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みやこたまち
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鸚鵡(宇祖田都子の話より)

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 ここにくると、いつも外に雨の音を聞くような気がします。激しい雨ではなくて、サァーっと煙るような雨です。雲は平板なグレイで、寝ぼけたように明るい。室内の蛍光灯を消すと、窓の外が意外と明るく、室内が思いのほか暗く感じられるような。何もかもが、何の驚きも、唐突さもなく、全てが自分の頭の中でだけ起こっているかのように錯覚させる雨の日の気配を、この店にくるたびに感じます。 周辺の住宅や、エレガントな図書館の雍壁にはまり込むようにしてある「鸚鵡」の窓は、小さな水族館の小さな水槽の連なりに似ていて、そこから見えるものは、湿ったコンクリートだけです。私は窓に背を向けて、店内中ほどにある大テーブルに座わりました。チューリップを逆さにしたような形のオレンジ色の電灯が微妙に高さを変えて三つ一組で三組ぶら下がっていて、天板にオレンジを滲ませています。 卓上には、数冊の書籍がおいてあります。それはここに持ち込まれる数多くの機関紙や同人誌の中で、マスターが認めてくれたものだという噂が、製作者の間では広まっています。マスターは、たまたま手にとったものをテーブルにおいてあるだけだよ、と取り合わないのですが。ジャンルは様々で、その時目に付いたのは、市内のコンクリート打ちっぱなしの建物の定点観測記録の本でした。いろいろな興味の切り口があるんだなと思っていると、料理がきました。

 トマトケチャップたっぷりのナポリタンは、魚肉ソーセージに、ピーマンの風味が絶妙で、しんなりした玉ねぎに味がよくしみていて、思ったとおりの味でした。私は昨夜来の奮闘のせいか、想像以上に空腹だったようで、太めのパスタを、一心不乱に、巻きつけては食べ、突き立てては、回転させ、を、しまいまで繰り返しました。絶妙のタイミングで、メロンクリームソーダが置かれます。私はあわててナプキンで口をぬぐって、「ありがとうございます」と言いました。マスターは、「どういたしまして」とカウンターに入り、コーヒーを挽き始めました。
 透き通る緑の底から上昇する細かな泡が、ドーム状に盛られたアイスクリームの底部をに到着し、それをくすぐったがるかのように溶け出したアイスは、幾筋かの乳白色の渦となってグラスの底へ降りていきます。ドームの頂点には真っ赤なさくらんぼ。太めのストローの先端は、スプーン状になっていて、アイスを掬っていただきます。時計を見上げると2時40分でした。店内には他のお客様はいません。
「今日は、ギャラリーの中は見られますか?」と 私は尋ねました。マスターは、コーヒーをドリップしながら、「はい。自由に見ていってください」と言いました。濃いコーヒーの香りが店内に溢れてきました。私はメロンクリームソーダを飲み終えて、ギャラリーへ向かいました。

 扉は、潜水艦のハッチです。入り口の右に小さなトンネルがあって、洗面所と、スタッフルームがあります。配電盤などもそこにあります。制御版をあけ、ブレーカースイッチを入れます。必要最小限のLEDが灯り、空間がまだらに浮かび上がりました。私は肌寒さを感じながら、展示スペースの奥へと向かいます。
 このギャラリーは、中央図書館の雍壁の内部に位置しています。もともと、市が、マスターの私有地を造成して、図書館を含めた文教地区として整備される予定でしたが、現在この「鸚鵡」が建つ一角については、マスターが画一的な市の計画を断固として受け入れず、「そういたしますと、日当たりも水はけも通風も、ひじょうにご不便をおかけるすこととなるかと思いますが」というニヤケ顔の担当者をどこかへ飛ばして、盛土を断り、さらに、雍壁内部に地下室を設けさせるという、特例中の特例を認めさせたのだそうです。
「重要なのは、何を作るかではない。何をしたいかである」
 と熱く語るマスターの武勇伝は、ミニコミ業界ではちょっとした話題になったとのことです。現在のマスターの立ち居振る舞いからは、ちょっと想像できないのですけど。みんなが、熱く、理想を語り、現実にむかって吼えていた時代だったんですね。

 広さは、バレーコート2面分ほど。天井までの高さは3メートルくらいで、頑丈そうなコンクリートむき出しの張りと電気関係の配線とが整然とした区画をなしています。空間には柱も内壁もありません。そして、入り口の向かい側には大きな鉄の引き戸があって、その向こうは倉庫です。椅子や、パーティションなどが整然と収納されていて、さらに屋外へ通じるシャッターがあります。搬入はそちらから行うのです。シャッターの外は、エレガントな図書館の東の足元になっています。外観は高級住宅の地階ガレージといった様子です。私はゆっくりと歩きながら、展示パネルの構成などに思いをめぐらせていました。


 その中で、ふと、ほのかに湿ったコンクリートに閉ざされた空間に佇む「気配」を感じました。それはわずかな温度差や残り香といった不定形な塊で、そこを通り抜けたときにのみそれと知覚でき、知覚できたその時には、通り抜けた時に巻き起こしてしまった渦のためにかき消えてしまっていて、手がかりは、私の産毛や鼻の奥にまつろう僅か二、三滴の雫だけなのです。この確かにそこに留めおかれてあった空間の記録は、それを検知した私の記憶とはなり得ず、まつろわぬ気配の残滓に、呆然とすることしかできません。この思いがけない接触に、時に肉感を、所によっては怨念めいた感覚を刺激されているうちに、私は、
「私達の作品が、これら残留思念のような暴力性をもって、他者へ入り込んでいく形態を獲得できたら」
と思い、その次には、その考えを実現することができるという確信を得ていました。

「良いものができるだろうな」
 私はうれしくなって、ギャラリーを後にしました。マスターが微笑みながらコーヒーを出してくださいました。
「サービスだよ」「まぁ。ありがとうございます。いただきます」
 店内は紫色の暗さに沈みつつありました。オレンジのランプがゆっくりと揺れています。夕陽がこの店に届くことはありません。黄昏がおりなすグラデーションの中から、青系統の色だけが室内を満たしていきます。灯された照明が、圧倒的な容積の外光色に飲み込まれた、この時空に満ちた紫が好きです。完全に陽が落ちると、店内の照明の色が空間を支配してしまいます。私は、この黄昏を逃さないように、家に帰ろうと思いました。
 代金を支払った時、「展示、期待していますよ」とマスターが言いました。私は「はい」と応えて外へ出ました。思いがけない冷気に一瞬ひるみましたが、帰りは上り坂です。

 乾いた西からの風が、坂の上から吹き降ろしてきます。イチョウの葉がなだれ落ちてきます。青黒い天に向う坂道を、両手を握り締めて登りました。私の輪郭が冷たくなります。
 マンションの前までくると、人だかりがしていました。
「夕方の情報番組でも来ているのだろうか」
 私はそう思って、
「この付近に、何か話題となるようなものがあっただろうか」
 と、考えかけましたが、冷たい風にあおられた背中がえぐられるように震えてきたので、そのまま裏の階段をぐるぐる駆け上って、部屋へ戻りました。