小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

睡蓮の書 一、太陽の章

INDEX|37ページ/42ページ|

次のページ前のページ
 

 そこに浮かぶ、ただ一輪の睡蓮。傍らには、少女の姿をした精霊が浮かんでいる。中央で見たものと同じだった。
 少し首を動かし、ラアはすぐに、床に倒れ込んだ女神の姿を見つけた。
「姉さん!」
 駆け寄り抱き起こす。姉は相変わらず黄土色の肌をしているが、その表情は安らかで、中央神殿の部屋の中で見たものと変わらない。
 何度か呼んで、ゆすってみたが、反応ひとつなかった。いつもと同じ。――先ほど池のそばで見たのは、幻だったのだろうか。
 怪我をした様子もないことに、少し安堵の息をついて、ラアは思い出したように振り向き、池に浮かぶ睡蓮……その精霊を映す。
 黒い水面の上にぽっかり浮かぶ、白。薄い紅色に染まった花弁の先は、中央で見たものより上を向いて、少し閉じかけているようだった。そうすると、すぐそばに浮かぶ少女も、その目に半ば、瞼ををかけている。
(眠たいんだ……。もう夜だもんね)
 中央の前庭の池に浮かぶ睡蓮の花々が、夜になれば花弁を閉じて水中に沈むことを、ラアは知っていた。可愛らしい精霊の様子に自然と笑みが浮かぶ。なぜここに連れてきたのか、ここはどこなのか。聞こうとしたことを諦めて、ふうと少し息をつく。
(誰だろう、ここに姉さんを連れて来たの)
 精霊には必ず主がいることぐらい、ラアももちろん知っていた。中央にも、前庭の池の精霊だけでなく、雑草を刈ったり、火を灯したり、砂埃を掃除したり、空調を整えたり、さまざまな役割をもった精霊たちが、主の命の通りに働いているのだから。
 部屋には誰もいない。部屋の外の気配を広い範囲で確かめてみたが、それでも、ただ一人の気配さえ捉えられなかった。
(誰もいないなんて、変なの。みんなどこに行ったのかな。……それにここ、どこなんだろ。東? 西? もしかして、南かな)
 部屋の中を見回して、ふと、ラアは四角い柱の影に大きな竪琴が置かれていることに気付いた。
 自分の背丈ほどもあるそれは、よく磨かれた木材が描く曲線と、そこにできた空間を埋めるように整然と張られたいくつもの糸で構成されていた。ラアは竪琴を見たことはなかったが、それが楽器だろうということは想像できた。
(やっぱり……誰かの部屋なんだ)
 なんて大きい。なんて綺麗な形。どんな人がこれを弾くのだろう。いったいどんな音がするのだろう。軽い気持ちで手を伸ばす――と、
 背後から広がる何かの気配に、はっとして振り返る。
 誰かが現れたわけではなかった。姉が目を覚ましたわけでもない。あの、小さな精霊だった。白い帯のようなものが、幾重にも重なって精霊を包み、ゆらめく様子がはっきりと映る。
“力”とは違う“気配”の誇示……意志の表れのようなもの。ラアの知るどの精霊からも、こんなものを感じることなどなかった。
 精霊は、主が力を示せば、ただそれに応じるもの。土に栄養を与えてやると草花が伸びるように、絶対的な存在に対して、常に受身であるはずなのだ。高位の精霊は単純な感情をもつことがあると聞くが、それを積極的に表現することなんてあるはずがない。自らの意思をもって力を用いるなんて、それでは精霊ではない。まるで、人だ。
 ところが、少女の姿をした精霊は、眉根をほんの僅かに寄せて、小さな口を尖らし、ラアの行為を非難するかのような複雑な表情さえ見せる。それは、ひとつの自我をもった存在のようだった。
 手を引っ込めて、肩をすくめて見せると、ラアは相手が精霊だということも忘れて声をかける。
「ごめんごめん。これって、きみの主の物なの? きみの主は、今どこにいるの?」
 もちろん、返事はない。精霊は言葉をもたないのだから。
 けれど精霊は、返事の代わりにひとつ瞬いて見上げる。大きな瞳をじっとこちらに向け、僅かにひらいた唇から、今にも言葉が生み出されそうだった。
 そのとき――足元に大地の振動が伝わってきた。ほんの僅かだが確かに感じる。
 ラアはその黄金を見開いた。断続的に届く力の余波……誰かが近くで争っている?
 天井を見上げる。開かれた四角い天には変わらず星が瞬いている。どの神殿であれ、結界が覆っているものだ。この不可視の結界のために感じ取ることはできないが、その外側に間違いなく誰かがいる。
 部屋を見回すが、不思議なことに出入り口となるようなものは一切見当たらなかった。外界と繋がっているのは開かれた天井のみ、そこを通って外に出れば、なにが起こっているか見えてくるはず。確認しなければならない、ラアはそう思った。
 風の力を使えば、いまの自分は鳥に身を変えなくても飛べそうだ。ラアは風の力を束ねて、体を包もうとした。ところが……、
 天を見上げたラアの目の前を、白い光の帯がちらちらと揺れる。それだけでなく、睡蓮の精霊はその小さな腕を伸ばしてラアの衣服を引っ張るようにつかんでいる。
「もう、邪魔するな……っ……」
 苛立ちを交え、精霊を振り解くように振り返る。――と、
小さな精霊の、見上げる瞳。それに気付いたラアは、まるで時を止めたようにぴたりと……振り向いた姿勢のまま、動けなくなった。
 睡蓮の精霊の瞳に浮かぶ、ひとつの感情――それがラアの心を大きく揺さぶる。それが何なのか、すぐには分からなかった。意識することもできないほど、胸のずっと奥のほう……自分の中、記憶にさえ刻まれていないところに、ずっと閉じ込めていた何かが、急速に染み出すのを感じた。
 ……寂しい。ひとりきり。
 それは、いままで時々意識しなくてはならなかったようなものと、似ているようで、けれど違った。
 ――かあさん。
 仲間や友達が、傍にいないと感じること、それは、父やヒキイからしっかりと得られた支えの上に開かれた次の欲求だった。けれど……、――母親がいないということ。まだ自分で何もできない赤ん坊のころに、他の人が当然のように得ているぬくもりを、自分だけが知らないということ。
 それは、他の何をもっても、埋めることはできなかった。だからラアは、長いこと閉じ込めていたのだった。
 懇願するように向けられた精霊の瞳。失うことの不安。自分がずっと幼いころに持っていた感情と似ている。そうと気づくと、何かがひどく胸を締め付けるように感じた。ひどく、苦しかった。
 ラアは体をかがめ、小さな精霊と向き合う。ずっと幼いころの自分の感情と向き合う。精霊は瞳に浮かべた不安を解いて、次には、何かを求めるように伸び上がって、唇をわずかに開いて見せた。そうして、その細い両腕をラアに伸ばす。先ほどと同じように。
 それを受け止めようとしたとき、ラアは直感した。この精霊の求めているもの。それは、ぬくもり。あたたかな陽光。この狭い小さな部屋には、ほとんど届いてこないもの。そして何より、その求めに自分が確かに、応じることのできるもの。
胸を縛るものが解け、視界が開ける。ラアはにっこりと、笑みを浮かべた。

   *

「いた!!  見つけた!」
はじかれたように顔を上げ、月神キレスが叫ぶ。
 周囲を吹き荒ぶ風に消されかけたその声を拾い、ヒキイがキレスを向く。