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LOVE FOOL・前編

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「お前に追いかけろって言っても、それは無理な話だよな」
「…。」
 麗人に薄く微笑まれ、しおりと白鳥は頭を下げる。
済まなそうに羽根をたたむカラドリウスにヴィヴィアンは頬を寄せた。

「また今度…か」
 また同じ事を繰り返すつもりか。

 別人の様に真摯な声音で呟き、颯爽と身を翻す。

―が、ヴィヴィアンは再び何かに躓きバランスを崩した。

「痛っ、何だよ!?…うん?」

 二度目の強打にとうとう頭を抱えると、それはコートのポケットから転がり出たガラス瓶だった。
 アースが「誓い」を破らせバアルを塩の柱に変えた時、自分が握りしめてきた物だ。
どうやら奪われた事に気づいていなかったらしい。

 水に浸かり、塩と混じり合ったバアルの破片は水の底で丸く固まっている。
ヴィヴィアンは瓶を目の前に掲げ、中の水を軽く振りながら何かを思いついた表情で唇を曲げた。

 それはルージュが通信機で感染した時と逆の発想だった。
通話の回線で相手を浸蝕出来るなら、破片は必ず本体と繋がっている筈。

 …多分。
 好奇心旺盛、探究心旺盛の天才魔術師は手にしていた瓶の蓋をおもむろに開けると、
ブリジットを心配し飛び回っていた光の民を捕まえ、中に放り入れた。

『きゅ、きゅーっ!?』

 言葉にならない絶叫を無視し、ヴィヴィアンは固く閉めた瓶を上下に激しく振り回す。
「煩い、黙れ!死にはしない、我慢しろ!」
『きゅふっ!』
 横暴極まりない鋭い一喝に喉を鳴らし黙りこむ。
不貞腐れた様に精霊は胡座と腕を組み、ヴィヴィアンの実験に付き合う事に決めた。


 光の属性も、彼の能力同様破片を伝って本体に届く。
体内から。暴食故に、彼は毒をも吸収する。

「この目で結果を見られないのは残念だが、まあ、俺の予測通りなら…」

 やがて手の中で激しく膨張し、砕ける瓶と浄化される黒塊を見下ろしヴィヴィアンは満足そうに顎を撫で、言い落した。
++

「凄い…女神様に運んで貰えるなんて、そうそうない体験だわね」
「当然だ、褒め称えろ庶民。俺を誰だと思っている!」
「はいはい」
 イエソドの魔術師達によって救われた旅客船の船長は、無償で部屋を貸すと云ったが何故かヴィヴィアン達は不平を零しながらも再び狭いルージュの船に乗っていた。

 当初と時と違うのは座席の位置。
ブリジットがアースと後部座席を占領しているせいで、ヴィヴィアンは助手席を余儀なくされたのだった。

 おかげで機内は騒々しい。

「むっ、何だその小馬鹿にした言い方はっ」
「あーら、それくらいは判るのね?おビビちゃん」

「きー!腹立たしい女だなっ」

 バアルによって破壊された飛行船の機械はイエソドに着けば修理が出来ると操縦士が上機嫌なのも原因か。
 席に着いてから一時も途切れず飛び交う会話の応酬に、ブリジットが口をはさめる隙がある筈がない。
(万事解決したけど…何かを忘れているような)
 人の躰とは違うアースの傷はカラドリウスにも癒せなかった。
以前のブリジットなら泣いて直視すら出来なかっただろうが、今は何故か少しも恐ろしいとは思えず膝に横たえたまま、ぼんやりと憂いた。
 アースは生きている。
今は自分の知識が足りないが、イエソドに戻れば。きっと方法がある。

