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幻燈館殺人事件  前篇

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 ここまで花明が推理を口にすると、蝶子は我慢できずに口を開いた。その様子を視界の端に捉えると、花明は改めて蝶子に話しかける。
「蝶子さんは大河さんの事を犯人だと思っていたのではないですか? そして大河さんを捕まえる為に、私を助けた」
「……否定はしません」
 花明の追及に蝶子は静かに答えた。それに対してはそれ以上の言及はせずに、花明は改めて皆へと体を向ける。
「大河さんが代美さんを殺したとして、その動機は新たに愛人が出来た場合ではないでしょうか。そしてこの館において新たな愛人となりうるのは蝶子さんしかいません。しかしその蝶子さんは犯人を大河さんと思っていた。これでは二人の共犯は成立しなくなります。つまり、二人とも容疑者から外れる事になるのです」
「じゃあ一体誰が犯人だっていうんだ! まさか本当に自分がやったとでも自白するんじゃないだろうな」
「落ち着いて下さい、怜司さん。一人だけ――一人だけ犯人足りうる人間がこの中にいるのです」
 黙って聞いていることにも堪えられなくなったのか、怜司が声を荒げたが花明はそれをそっと諌めた。一人だけ犯人足りうる人間がいる? 「一体誰が……」誰ともなくそう呟くと、花明は自分を鼓舞するように一度だけ強く頷くと敢然と口を開いた。
「犯行時刻が明け方から早朝までと限定されている間はアリバイがあり、会食後から早朝までに変更された途端にアリバイが消失する人物がいるではありませんか」
 花明がそう言うと、その場にいた全員の視線がある一人に向けて集中する。そう、それは――
「柏原ゆきえさん、あなたです」
 花明が残念そうにその名を告げると、当の柏原は何を言われているのか分からないといった様子で、その大きな眼を見開いていた。
「事情を伺えますかな?」
 小野田警部にそう促されても、柏原は小さく首を振るだけだった。
「私が……? 花明さま、一体何を仰るんですか」
 やがて小さくそれだけ言うと、柏原はわずかに体を震わせた。その様子を見た花明は反射的に不憫に思ったが、それでも発言を止めることは出来なかった。
「……私は考えたんです。この事件の犯人の目的は何かと。犯人は大河さんと代美さんの愛人関係も、蝶子さんが代美さんの代役を務めていることも知っていた。そして外部の人間である私が見た怜司さんの部屋から出ていく人影――あれさえ目撃していなければ、誰にもアリバイのないありふれた殺人事件だったはずなのです。それさえなければ大河さんと代美さんの愛人関係は発覚しなかったでしょうし、蝶子さんの代役も表沙汰にはならなかったでしょう。この事件は余りにも多くの傷を九条家に付けました。つまり犯人は代美さんだけでなく、この幻燈館――九条家の人間に対して恨みがあったのではないでしょうか」
 花明は九条家の面々に視線を配ると言葉を続ける。
「今回の件で大河さんは、義理の娘と不倫をしていたという事実により社会的信用を失墜させられるでしょう。蝶子さんも姉の夫と不倫をしていたと、そう暴かれる事になるでしょう。しかし怜司さんはどうでしょうか? 怜司さんはこの事件の鍵として相貌失認症であるという事を世間に公表する事になるでしょう。しかしそれはむしろ楽になる事なのではないでしょうか。……世間を欺き続ける事から解放されるのですから。そしてまた代美さんとの愛のない生活も終わらせる事が出来る。怜司さんだけは致命的な被害を受けたとは言いにくいと思うのです。犯人は九条怜司以外の幻燈館の人間に恨みを持つ人物なのでは」
「一之瀬……桜子……」
 無意識の内に怜司の口からその名が零れる。
「そうです、怜司さん。この条件にぴったりと当てはまる人物が一之瀬桜子さんなのです。そしてこの事件における犯人になり得た人物は柏原さんです。柏原さん、あなたが……一之瀬桜子さんなんですね?」
「私が……? 怜司さまの? そんな恐れ多い事……あるはずがないじゃありませんか。第一その一之瀬さまが犯人であったとして、外部から侵入して犯行に及んだだけかもしれませんわ」
 柏原は強気にそう言い放つ。
「お忘れですか? 外部から侵入した形跡はないのです。第一怜司さんが相貌失認症を発症されたのは五年前。一之瀬桜子さんが失踪した後の事です。一之瀬さんは怜司さんのご病気の事を知らないはず。となれば入れ替わりの事すら理解出来得るはずがないのです」
「その通りです」
 蝶子が深く頷いた。
「怜司さまの事情を知っているのは大河さまと代美さまと怜司さまご本人、そして私だけです」
「使用人の雇用期間が短いのは怜司さんの相貌失認症を隠すため、気付かれないため、そうですよね、大河さん」
「その通りだ。余程の事がない限り怜司の事が露呈する事はない」
 大河の答えにやはりと頷くと、花明は自論を発し続ける。
「では怜司さんが相貌失認症を発症する以前に面識のある人物が怜司さんと再会したらどうでしょうか。怜司さんはそれが誰か分かるのでしょうか」
「分からない。分かるはずもないっ」
 そう言うと怜司は両手で頭を抱え込むかのようにして頭を振った。
「では一之瀬さんが幻燈館に戻ってきていたとしましょう。彼女は気付くはずです、怜司さんの様子がおかしいことに。そして怜司さんを注意深く観察し、気付いたのではないでしょうか。そして全てを知った」
「しかし怜司さんの元恋人であれば、誰かが気付くのではないかね」
 小野田警部の疑問に、大河が沈んだ面持ちでそれに答えようと口を開く。
「儂は怜司とあの娘の事は認めていなかった。存在は知っていたが顔など見た事もない。どうせただの火遊びなのだから知る必要もないと思っていた。あの娘の顔を知っているのは怜司だけだ」
「まさか……そんな……」
 怜司は知らず身震いした。あんなにも求めた愛しい人が、今ここにいるかもしれないという喜びと、その女性は既に殺人犯かもしれないという絶望に、怜司の心は激しく動揺した。柏原はそんな怜司の様子をただ沈黙と共に見つめていた。
 そんな二人を視界に捕らえたまま、花明は思いの全てを伝える事を決意すると、柏原に声をかけた。
「柏原さん、いいえ一之瀬さん。あなたは否定する事が出来ます。なぜならやはり確固たる証拠などないからです。その場合、私は悪戯に幻燈館の秘密を暴いた代償として、代美さんの殺害という罪を背負い、刑に服す事になるでしょう。しかしここまできた以上、警察はあなたの身元を調べる。警察が調べなくとも大河さんは調べるでしょう。あなたが幻燈館に留まる事は出来なくなるのです。怜司さんの元を一度は離れたあなたが、こうしてここに戻ってきたのは相当の覚悟があったはずです。まして殺人まで犯したとあれば、そこには深い事情があったのでしょう。それをあなたが、一之瀬桜子が、九条怜司という一人の人間の前で話す事が出来るのは、全てを白日のもとに晒せるのは、今この瞬間しかないのです」
 花明にそう諭されると、柏原はそっと前を向いた。その目には怜司が映っている。怜司を、怜司だけを暫しの間じっと見つめると、柏原は緩やかに唇を開いた。
「その通りで御座います。私の本当の名は一之瀬桜子です」
 柏原――いや一之瀬がそう言うと、怜司は思わずその場に崩れ落ちた。