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LOVE FOOL・前編

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第1環


―ねえ、想像出来る?

 キミが居るこの世界は実は神様が見ている夢の産物で、こうして交わす言葉も夢の一部分。
結末の決まった物語の些細なワンシーン。
偶然なんて物は何一つなくて全てが必然。
 他人に注がれた愛情を、自身に纏うアクセサリーとしか思わない愚か者。
「無償の愛」がどれだけ希少で価値があり、幸運であるか、その身で思い知りなさい。

 ―…なんて。
そんな会話を誰と話したのだろうか。

 藍色に澄んだ高い夜空は何処までも広がり、美観を損ねる建築物はそこに無い。
街灯の数は多くないものの、時折買い物袋を抱えて歩く子供の姿が治安の良さを窺わせる。
穏やかで活気のある、ごく普通の鉱山町。
灰色の石畳と家々の間、柔らかな月光を背にする路地裏で一匹の野良猫が路面にくったりと横たわる青年の頬に前足を乗せた。
「…ぅ…?」
 顔を踏まれる肉球の柔らかな感触に細い眉が険しく寄る。
けれど痩せた猫はコートのポケットに食べ物の匂いが無い事を認め、一声鳴くと涼しい顔で蒼銀色の髪に尻尾を絡ませ通り過ぎた。
「な、何だ!今のっ!」
 払い除ける様に両手を振り回し、がばりと起き上がって早口に喚く。
感覚が目覚め、思考回路が正常に働き出すと寒さばかりか痛覚までもが後頭部から繊細な
彼の神経を障る。
 断続的に痛む頭を抱え、身を照らす空の明るさに顔を上げれば大きな橙色の満月が此方を見下ろしていた。
 まるで青年を嘲笑うかの様な姿が、脳裏にそよぐ人影と重なる。
(そうだ…あの女…)
 苦々しく睫毛を瞬かせ、石路で強張った体を解しながらコートに着いた砂利を払う。
銀髪を梳く指には完成したばかりの指輪が光っていた。
 不思議な輝きを持つ宝石を中心に10種類。
どれ一つとして同じデザインの無い、精巧な指輪は彼が馴染みの錬金術師に造らせた品で、数時間前まではとりまきの友人達を一流レストランに寄せ集め、見せびらかしていた処だったのだ。
 それが、今は。
 痛む腰を摩り、辺りを見回すが見覚えのある建物は何も無い。
自分に何が起きたのかぼんやりとしか思い出せない上、知らない場所の路地裏に身一つで
放り出されている。
 こんな不名誉は生まれて初めてだ。
―それはそうだ、と彼は唸る。
 彼こそがヴィヴィアンヴァルツ=ラヴィニ=ヴィルベルガ。
 世界に存在する最も古く、巨大な組織。魔術師協会に神童、世紀の天才だと、数々の名声を証された美しき青年魔術師。
開けた扉はいつだって行きたい場所に繋がっている。街を歩く必要なんてない。
 だが今日ばかりは様子が違う。
 ヴィヴィアンは不機嫌に口を曲げ、溜息まじりに左手をつい、と掲げた。
まるで本のページを捲るかの様な単純な動き。
それは彼が空間を渡る時の仕草で、一瞬にして何処からでも望みの場所に通じる事が出来る。
通常の魔術師は一度行った場所にしか繋ぐ事は出来ないが、彼は思い浮かべるだけで何処へでも
 行ける…筈、なのだが。
「!?」
 振った掌は空しく宙を掻くだけであった。

 目の前の街並みは相変わらず黄色い砂埃を含み、寂れた民家を晒してヴィヴィアンの前に広がる。
彼を弄った野良猫が不思議そうに振り返り、にゃあんと鳴いた。
「な…何故…!?」
 詠唱も図式も面倒だと簡略し、いつもなら指先の動き一つで扱える力が発動しない。
もう一度、と数回繰り返すがやはり何の作用も無い。
乾いた風が足元を吹き抜けるばかりだ。
「何、で、だ!」
 何故魔術が使えない!?
 次第に焦りが強まるヴィヴィアンはヒステリックに感情を昂らす。
自分に何が起きたのか理解出来ず、額に両手を押し当てては蹲り、立ち上がり。
ぐるぐると辺りを一周した。

