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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

INDEX|24ページ/53ページ|

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 ヒスカが思わず声を上げた。
 そう、そんなはずはないのだ。ヒスカは何度もラアの姉の姿を見、その容態を確認し、注意深く観察してきた。そのひとに触れてさえいたのだ。何年も、何度も――生きていたはずだ。第一、その姿は幼いままではなかった。成長さえしていたではないか……!
 それでも、幻であったと、いうのか……?
 一体これは、どういうことなのか。
「……お前は知っていたのか、ジョセフィール」
 その中で一人、動揺とは無縁であるらしいその人物に、ヤナセは厳しい口調で問う。
「お前は一体、何者だ……? 北神に与するものなのか、それとも、そうではないとはっきり言えるのか」
 生命神は言った。ジョセフィールがその力で彼を助けた、と。確かにそう言ったのだ。
 あの男の言葉が本当ならば、その理由を聞かねばならないだろう。否定をするかもしれない、しかし肯定したときには――ヤナセは警戒を募らせる。
 ジョセフィールはしばらく無言で、刺すような視線を受け止めていた。が、やがて口を開くと、
「敵か、味方か――その枠組みは、いささか乱暴ではないか?」
 ゆったりと語られるその口調は、普段の彼とひとつも変わるところがなかった。
「聞いていたのだろう。わたしは、『月』の求めに応じるもの。その声に耳を傾け、交わした約束を果たす。それだけだ」
「月の、求め……?」シエンが口を挟んだ。「それは、キレスのことなのか……?」
 するとジョセフィールはふっと口元を笑ませ、「いや」と、答えた。
「そうではない。私の言う『月』とは、千年前を生きた、月の姫のことだ」

      *

「ぐ……うっ……」
「プタハ様!」
 魔法陣を作動させ神殿地下から地上部に戻ったプタハは、その右上腕の肉をよく切れるナイフで切り取られたかのように欠いていた。
 レルはすぐに呪術を用い、ぼたぼたと地に垂れる血液を止めた。しかしそれ以上は彼女の手に負えない。
「あれは……『月』……。なぜ、ここに……!」
(『月』――!)
 レルは先ほどその目で捉えた光景を思い起こす。――悪夢のような光景だった。
 母ウェルは自室で殺害されていた。血だまりの中に横たわる母の遺体。腹部はくり貫かれたように穴を開けられていた。あの残虐な死の痕跡を脳裏に浮かべようとするだけで、全身を激しい戦慄が襲う。
 およそ人の所業ではない、それは魔の顕現。
 そうだ、あれは冥界ドゥアトに住まうといわれる魔と同質のもの。
 母は、そんなものに、命を奪われてしまった――。 
(許せない……) 
「地下に閉じておけ。……数でかかって手に負える相手ではない」
 プタハが言う。
「ですがプタハ様。『月』となると、どのような力をもつかわかりませぬ。地上部に現れる可能性も」
 レルの進言に、プタハはしばし考えをめぐらせると、
「再生者どもをすべて地下に下ろしておけ。多少の紛らしにはなるだろう」
 再生者とはつまり、一度死んだものである。プタハはそういう者たちを、まるで物のように扱う。
「お前たちは行くな。無駄だ」
 そして残る数名に、自嘲気味に加えた。
 数刻前。生命神の留守を預かっていた側近の一人・輝神プタハは、守備範囲が侵されたことを知り、神殿上部に神々を呼び集めた。が、ウェルだけが戻らなかった。娘レルは捜索のため地下のあの部屋に下り、そして、――敵の侵入を知ったのだった。
 プタハは地上をレルに任せ、すぐに数名の、多少は力のある再生者らを引きつれ地下へ降りた。敵の居場所はすぐにつかめたが、しかしこちらの力はほとんど通じることなく、「月」は圧倒的な力で襲い掛かる。
(力が戻される前の『月』と、まるで違う――欠けた力が『満ちた』というわけか)
 そう、次元が違った。あれと対することは、死に向かうのと等しい。
 確かに再生者どもは、精巧に作られた動く人形である。その死は、糸を断ち切れば動きを止める木偶のように、あっけないもので当然であるのかもしれない。しかし「月」の力が恐ろしいのは、それが生者にも同様の脅威となって襲うことだ。
 何に食まれるのか、見えない口に吸い込まれでもしたように、肉体の一部を欠けさせる力。この身体が、再生者たちと同じく、木偶でしかないのだと。その死は、想像するよりずっと容易く、造作もないことなのだと、――それを知らしめるように。
 恐ろしかった。誰しもふつうは自分の肉体を自分自身であると、自分そのものであると認識しているはずだ。それが、何の尊厳も与えられていないというように軽く扱われること――そうしたことを目の前で見せ付けられてなお、平常心を保てるものなどいるだろうか。
(あれは、異界の化け物だ)
 そのとき――複数の気配が一瞬にしてこの神殿内に現れた。
(……戻ったか)
「デヌタ様……!」
 生命神と共に中央へと向かっていたもう一人の側近、水神デヌタは、レルの声に応えるように一瞥しうなずくと、自身の力でその場を霧に包んだ。共に現れた神々の傷を癒したのだろう。
 プタハはざっと戻った神々の様子を眺める。中央での戦いはやはり激しいものだったのだろう、五十近く連れた再生者のほぼすべてがやられている。それらを前面に出して戦ったのだろう、生者の犠牲はかなり抑えられている様子だった。
(――メリトゥが逝ったか)
 同属上位神の死を知ると、プタハはく、とのどの奥を鳴らして笑った。そうしてから改めてデヌタを向くと、
「遅かったな」
「……『月』はどこだ」
「地下にいる」
 プタハは答えた。大きな傷などは負っていないとはいえ、デヌタも体力的にはかなり消耗している様子だ。
「レル、すまないがここを頼む」
 戻った妹たちを気遣うレルにそう言い残すと、デヌタはすぐに姿を消した。
 プタハもあとに続き、地下にある生命神の傍らに姿を現した。
(――……!)
 言葉を失う。そこには想像を絶する光景が広がっていた。
 地下の通路、それほど広くはないその場を、埋め尽くすように転がる人の肉塊。青いタイルに垂れる赤い血液。奇妙に曲がる手足、折り重なるようにあるそれ。たちこめる、生臭いにおい。
 その奥にひとり、立って在るもの。
 乱れた長い黒髪。元は白かったであろう衣は、ところどころ赤くにじんだ部分が残るばかりで、あとは茶黒い色をしている。何度も何度も濃く染め上げたように。
 静かだった。異様なほど静かだった。キレスは左腕をかざし、ただそれを眺めていた。前腕から指の先についた血液を、腕を下げては指先へ、掲げては肘へと、赤い血が筋を描いて流れるさまを楽しんでいるようだった。それからランプの明かりに透かし、恍惚としたまなざしでそれを見つめる。ぴちゃ、と雫の垂れる音が響いた。
 プタハは戦慄を覚えずにはいられなかった。折り重なる肉体は再生者のもの。この静けさは、彼が先刻地下へと向かわせた十数体のそれらが全て、月神によってその活動を止められたということを意味した。そう、たった数分のことだ。
 再生者といえど、今現実確かにここに「在る」もの。それは確かに生を営み、血は作り出され、新鮮で赤い。それを人形と同じと考えるプタハですら、その死に様を目にすることは気分のよいものではない。死の形は、生者とまるで同じなのだ。