとき、それが意識的にされた事だとは、とても思えないのだ。
 ヤナセもまた、別の角度からシエンと近い結論にたどり着こうとしていた。……すなわち、「混沌に帰す」と表現されるような、世界を破滅する力、それを恐れ王位継承を辞退した生命神が、結果的にその予言に相応しい「力」をもって世界を滅ぼしかけたその事実は、何らかの形でそのとき、生命神に「月」の影響があったことを意味するに違いない。
 生命神ハピを狂わせた、「月」の存在。
 かくして千年前、不吉な予言は現実となり、世界は滅びかけたのだった
「――知っていたのなら、なぜ黙っていた……」
 ヤナセがぽつりと言った。それは疑問として投げられたというより、やりきれない思いを吐き出さずにいられなかったというように。
 その言葉は思いがけずシエンの胸を小さく突いた。――知っていたのに、なぜ。自身の答えを探ろうとしたとき、
「話したとてどうなる」
 ジョセフィールの声が淡々とそれに応えた。
「生命神に王座を明け渡すか?」
 その言葉に誰もがはっと息を呑む。するとジョセフィールは、天ににかかる肥え始めた月を眺め、言った。
「待つしかないのではないか。――月が望んだ、その『時』を」
 その「時」――戦が、終結を迎える「時」。
 予言書に著された象徴。誰もが待ち望んだもの。
 それははじめラアの眼に、希望として表れたと、そう信じられていた。
 しかし今は敵の主神、生命神の眼に確かに表れている――それは、絶望として。
 この戦は、もうすぐ終わるという。予言されたとおりに。この苦しい戦いの連鎖が、やっと終わりを迎えるのだと。
 けれどそれは、望んだ形とは、違っているのかもしれない。
 戦の終結が、王座を正当なものへと確かに与えることであるとしたなら。
 それが意味するものとは、敵の勝利か――
「……っこんなこと……知りたくなかった……っ」
 震える声を絞り出したのは、ヒスカだった。
「どうして……どうして『月』はよみがえったの……!?」その声はだんだんと大きく、悲痛を帯びてゆく。「私たちは、何のために生きているの……!? このまま殺されるって、そうと分かって、生かされているなんて、そんなの……残酷すぎる……!!」
「落ち着け、ヒスカ……!」取り乱す妻の肩を強く抱き、ヤナセは必死に声していた。「まだ、北の勝利が決まったわけじゃない。ラアも言ったじゃないか、千年前の太陽神『ホルアクティ』を、目覚めさせるんだ」
 おそらくそれが唯一の対抗手段――。
 ヒスカは夫ヤナセの腕の中で声を上げて泣き出した。その声を、誰もが沈痛な面持ちで聞いていた。
 なぜ、「月」はよみがえったのか。千年経った、今になって。
 そうすることで、千年前の生命神ハピを目覚めさせたのは、なぜなのか。
 「月」は、戦の終結を望んだという。――それは、自身のために不当に奪われた王権を、最愛のもの、ハピへと戻すためなのか。
 月は、創世の王ウシルの力の「澱」である。……地属の長の放ったこの言葉が、重くのしかかる。
 創世の王としてのウシルの偉大な性質を二人の兄が継ぎ、冥界の王としてのウシルの性質をただ一人受け継いだ娘アンプ。その得体の知れない力でハピの心に取り付き、惨事を引き起こした「月」。正しくあるべき形を、歪めてしまったもの。
 この世に再び生まれてからも、おそらく北がその「力」の存在に気づき、欲したために、戦は引き起こされた。
 そう、「月」がよみがえりさえしなければ、十年前の戦も起こらなかった。そして今、胸を締めるような絶望も、知ることはなかったのに――。
 夜の闇色と共にあたりを覆う、重い重い沈黙。