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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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 声をかけられたドサムは、次第に意識を「今」に戻したというように、表情を引き締め、そうして、積みあがるいくつもの肉体に屈みこむ。ひとつひとつ、穴の開いた場所や欠けた部分に手をのばし、そこに触れると、空洞であったそこが元のように形を戻す。それからドサムはいつものように、死者の額に片手を当て、ケセルイムハトの瞳を現すと、静かに念をこめた。もう片方の手に掲げられた宝珠が、光というには暗い、そして複雑な波紋を描くような青をゆらゆらと揺らし、その波紋がより複雑に重なり合うような、光であるとすればそれが強まったような印象を与えたかと思うと、命絶えていたはずのその人物はふっと、息を吹き返したというその言葉通りに、「再生」する。火属のプタハは身体が生むエネルギーを、水属のデヌタは体内を行き交い結ぶ流れを、捉えることで、それを知ることができた。
 十体ほど再生させたところで、ドサムはもう一度立ち上がると、床まで垂れる半透明の白衣を翻し、プタハに歩み寄る。そして彼の右腕の傷に手を触れ、欠けた肉を再生させた。
 それを終えると、ドサムは、
「まずはアンプを目覚めさせる。他はその後だ」
 とだけ言い残し、キレスと共にその場から姿を消したのだった。
「……さすがハピ神といったところか」
 プタハは元のとおりの形を戻した右腕をさすりながら、かすかに自嘲じみた笑みを浮かべる。
「力は変わらず鮮やかなものだ」
「侵入したのは、『月』だけか……?」
 デヌタは辺りを見回して言った。
「いや。すっかり月に翻弄された。確認したほうがいいだろう」
「では、地上部も確認するとしよう。中央から戻ったものたちの様子も気がかりだ……地下部は、お前に任せる」
「こちらにひとりふたり遣せ。再生者を監督するものが要る」 
 それだけ言うと、プタハはさっさと前に進み出、生命神が命を吹き込んだばかりの再生者らに、命を下した。
 再生者らは、言われたとおりせっせと肉塊を運び出すものもあれば、言葉の意を解さないのか、突っ立ったまま動かないものもあった。それを腕組み眺めながら、プタハは嘲笑する。
「まったく、使えん」
 デヌタはほんのしばらく、それらの様子を複雑な思いで眺めていた。
 いつもの様子である。プタハは再生者それぞれを区別することなく、道具のように、その力を利用する。再生者は基本的に、命じられればその状態・行為だけが刷り込まれたように遂行され、自主的に行動することはない。自発的な意思がないのである。まるで、普段はただそこにあり、主が呼べば引力に寄せられるように現れる精霊と同じだ。それも、低位の精霊である。――中位以上であれば、精霊でもごく原始的な意思を持つ。つまり、死への恐れである。知属はそれを利用して術を用いるのだ。が、しかし再生者にはそれがない。まして高位精霊のように、支配者である神々の力の大小を識別することなどできるはずがない。――そう、再生者らは、生者を識別できていないのだ。
 デヌタにとって、一度冥府の門をくぐった者たちのほとんどは、よく知る彼の「仲間」である。声を掛け合い、名を呼び合い、苦楽を共に生きてきた。それぞれに自身との関係があり、それは、目の前にその姿があれば自然に意識される。生前していたように。
 けれどそう意識されればされるほど、生前との違いがはっきりと、大きな違和感となって立ち上がってきた。
 いまそこに呆然と突っ立っていた男、プタハが行動を促すように背をついたその男は、このように背を丸め、力のない目つきをしてはいなかった。背筋を伸ばし、人々の手本となるようにと自身を律しているような人物だったのだ。別の男は、臆病だが気が優しく、擦り傷でも見れば薬をこしらえるような人物だった。それが、すでに息絶えているからといって、傷つきぼろぼろになったひとの身体を、布切れかなにかのように引きずることなどできるだろうか。
 みな姿こそ生前のままではあるが、それぞれの持っていた色が、流れが、音やその調子が、纏うものが、全てが違っていた。いや、むしろ、それぞれ違っていたはずのものが、まるで似通ったものになってしまっていた。
 その表情を見れば、ほとんどのものは何の感情も表さず、また変化もない。それを見るたび、胸の奥をぐっとえぐられるような痛みを覚える。
 しかし、笑みをみせるものもある。デヌタは、それを知っている。
 デヌタの妹は、あの開かれた冥府の門の影響で亡くなったものの一人だった。幼かった少女は、ハピ神の力で再び命を与えられ、今は成長した姿で、花がほころぶような柔らかな笑みを浮かべている。
 自室に戻り、その笑顔を一目見るだけで、どれだけ心が慰められるか知れない。掛け替えのない存在――それが確かにそこにあると知れること。目で見、手を触れられること。そうした事実が、どれほど尊いことか。
 そして願うのだ。この愛らしい口元が形作る微笑みが、心からのものであるようにと。喜びの、幸福の表れであるようにと。
 事実そうなのだと信じられることもあった、いままで何度も。
 だがこうした――プタハの、相手を人として扱わない態度と、それになんの不快も示さず応じる再生者の様子を見るたび、そうした思いが揺るがされる。
 不快がないものに、快はあるのか。妹は、幸福を感じることができるのか。
 彼らはいったい何を思い、感じるのか……?
「……」
 デヌタはそっと目を閉じる。
 妹は生きている。これ以上望む必要はない、たしかにそうだ。だが――、
 幸福を願わずにいられない。それが実現されるためならなんだってしよう。苦しみを伴っても良い。
 それこそが、個に対する深い願いである。
 そういったものは常に自分勝手で、欲深いものだ。それでもなお、貪欲に求める。そうすることをやめられない。
 何より正しく、相手のためになると信じるために。それを愛情と呼び、何より尊ぶ。
 デヌタがそれを妹に知るように、生命神ドサム・ハピもまた、あの花の精霊に見出しているに違いなかった。
 掛け替えのない存在の幸福を願い、それを確かにしたいがために。ドサムは今も力を求め、道を探る。
 未だ達しえぬその道。彼の――水神デヌタの求める道は、生命神の進む道に等しくあるのだった。

      *

「千年前の、『月』……だと……?」
 ジョセフィールの言葉が信じられないというように、ヤナセが声を上げる。
「それは、とうの昔に亡くなった者であるはず。その声を、いったい、どうやって聞けるというんだ」
 当然の問いだった。そしてまた、ジョセフィールにとっても想定しうる言葉だったろう。
「今は失われたその声を“聞く”ということ。それこそが、月属の持つ『力』なのだ」
 いつもの笑みを少しも曇らせることなく、ジョセフィールは答える。それから、こう付け加えた。
「この世の理《ことわり》を隔てる壁を超え、その裏側にあるものを、知る。……それが『月属』というものだ」
 今まで誰もはっきりとは知ることのなかった、月属の性質。それを語る言葉。ヤナセは口をつぐむしかなかった。
 しかし疑問が消えたわけではない。先ほどラアを襲った生命神の力、絶望的な状況。それを一転させたものは、いったい何なのか。