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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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中・かがやき・1、笑顔を呼ぶこと



 東側の天井に近い格子窓から、柔らかな光が、ラアの背に注ぐ。
 天蓋から垂れる薄い亜麻布をまくり上げ、顔をのぞかせたラアは、寝台に横たわる若い女性に話しかけている。
「だからね、今日は、訓練も学習も、なんにもないんだ」
 返事はない。ラアの声だけが、白い布に吸い込まれるようにして消えていった。
 女性の寝顔を映して、ラアは少しだけ、ため息をついた。返事をくれるわけがないのは、もちろん分かっている。だから、期待をしたわけじゃない。
 そこは、ラアの姉の部屋だった。
 十年前から、こうして眠ったままの、姉。
 五歳になったばかりのころ、戦のためヒキイに連れられ降りた人間界。北の災いを避けることはできたものの、神々の戦の影響で、その地に起こる“異変”が別の脅威となって襲いかかった。それに巻き込まれた姉は、奇跡的に助かったけれど、以来一度も目を覚まさない。
 本当に、生きているだけだった。
 姉のことは、ほぼ半年に一度、東の治癒女神が様子を見に来てくれる。起きることもなく、一切の活動ができないのに、こうして生き続けるのは不思議なことだという。
 けれどラアには、理由なんてどうでも良かった。
 元気な頃の姉はしっかりもので、王の娘らしく振舞い、ラアのように誰とでも遊びはしなかった。ラア自身も、姉と仲睦まじく遊んだ記憶はほとんどない。いつでも亡き母に代わって王である父を助け、成長すればラアを守り助けるものと自覚しているような人だった。
 ラアが甘える対象は、常に父かヒキイで、姉ではなかった。姉は母の代わりではなかったけれど、ラアにとって、日ごろのちょっとした愚痴を話せるのは姉だけだったし、そうしたとき叱ってくれるのも、近い目線で助言をくれるのも、姉くらいだった。
 今は、返事がないけれど。
 十年前からずっと、そうした空しさを抱え続け、それでも、こうした存在がラアにとっては不可欠だった。なぜなら、この神殿には女神カナスがやってくるまで、実質ヒキイとラアの二人きりであったし、人でないものを相手にするのは――ラアがどんなに想像力を働かせても――限界があったから。何より、姉という、血のつながりのある存在が、生きているのだという事実は、ラアの孤独感をずいぶんと和らげていただろう。
(でも、ここに来るの、なんか久しぶりだな)
 これまでは、時間が空けば、必ず訪れて、こうして話しかけていたのに。
 これまでは――そう、カムアに、会うまでは。
(王になる準備とかで、ここに来る時間が、あんまりなくなっちゃったんだ)
 ラアはそう考えた。けれど実際は、時間などいくらでもあった。午後の修行は日が沈むまで、そのあとの時間に、いくらでも。実際、前はそうすることもあったのだ。
 気持ちを占めるものが、大きく変わっていた。そうしたことに、ラア自身はあまり気付こうとしない。立ち止まり、内面に意識を向けるよりずっと、湧き出す衝動のままに行動するほうが多かった。
(あ、そうだ)
 このときもまた、思いつくままぱっと部屋を飛び出し、自室に戻った。
 ラアは三つに分かれた金の槍と向き合う。カナスが人間界に残したものだ。壊れてしまったこの槍を、ラアは元に戻そうと考えていた。
 ひどい傷を負い、東の治癒女神の下で治療を受けているカナス。痛い思いをして、苦しんで、すっかり疲れて帰ってきた時、この槍が元に戻っていると知ったら。きっと喜んで、そして、にっこり笑ってくれるかもしれない。ラアはそんな想像に胸を膨らませていた。
 けれど、それは思うほど簡単ではなかった。そもそもラアは物を「直す」ことに、今まで関心を払ったことがない。
(壊すのなら、得意なんだけどなあ)
 こういうとき、どんな力を、どのように使えばいいのか、見当が付かない。
“なおす”繋がりで、苦手だが一応使うことのできる、程度の低い治癒の術を使ってみたが、ラアの力は黄金をピカピカ光らせただけで、形は何ひとつ変化させられなかった。
 まとめてやってしまおうという横着を反省して、ひとつの断ち目ごとに、集中してやるという工夫をしてみたけれど、結果は、やはり同じだった。
 あれこれ試して、一通り、思いつく限りのことをやってみた後、すっかり困り果てたラアは、ふっと、ヒキイの顔を思い浮かべた。
 困ったときは、ヒキイ。ラアはそうして、いつでも当たり前のように、彼を頼ってきた。……けれど。
「あーっ、そうだった、ヒキイは西へ行ったんだ」
 二日後に戻ると、そう言って出たことを思い出した。
 ラアはすっかり肩を落として、椅子にへたり込んだ。顔を伏せ、手足を放り出して、あーあ、と大きくため息をつく。
 と、その時。神殿の入り口のほうから、いつもと違う、なにかを感じ取った。
 なにか、ふんわりと広がる力。……ラアは顔を上げる。
 それは心地よい力だった。強く揺るぎない、しかし脅威として立ち上がるのではなく、ゆるやかに、あまねく広がる力。足下から静かに、確実に、包み込んでゆくような。
 前庭のほうだ。――ラアは駆け出す。駆け出すうちに、思い出した。今日は、いつもの二人がいない、代わりに、いつもはいない人がいる。
 中庭を突っ切り、列柱の間を走り抜け、ラアは前庭を臨む。
 さんさんと陽の降り注ぐ明るい庭園。遠く囲む高い壁を覆い隠すように立ち並ぶ木々。
 見慣れた光景、その変化に、ラアは息を呑んだ。
 色が違う――これらは、こんなにも若々しい緑色をしていたろうか……?
 中央にまっすぐ伸びる参道の両脇、てっぺんから緑の噴水を吹き上げる椰子も、こんなに緑濃く葉を茂らせて、なんと立派に見えることだろう。薄緑のこぶのような実をぶら下げたイチジクの木も、小さな葉でいっぱいに飾ったとげとげ枝のザクロ、しなやかな白い枝を自由に広げるシカモア――それぞれがゆったりと身体をゆすって、陽の下で誇らしげに輝くその様子。
 その、木々の影にたたずむ、ひとりの人物。
「シエン!」
 名を呼ぶと、その人はゆっくりと振り返る。そうして、息を弾ませ駆け寄ったラアを静かに見下ろし、何かと問う代わりに、ゆっくりと一度、瞬いた。
 背の高い男神。がっしりとした体格は、ぶつかってもびくともしない壁のよう。けれどその目は穏やかで、どこか優しい。
 ラアはその人を見上げ、あっ、と小さく声を上げた。
 この瞳の色、知ってる。木の影で休むとき、見上げた目に映るあの、陽に透けた緑。重ねた葉の、影の光。やさしく覆う、その色と同じ。
 瞳に鮮やかな色彩をもつのは、四大神の証。彼は地属性の神々のうち最高位にある「大地神ゲブ=トゥム」である。
 昨夜、初めて間近に見た、地属の力。彼が大地の歪を修復しているのを見たとき、地属の力はそうした地の色、茶や黒の、硬くて重たい、そんなイメージだと思った。けれど今、こうした明るく安らいだ緑色のイメージもまた地属であるし、彼の人柄はきっとその瞳の色の通りで、それにぴったりに違いない、そう感じた。
「すごいね、葉っぱがぴかぴか!」
 嬉しくて、思わず大きな声を出すと、シエンは少し圧倒されたようだった。