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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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 月明かりを背にしたその人は、ラアよりは年上だろうがずいぶん若く、中性的な顔立ちをしている。くっきりと上がった目尻、そこに嵌め込まれた紫の瞳は、ガラスか水晶のように透き通ってみえる。逆光の影に映えるその整った風貌に、ラアはどぎまぎした。この人は本当に、男なのだろうか……?
「お前」
 金縛りのように止まっていた時を動かしたのは、その人の声だった。
「『ラア』だろ」
 思ったよりずっと普通の、若い男の声。ラアは夢から覚めたような心地で、ぱちぱちと瞬くと、当然浮かんだ疑問を口にする。
「おれの名前、なんで知ってるの?」
 しかし男は、ラアが言い終わらないうちに、その手を突き出し、
「ほら」ぶっきらぼうに、言った。「直してほしいんだろ?」
 ラアは一瞬何のことか分からなかった。たったこれだけで分かれというほうが無理な話だ。
(もしかして、カナスの槍……かな)
 すると、じわじわと警戒心が頭をもたげる。この人はなぜ自分の名を、カナスの槍のことを知っているのか。そもそもどうやってここに入ってきたのか。さっきの結界の反応は、なんだったのか――。
「きみは、誰なの?」
 ラアは黒い瞳にその人を油断なく映し、率直に尋ねた。
 すると相手は、どうにも迷惑だという顔をして長い髪をかき上げると、舌打ちまで加え、
「持ってこないなら帰るぞ」
 答える気はないようだ。開くのも面倒だといわんばかりに閉じかけた目は、もうこちらを見てもいない。
 ラアは少しカチンときて、
「誰なのかって、聞いてるだけじゃないかっ」
「あー。うるせぇ、このチビガキ」
「ガキじゃない!」
「ガキだろ。その耳にぶらさがってるの、何だよ」
 ラアは耳の輪飾りを慌てて髪で隠す。悔しい。ちょっと年上だからって。
「誰なのか教えてくれないと、渡せない!」ラアがむきになって言うと、
「あ、そう。じゃ、帰るわ」
 怒るだろうと思っていた。しかし、彼はそう言うとくるりと背をむけ、階段を下りはじめる。あまりにそっけない態度に困惑し、ラアは思わず、呼び止めていた。
 本当は、頭にくるというより、警戒するというより、戸惑いでいっぱいだった。こんなに斜めから見下ろしてくるような人に会ったのは初めてだ。
 自分を次期王と知っているのだろうか。言ってやったらどうだろう。
(……ああ、違う、そういうことじゃない!)
 ラアは首を振る。頭を下げてほしいのじゃない、ただ仲良くなりたいだけなのに。
 それに、と、カナスの顔を思い浮かべる。槍が直せるなら。彼はその方法を知っているらしいのだ。
 少し観念したふうに息をついたラアは、もう一度だけ、食い下がってみた。
「おれの名前は知ってるのに、きみは教えてくれないの?」
「……あのなあ」すると、うんざりしたふうに、彼が声を上げた。「いい加減にしろよ。直してほしいのか、いらないのか!」
(どうして名前を隠したがるんだろ。聞かれたらまずいことがあるのかな)
 すっかり諦めたラアは、槍を取りに部屋へと駆け戻る。
 その人を知りたいときは、名前を尋ねる。その人の印象と、名前がひとつになって、心にくっきりと刻まれるからだ。そういう感覚がラアは好きだったし、そうしてたくさんの人と知り合い、つながることができるのが、ラアの喜びだった。
 だから、名前を教えてくれないと、ひどく拒絶されたように感じる。
 カナスのときも、はじめから好意的な様子はなかったけれど、こんなにまで拒絶されはしなかったし、名前はちゃんと教えてくれたのに――。
「これだけど……」
 短い三本の棒になった槍を見せると、彼はそれを半ば奪うように取り上げた。ラアはまた少し、ふてたように唇をつき出す。
(本当に、できるのかな)
 自分が何度も挑戦して、うまくいかなかったこと。あの、地属の長であるシエンでさえ、役に立たないと言ったこと。それをこの人――すぐ近くにいても、何の「力」も感じられない、自分とあまり歳が離れていなそうな、この、若い男神が……?
 そんな疑いをもって見守っていたラアを、突然、ゆらりと影が覆う。
 ラアははっと息を呑んだ。男の長い黒髪が、まるで見えない糸で引かれているかのように広がった。夜の逆光、影のうちの影。それに自分が喰らわれ、影と一体になるのではないかと思わせるような、不気味な威圧感。
 そして、じわりと灯る紫の双炎。
 彼の瞳が奥から光を生じ、徐々に虹彩を走り広がってゆく。闇の中にくっきりと浮かぶその澄んだ紫の中に、赤や青の火が現れて、食うか食われるかと互いに激しくせめぎ合う。それは見るものの心を絡めとり、そこから目を逸らすことを許さない。
 それはまったく初めての体験だった。凍てついた心臓を炎であぶるような、混沌とした感覚がラアを襲う。まるで体が、別の空間に呑まれているかのよう――
 ……瞳の紫がふっとその光を鎮めて、彼が金の槍を手に取ると、腕輪の重なり合う音が小さく響く。その音に、ラアは我に返った。
「完璧だろ」
 ひとつにつながった槍を眺めると、彼は仕事の結果に満足した様子で、金の槍をラアに放り投げた。
 あわてて受け止めた槍を、ラアは注意深くみつめる。言葉が出なかった。そこには断ち切られたのが嘘のように、その痕跡ひとつ残っていなかった。
 信じられない。頭の中がぐらぐらとゆれる。まるで夢の中にいるようだ。現実であるはずがないとさえ思った。
 先ほどの力――ラアはああいった「力」を今まで目にしたことがなかった。火の放出も、風の動きも、水の流れも、地の存在も、どれも感じさせない術。あれは「力」だったのか?  少しでも力の「動き」を感じただろうか? 力というのは、放たれるものであるはずだ。その人の内から広がって、心のうちを強く煽るか、穏やかに鎮めるもの。そう感じられるのが、力じゃないのか。
「こんなの……どうやって――」
 礼を言うのも忘れ、それどころか、まだ事実が受け入れられない様子で、ラアは半ば呆然とつぶやく。
 その言葉が終わらないうちに、彼の腕がぬっと伸び、ラアの額をとん、と指で小突いた。
「黙って寝てろ」
  途端に、ラアの意識が遠のく。
 鈴のような音が、夢の中で遠く響いた。