「…あ、ティターニアだ!」

 すっかり忘れていた!とブリジットは再び泣きだしそうに瞳を潤ませヴィヴィアンを見た。



++

 此処が何処かも解らない。
太陽は沈み、夜の空気は気温を急激に下げる。
回りは伐採前の林と車輪の跡が歪に残る道路が一本。
真っ直ぐに通っているだけだった。

「くそ…。まさかパナケイアを従えていたとは、な!?」

 ヴィヴィアンが思っていたよりも、遥かにバアルはダメージを負っていた。
げほげほと吐き出される吐瀉物は光の粒子。
ふらりと地面に手をつくバアルは体内からの発光に驚愕した表情を浮かべた。
 本人に知る由はなかったが、光の民を呑みこんだ彼の破片はヴィヴィアンの予測どおり
本体へと繋がり皮膚一枚を隔てじわじわと浄化されていたのだ。
翼のある自分が、こんな汚らわしい地面に膝を落すなんて…。

 蘇生の出来ない躰で、むくりと身を起こす。
闇夜が心地良く自身を包む以外何一つ、バアルにとって有利な事はなかった。
せめて街までたどり着けば…。
 命を喰らえば少しは回復出来るかも知れない。
 歩く度、忌々しくも黄金色に溶け出す体躯を引き摺り、遠くに見える街の灯りを見下ろした。
古めかしい看板から街の名前は読み取れないが、あと数メートルだという数字は判る。
一刻も早く、溶けだす躰を修復しなければ本当に死んでしまう。

「っ!ぐ…がはっ!クソ!」

 一本の脚ではバランスが保てない。加えて腕も片方無くては、身を立てる事もままらなない。
無様に顔を砂利に埋め、荒い呼吸を繰り返 す。
 人間は馬鹿だから、こうして倒れていれば向うからやってくるだろうか?
この際、とりあえずの野犬でも兎でも構わない。
ふつふつ浮かぶヴィヴィアンと殺し損ねたブリジットへの怨恨を糧に、真紅の瞳を揺らし地面に爪を立てた。

 地面を伝う振動を擦りつけた頬から感じとり、獲物の気配に飢えた口が大きく裂ける。

 人間の匂いと鼓動だ。

「やっぱり、人間は馬鹿だな…」

 痛みを堪え、ゆっくりと上半身を起こすバアルはくつくつと喉を鳴らす。

が、直ぐに張り付けた嘲笑は消え失せ、此方に突っ込んでくる鋼鉄の車輪に目を見張った。

『ふぶぅああああぁああアあーー!?』


「ひいっ!?」

 ぐしゃりと湿気を含む、不快な物音とタイヤが乗りあげる独特の感触。
視界に跳ね上がった黒い塊に運転席の女は悲鳴を上げた。

「やっば!…今…人轢いたかも…っ」

「は?…人…だって!?」
 突然ブレーキがかけられ、後部座席で浅い眠りに身を委ねていた青年は慌てて身を起こす。
運転席から怖々振り返るドライバーの女性に、落ちつく様深呼吸させると自身は一旦車を降りた。

 彼女の名はシアン。
男勝りな性格で、夜にも関わらず客を乗せて街から街へ愛車の「デルタプルーフ」を走らせている。
 イエソドに向かう途中であった。
やはり無理をさせていたのだろうか?
 乗客の青年は気さくな赤毛を撫でつけ、車体の前方からタイヤの下を覗き込んだ。
窓から手渡された灯りを持って見ても衝突した車の表面には、何の物か解らない黒い汚れがべったりとついている以外、轢かれた様な動物は見当たらない。

 まず、血痕が無かった。
すうっと、棲ました視線で暗がりを一周させ男は再び後部座席に戻る。

 旅人にしては少ない荷物から、真新しい剣だけがぎらりと光った。

「…何も無いが…本当に人影だったのか?」

「暗くてはっきりとは見えなかったけど、感触が人っぽかった」
 短く切った金髪を梳き、悪戯っぽくシアンは笑う。
 その表情はどこか、彼の妹を思い出させた。
一時、感傷に浸りつられて微笑むと、青年は彼女の言葉にうん?と首を傾ける。

「曖昧だな…というか。轢いた事があるのか、シアン?」
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