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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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中・疑い・1、予言された終結



(シエン――あの男、なぜ“聖域”に現れた……?)
 セトはかかとから踏みつけるように、暗い廊下を進む。
 北の地下神殿。本拠となるそこには、昼も夜もない。整然と立ち並ぶ四角い柱、その輪郭を知らせるのは、壁に点々と灯された柔らかな光。その光はまた、壁に敷き詰められた小さなタイルの青を幻想的に浮かび上がらせ、まるでこの空間が水の中にあるように思わせた。
(まさか)
 と、彼の思考を遮るものがあった。
 ひどく濃厚な甘みと、そして鋭く衝くような刺激を併せもった香りが、南側に広がる空間の闇から漂ってくる。香が、それも大量に焚かれているようだ。
 セトは思わず息を止め顔を背ける。視界を覆いつくしているのではないかと思えるほど、重たく大気を満ちるそれは、嗅ぎ続けると胸焼けを起こしそうだった。
(……そうか、今夜は)
 そうしてセトが別の道を行こうと引き返しかけたとき、
「今までどこをほっつき歩いていた」
 背後からの声。
「復旧に地属の長が立ち会わぬなど……その名に負う責を放棄するか!? お前のその身勝手な行動、今回ばかりは許されんぞ」
 生命神の側近の一人、輝神プタハ。その言葉に、セトは応えなかった。
 低い声色に苛立ちを込めるプタハをなだめ、その横に立つもう一人の側近、水神デヌタが口を開く。
「――セト。ハピ神がお呼びだ」
 主神の名に身を固める。なるほど、彼らは偶然自分を捉えたわけではなかったのだ。
 軽く唇を噛み、この芳香漂う中を進もうとしたセトに、デヌタが再び言葉をかけた。
「まだ兄を求めているのか」
 足を止める。無言の背に、デヌタは気遣うようにささやく。
「もう、忘れろ。それがお前のためだ」
「――忘れろ、だと……?」
 低く、セトの口から言葉が漏れた。ぎこちなく回した首に、枯草色の瞳がぎらつく。
「よくも、言えたものだな……。あんたのその口が……よくも! 
 兄上は、生きている。そうだ、生きているんだ! あんたなんかに、分かるものか……!」
「……」
 セトは振り切るようにその場を去る。デヌタは薄青の瞳に影を落とし、その姿を映していた。
「あの“力”による犠牲、地属が多かったようだな」
 闇に消えようとするセトを横目で見やり、プタハが言った。
「あの様子では地属は滅びかねんな」言い捨て、そしてプタハはきびすを返す。
 否定できない……デヌタはそう考えた。
 セトは未だ、自身で立とうとしていない。進むべき道を、その足元さえ見ようとしない。兄にすがり、過去にすがり、戻ることばかりを考えている。顔を上げぬものに、道が開かれることはない。足元を見ぬものに、自身を知る由はない。彼は現在という時を否定しているのだ。
 怖ろしいのだろう。「大地神ゲブ=トゥム」として負うべきその責が。彼は誰より、その責の重みを知っているはずだ。先代を、間近で見てきたのだから。
 大地神ゲブ=トゥムは長く生命神側近の座を世襲してきた。しかし……今代のハピ神の、異例とも言える決断は、妥当だったとしか言いようがない。
(生きている――か)
 おそらく、生きているからこそ。望みを抱いてしまうのだろう。
 その感情を否定することは、デヌタにはできなかった。だからこそ、長くセトの行動を――無断で人間界に降り、ハピ神のお考えに背く方法でその力を影響させることを――止めることができず、むしろ容赦するよう願い出てさえいた。
 だが、それは、間違いであったかもしれない。
(会わせるべきでは、なかった――)
 そのために狂い始めたさまざまな事象。一昨日の、突然の敵襲も――
「あの精霊」
 ふいに、プタハが声した。
「始末すべきだ。すべての元凶はあれだ。ハピ神のお傍にあることで、あのように力を得るとは……」
「プタハよ。あの精霊はハピ神にとってなくてはならぬもの。あの方はあの精霊を、御子同然に愛しまれている。禁固の決断さえ酷というもの」
「甘いな」
 プタハの声は、その持つ漆黒の眼と同じように鋭く響く。
「たかが精霊ひとつのために、千年の思いを無に帰すつもりか。あれは、危険な要素ばかりを含んでいる」プタハはその手に神権を表す杖を握った。「俺は三たび忠告した。ハピ神も早くそのことに気付かれるとよい」
 さっと光が走り、プタハが姿を消す。
 しっとりと沈む青い影にたたずみ、デヌタはかたく瞳を閉じた。
(なぜ、分からぬ。ハピ神にはあの精霊が必要なのだ。心の拠り所として、欠くことのできぬ存在なのだ)
 デヌタは今代の生命神であるドサム・ハピの側近として、彼の誕生の頃より傍にあった。そのために、他のものが気付くことのない僅かな変化を、知ることができたのだろう。
 ドサム・ハピの誕生――それは、惨劇の中の奇跡だった。
 「予言書」に著された“兆し”を知り、この戦の終結のための鍵を手に入れるべく行われた儀式。禁忌を破ることにより降りかかる災いを知らず、立ち会った多くの命が失われた。
 その犠牲となったひとりの女神の遺体から取り出された、奇跡の胎児。災いの影響から、その瞳は光を見ることができなかったが、代わりに備えた力は従来の生命神の持つそれをはるかに上回っていた。いや、まったく別枠であったのだ。
 多くの奇跡を纏い生じた今代のハピ神は、生まれながらにして王の威厳を備え、外観以外に子供らしさを感じさせることなく、その力を見せ付けた。先代の犠牲を補って余りあるこの大いなる存在を、神々は敬意をもって迎え入れた。
 はじめの王ウシルの息子、初代生命神ハピの、再来である――と。
(だが十年前のあの日以来……あの方はわずかに、変わられた)
 十年前――生命神不在にもかかわらず、戦は急を要して起こされた。……「月」の捕獲である。
 予想とは異なる形で捕獲されたそれが、確かに「月」のものであると確認したのちに、まだ十歳にならない少年であったドサムは、ふらりとひとり人間界へ降り……そこで気まぐれに、睡蓮を一株、連れ帰ったのだった。
 幼いころを支え仕えた大地神の犠牲にもためらいを見せなかった少年が、ほぼ枯れかけた、精霊を生むほどの力も持たぬ小さな植物に、いったいなにを見出したのか――それは誰にも、分からない。ただ、その弱々しい生命を気にかけ、力を注ぐにつれ、若き主神として神々を牽引するその大いなる力の主が、わずかに一個の人らしい心の揺らぎを――それはおそらく、その睡蓮に対してのみ――見せるようになったことを、デヌタははっきりと感じていた。
 よい兆しである。生まれながら王と称えられた少年が、淡々と、ただ確実に目的に向かう様子は、どこか脆さを感じさせていた。たった一つの、小さな存在に心を傾けること、それは自然なことだ。愛しいと思うその感情は、なによりも尊い。
 地下通路の一端、魔法陣が描かれている場所まで来ると、デヌタは足を止め、闇色の天井を見上げる。そうして彼は意識を束ね、地上部の様子を探った。復旧の状況はどうか、より広い範囲へと力を広げようとした。が……、
「……っ」
 背に鈍い痛みが走った。耐えるようにその目を閉じ、ゆっくりと呼吸する。