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文目ゆうき
文目ゆうき
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睡蓮の書 三、月の章

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中・ほんとうの・1、十年前



 北の神殿、薄暗い地下の一室。
 魔法陣を用いて姿を現した女神ウェルは、足下にうずくまる若い男を見下ろした。
 思わず笑みが漏れる。……ついに手に入れたのだ、「月」を。
(眠りの術がいつまでもつかわからない。すぐに『記憶封じ』をしておくべきね)
 記憶封じは、この女神の神号「夢神フトホル」がもつ特別な術である。輝神ヘルが用いる視力を奪う術と同じ、その神特有の術。
 十年前、ドサムが月の捕獲に彼女を任命したのも、まさにこの力のためだった。つまり、月の記憶を封じ、北の一員として迎え、その力をうまく利用するために。
 ウェルは身をかがめると、横たわるキレスの額にすうと手を伸ばした。そうして、呪文を唱える。
《mHw ib.k, smkh.k : iw rn n nbt-pt-grH》
 声に応えるように、手の触れた部分が柔らかな光を帯びる。――しかし、
(……おかしい。光が入ってゆかない。なぜ?)
 本来ならば術を唱えるうちに光が解けるように、吸い込まれるように消えてゆくはずなのだが。
 神位に依存するこの術は、複雑な呪文を必要としない。間違えてはいないはずだ、現に魔術の光は現れたのだから。
 もしかしたら、とウェルは思う。相手は性質の知れない「月」である。術の効き方が異なるのかもしれない。
 そう考えると途端に不安になった。先程は十年前のあの瞬間に居合わせたことから「月」の心的外傷を推測し、それが的中したことでうまく展開できたかもしれない。だがそもそも、月とは得体の知れない存在、そして魔性の主である。あまり長く二人でいると、何かよくないことが引き起こされるのではないか……?
 ウェルは突き動かされるように立ち上がると、足早に駆け、部屋の戸を開いた。青いタイルを一面に施した廊下は静まり返り、どんなに耳を済ませても、足音ひとつ響いてこない。
(ハピ神はまだ、戻られていないのか)
 一刻も早くと望む。時が経てば経つほど、胸にある不安がどんどん膨らんでゆくように思われたからだ。
 いま神殿に残る神々は少数だが、留守を任された生命神の側近プタハを含めほとんどすべてが神殿の地上部の復旧に努めている。本来ならば、地下に連れる前にまずプタハに報告すべきところだが、ウェルはわざとそれを避けた。
(火属など信用に値しない。私がハピ神に直接お渡しする)
 月を手に入れたのは、この私なのだ。……ウェルは目を閉じると、天を仰いだ。
 戦を終結に導く、鍵となる「月」の再生――予言書第50節が著されたのは、もう二十年も前になる。当時の生命神であったドサムの父は、その予言を根拠に古くから伝わる秘儀を執り行ったのだ。
 千年の間、幾度となく繰り返された、生命神と太陽神の戦。太陽神が不当に得た王権を、正しい所有者に戻すべく起こされた戦――しかし、奇妙なことに、どれほど太陽神側の神々を倒そうとも、また太陽神自身を滅ぼすことがあっても、王権が生命神に戻されることはなく、どこからともなく太陽神のあとを継ぐものが現れる。
 それは、千年前太陽神がかけた「呪い」のために、生命神の神性が侵されていたからである。
 千年前、月の姫の影響で現れた生命神の「負」の力――その力を収めるため、太陽神は生命神の神性を取り上げた。そして二度とこのような惨劇を繰り返さないためにと、冥界にある月の姫にそれを封じるよう命じた。……それが「呪い」である。
 以降、「月」は地上にその力を生じさせることなく、冥界に留まっていた。それが、千年ぶりに再生するという予言――生命神の神性が、戻される時が来たのだ。
 そうして先代ハピにより、大いなる秘儀――冥界の門を開き、その先に封じられたという古の生命神の神性を取り戻す儀式――が執り行われ、そして……冥府の門をその力でこじ開けた先代を始め、儀式に立ち会った多くの神々が、冥府の闇に呑まれるようにして命を落としていった。
 あの世とこの世を隔てる門。これを開くことは禁忌である――伝え聞いていたことが最悪の形で証明された。残されたのは、天井に開かれた異界の空間、命を貪る闇……。神殿中が絶望に満たされかけた。
 そのとき……、神々は知る。
 予言書冒頭、戦の終結を示すあの色――「ケセルイムハト」をその瞳にもつ赤子の存在を。
 先代の行動は過ちではなかった。すべては、予言書に記されたとおり、真実の未来へ繋がっているのだと。
 数年後、幼いながらも主神としての威厳を備えていたドサムは、先代の大地神――セトの父――に命じ、冥界にあるという聖樹……魂が宿るといわれるその樹の根を、この世に導いた。そうして、先代の大地神の命と引き換えに、樹の根が異界を結ぶ空間を塞ぎ、人の生命を食らうようなその悪影響は最小限にまで抑えられた。
 同時に、下ろされた根に誘われるように、一羽の鳥が降り立つ。
 紫色をした鮮やかな羽毛、冠羽や尾羽の先、胸の飾り羽のところどころが黄金に輝く鳥。冥府より降り立ったこの美しい鳥は、その羽毛と同じ紫色の瞳をしていたという、月の姫の化身だろうか?
 その鳥は、その身のうちに生命神の神性を封じていた。封を解くのは、現世の月神の持つ力。それこそが、月が戦終結の鍵と言われる所以であった。
 ――そして忘れもしない、十年前。
 成長と共にその力を増したドサムは、あの予言が成就したことをその特異な力で知り、……かくして戦は起こされた。「月」を、その力を、手に入れるために。
 ウェルは夫である風神ベスと共に最重要任務、すなわち「月」の捕獲にあたった。手がかりとして、聖鳥の羽――幼子の上腕ほどの大きさの、紫に輝く羽――を手にして。
 敵の混乱を誘うべく、部隊はいくつかに分けられた。ウェルらは西の神殿へ向かう一団に加わっていた。守備範囲内に入り、すぐにでも戦火を交えようというその時、聖鳥の羽が突然、何かの意思をもったようにウェルの手から離れ、地を指すようにつと立ち上がったのだ。
 太陽神らは戦のたびに女子供を地下に隠し守る。月を隠しているとすれば、なるほど、地下の可能性は高いだろう。しかし地下はそれまで破られたことがなかった。方法があるとすれば、やはり結界を壊し地上から侵入するしかない。
 しかしその時、羽はすうと地をすべると、そこに円を描いた。すると、まるで厚い土の層、岩盤をすり抜けるかのように、薄暗い地下の空間が開かれる。――そう、ウェルらは地上の結界を取り払うことなく、直接地下へと降り立ったのだった。
 聖鳥の羽は確かに不思議な力を持っていた。まったくそれ自身が生き物であるように、すうと地下の道をすべるように進んでゆく。自身の力を分けたものを、追い求めるかのように、迷いなく。
 羽が導いた先は、西ではなく、また中央でもなく、東の地下だった。
 避難路の壁のひとつに羽がまた円を描くと、壁が透けるようにしてその先の部屋へと繋がった。そこには、まだ十にも満たない少年の姿。
 これが「月」に違いない。そう確信したのは、聖鳥の羽と同じその瞳……古の月の姫がもっていたという、紫色の瞳、そのためだった。