 彼の美しい銀髪と紫水晶を映した様な湖畔の蒼い瞳。
けれど讃えられるのは容姿だけでなく、類い希な魔術師としての才能があったからこそ。
それがある夜突然、使えなくなるなんて天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
「あり得ない…有り得ない!これは何かの間違いだ…」
 ぐらぐらと重い目眩と足取りを抱え、ヴィヴィアンは壁伝いに灯りの零れる通りに歩み出た。
見下ろす満月は悲劇の主人公を愉快そうに照らす。

 酷く顔色の悪い彼が纏う高級素材の衣装は、ブランド品のオーダーメイド。
当然ながら需要がないこの町での入手は不可能だ。
観光客の来る場所では無いだけに、良くも悪くも通行人の目を惹きつける。
町も住民もくすんだ色をしてヴィヴィアンを物珍しく眺めるだけ、誰一人声をかける者はいない。
(気安く話しかけられるのも腹がたつけどな!)
 他人に、それも下層階級の田舎住民に助けを求めるなど彼のプライドが許さない。

 どうしたものかと煉瓦の壁塀を背もたれ、脚を組む。
苛々と思案を巡らしているヴィヴィアンに、そろりと一歩離れた場所から控えめな声が掛けられた。
「あの…すみませんが…貴方様はもしかして…」
 小さく震える声音は、微かだがはっきりとこちらに向かって尋ねている。
「有名な天才魔術師、ヴィヴィアンヴァルツ様では御座いませんか?」
「…。」
 自分を知っている人間が居たとは!
内心深く安堵しつつも、平静を浮かべ冷たい視線を返す。
高慢に澄ました横顔を見るなり少女は「やっぱり!」と赤らむ頬を両手で覆い、歓喜した。
薄いブラウンの髪を肩につかない長さで切り、エプロンドレスの彼女は黄色い声で叫ぶと祈る様に手を組んで天を仰ぎ、詰め寄った。
「ヴィヴィアン様がこんな町にいらっしゃるなんて夢の様です!
……もしかして何かのお仕事ですか?」
「え…仕事?…あぁ!そうなんだ、実はね」
(…まぁ…いいか)
 少女の善意に救われた事も棚にあげ、ヴィヴィアンは都合良く誤解した彼女の肩に手を乗せた。
夢心地で蕩ける眼差しを注ぐ娘はニーナと名乗った。
 ニーナはこの街唯一の娯楽施設。

 酒場を営んでいる主人の一人娘で、各商店の支払いを済ませた帰りだと云う。
2人が通りを歩けば、顔見知りの常連客が、看板娘と連れ立って歩く見知らぬ美人に野次を入れる。
あまり着飾る事のない街の女性達に見慣れているせいか、美しければ性別はあまり気にならないらしい。
「この御方に下品な真似したら許さないからっ!」
 溜まりかねたニーナが腰に手を当てて叱りつければ、男達は冷やかしの口笛を吹く始末。
「〜!」
 怒り以外の理由から赤らむ顔を必死で仰ぎ、彼女は済まなそうに魔術師を見上げた

「ニーナ。君、この辺りの地図を持っていないか?」

 周りのそんな茶番事は全く眼中にないヴィヴィアンは程よく尖った顎に指を当て、用件のみを口にする。
 実際彼はとても重大な件を抱えていたがそのせいばかりではない。
元々他人になど興味が無いのだ。
自分さえ良ければそれで良い。
 なぜなら俺は世界に最も有益な存在、天才魔術師ヴィヴィアンヴァルツだから。

「地図…ですか?」
 唐突な質問にニーナは、小さく首を傾けた。
「それなら店に行けば……。宜しければどうぞ、こちらです!」
 憧れの有名人が、しかも向こうからやって来た。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