小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

幻燈館殺人事件 中篇

INDEX|15ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

* 7 *



 笹の葉に包まれた握り飯。
 それは花明の握りこぶしよりも大きく、梅干入りのものと、佃煮入りのものとがある。
 梅干は自家製。塩と赤紫蘇で作った極々普通の梅干。佃煮は帝都北部の名産品であり、大学敷地内にある食堂で定食の一品として出されているものだ。
 花明は、握り飯を包んだ笹の葉を両手に一つずつ持って歩いていた。花明の分と、怜司の分の握り飯だ。
 中途半端な時間帯ということもあり、食堂には花明の研究室に持ち込めそうなものが用意されていなかった。そこを、従業員の厚意で握り飯を拵えてもらったのだ。
「本当に食べないんですか?」
 並んで歩く蜂須賀は、何も手にしていない。それはつまり、蜂須賀の分はないということだ。
「昼には遅いし、晩には早い」
 蜂須賀は素っ気ない返事を返す。
「存外に美味しいんですよ?」
 蜂須賀も、帝国大学の食堂に対して少なからぬ興味を持っていたのだが、それが握り飯となったことで興が醒めてしまったのだ。だからといって、握り飯やその具材に不満があるわけではなく、言った通り、昼には遅いし晩には早い時間帯に敢えて口に入れるほどのものではない、ということだ。
「味の問題ではないのさ」
 蜂須賀がそう返したとき、敷地内の外灯に明かりが灯った。
 日没こそまだだが、明かりが漏れている窓とそうでない窓とをはっきりと見分けることができ、空の東の方はすでに暗い。
「確かに、誰かいるとは思えんな」
 蜂須賀は立ち止まり、一つの明かりも灯されていない学部棟を見上げる。
 ゴシック様式とは一線を画す外観が、赤紫の陽光を受けて尚一層の異彩を放っていた。
「しかし、なかなかに美しい」
 花明は、ふむ、と唸る蜂須賀を置き去りにして、学部棟に足を踏み入れる。
 闇に呑まれるようにして消えた花明の背中に、蜂須賀は、つい、と両の眉を上げた。
 ほどなく、入り口周辺を照らす明かりが灯る。
 それから蜂須賀は、なるほど、と独りごちて、革靴の踵を一度だけ打ち付けた。

 研究室に戻った二人を迎えた怜司は、花明から握り飯を受け取ると、こいつはうまそうだ、と呟いてから、躊躇なく大口を開けて頬張った。
 怜司は、気を落とした素振りを見せるでもなく、かといって、努めて明るく振舞うでもなく、至って普通の様子であった。
 それは、幻燈館にいた頃の怜司を知る花明の目には、意外としか言い表せない姿として映った。とはいえ、決して悪い印象は受けておらず、人とは変わるものなのだ、と改めて思い直す機会となった。
「ああ、お茶を用意するべきでした」
 花明が立ち上がったのは、怜司が最後の一口を飲み込むのとほぼ同時であった。
 その絶妙な間の悪さに、蜂須賀と怜司は揃って破顔した。
 花明が持つ独特の“間”は、周囲の者の心を和ませる。とはいえ、例外もある。その最たる例は、周囲の者を自分が思う秩序と規律とで厳格に統制・支配したいと考える人物だ。勿論、何らかの理由で花明を個人的に嫌っている人物も、例外に含まれる。
「話を再開してもいいかな?」
 茶を用意すべく席を離れた花明の背に、蜂須賀の穏やかな声が届く。
 花明は、蜂須賀の発したそれが、自分に対してではなく、正面に座る怜司に対して向けられたものであると知りつつも、蜂須賀に向き直り、異論はない、という意思表示を行った。
 怜司もまた、無言のままに頷いて同意を示す。
「彼女を尾行するために家を出たのは、何時頃かな?」
 蜂須賀は、花明が和ませた場を荒立てることなく、空模様の話をするかの如き気楽さで問い掛けた。
「正確な時間は分からないが、日付が変わっていなかったことだけは確かだ」
「つまり、日付が変わるか変わらないかが関わってくるような時刻だった?」
「随分と回りくどい言い方をする」
 怜司は眉を顰めたが、それは不快に思ってのことではない。
「他意はない。夜、それも深夜だったということを確認したかったのだ。それで、行き先は?」
 蜂須賀は、微塵も変わらぬ調子で続きを話すように促した。
「倉庫街にある倉庫だ。紅梅荘からは、歩いて二十分と掛からない。どこにも寄らず、最短の道筋だった。倉庫の中には知らない男がいて、桜子にあらん限りの罵声を浴びせたあと、包丁で何度も刺し、裏口から逃げていった」
 怜司は言葉に詰まる。この先は、愛しき女性の死に際について語ることになるからだ。
 そうして、一秒にも満たぬ沈黙を挟んで、怜司は再び口を開いた。
「倉庫の中には何も置かれていない。あるのはちょっとした工具や廃材だ。視界を遮るものはない。男は裏口から出ていったが、正面に回ってくるかもしれないと思い、咄嗟に身を隠した。しばらくそのまま息を殺していたが、正面に回ってくる気配は感じられなかった」
 怜司は、ふぅぅ、と長く息を吐いた。
「それから、倒れて動かないままの桜子に歩み寄った。名前を呼んでも返事はなく、肩を揺すっても反応しなかった。刺殺体を目の当たりにするのは初めての経験というわけではないが、人間とは存外あっけなく死ぬのだなと思った。自分の保身を考えなかったかと問われたならば、否定はできない。だが事実、俺はあそこから逃げ出した」
 怜司の目は、真っ直ぐに蜂須賀へと向けられていた。そして蜂須賀もまた、怜司を正面から受け止めていた。
「倉庫の中で、被害者の身体以外に触った物は?」
「裏口の枠に触れたと思う」
 蜂須賀が、フッ、と柔らかく笑った。
「何か分かりました?」
 花明はそれを見逃さずに追求する。
「まぁ待て。まだ一つ確認していないことがある」
 蜂須賀は花明にそう声を掛け、改めて怜司に向き直った。
「顔で人を判別できないそうだが、被害者を“彼女”であると特定できた理由を教えてもらえるかな?」
「服だ。派手な花柄だった。色と配置も言おうか?」
「いや、結構。疑っているわけではないんだ。ただ、本人の口から聞いておきたかった」
「もったいぶるな」
「時間は夜。現場は使われていない倉庫。中を覗くと何が見える?」
「男が女を罵っている光景だ」
「あの日、あの時、あの倉庫では、そうだった。だがこの質問は、全く違う場所でのことだと考えてくれ」
「なるほど、そういうことですか」
 お茶の用意を終えた花明が会話に割り込む。
「夜、使われていない倉庫を覗いても、何も見えはしない。なぜならば、使われていない倉庫は照明が点灯していない。つまり、夜は暗くて何も見えないというわけだ。仮に資材が保管されていたとしても、無人であれば照明を点灯させておく必要はない。あの日、あの時、あの倉庫は、照明が点灯していた。そうでなければ、倉庫内の様子を窺い知ることはできなかったはずだからな。大事なのはここからだ。まだ見ぬ真犯人と目される男、目の前にいる被疑者とされている男、二人ともが照明を消灯することなく倉庫を離れている。従って、第一発見者が訪れる翌朝まで、倉庫の照明は点灯したままだった、ということになる」
「確かに照明は点いていたが……それがどうした?」と、怜司。
作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近