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幻燈館殺人事件  前篇

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 広間の扉の前で深呼吸を一度だけした後、花明は意を決して扉を開いた。
「お待たせしました」
「遅い!」
 花明の声を打ち消すかのように、大河が不満をぶつける。相変わらずだなと苦笑する花明に、小野田警部が声をかける。
「ご婦人方は?」
「部屋の外で待ってもらっています。これから実験を始めますが、実験中、皆さんには可能な限り動かず、声も出さないで頂きたいのです」
「分かったから早くやれ」
 逮捕まで一秒も無駄には出来ないとでも言いた気に大河が威圧をかけると、花明は扉に向って外にも聞こえるように、大きく声を張り上げた。
「では、お願いします!」

 花明の声が届くと、静々とした足取りで三人の女性が入室した。女性達は皆同じように体を真っ白な寝具用の敷布で覆い隠し、ずり落ち手しまわない様に肩の所で止めている。一見照る照る坊主の真似事でもしているようだが、これこそが花明が柏原に指示した‘形’であった。
「何なのだこれは」
大河が不満を露わにしたが、それには構わず花明は怜司の方へと向き直った。
「怜司さんにお聞きします。蝶子さんは右から何番目でしょうか?」
「なぜそんな事を聞く」
「いえ、大した事ではないのです。お気になさらず、どうぞ御答え下さい」
「…………っ」
「答えられないのですね。怜司さん、眼鏡をおかけにはならないのですか?」
 花明の問いに返せない怜司を、少し憐れむかのような口調で花明は促した。しかしその提案にも怜司は動こうとはしない。いきなり始まったこの珍奇な見世物に小野田警部は口を挟まずにはいられなかった。
「こんな素っ頓狂な事を始めたと思えば、次は何を言い出すんだね。怜司さんに眼鏡? 全く意味が分らんよ」
「小野田警部、これは何も素っ頓狂な事ではありません。事実、怜司さんは答えられないではありませんか。この中に蝶子さんはいません。こんなハッキリした事がなぜ答えられないのでしょう」
 花明がそう言うと怜司が眉を顰めた。三人の女性達――つまり斎藤、狭山、柏原の三人もどこか不思議そうに小首を傾げている。蝶子は今、花明の指示で廊下に立っていて広間の中にはいないのだ。それにも関らず答えを持ち得なかった怜司を見て、花明は自分の中のある疑惑を確信に変えたのである。
「柏原さん、蝶子さんを呼んでもらえますか?」
「分かりました」
 花明に命じられた柏原はくるりと向きを変え、扉を開けると廊下に向って声をかけた。廊下で待機していた蝶子はすぐに広間へと入ってくる。そのいつも通りの青いドレス姿の蝶子を視界に留めると、怜司は唇の端を歪めた。その様子を見届けると、一度呼吸を整えてから再び花明が口を開く。
「怜司さんが答えられない理由は簡単です。怜司さんはとても視力が弱いのでは?」
「なぜそう思った」
 吐き捨てるように言った怜司の反応は、花明の予測を裏付けたような物である。
「怜司さんの部屋にお話を伺いに行った時に、私に『警部さん、まだ何か?』と仰いましたよね。その時はまるで警察の真似事でもしているかのような私に対する嫌味かとも思ったのですが、現実はただ見間違えたのでしょう」
「しかし君、見間違えると言っても」
「これは私が来ていた上着です」
 そう言うと花明は、先ほど柏原達が準備をしている間に客間から取ってきていたインバネスを掲げた。「これを着ると――」と言いながら袖を通す。
「ほら、小野田警部と似たような格好になるでしょう? 視力の弱い怜司さんは一瞬私を警部と認識してしまったのです。それだけではありません。寝具に入ってきたのは誰か? という問いに対してですが、これは妻の顔を見間違えるわけがないと言ってしまえばそれで済むようなものです。しかし怜司さんはそれも言わなかった。寝室は薄暗く、また眠る時には眼鏡を外すのが普通でしょう。となると怜司さんはひどく目が悪く、眼鏡がなければ隣に眠るのが誰かすら分からないと考えるのは、そう突飛な事ではありません」
「いやいや、仮に顔は分からなかったとしよう。それにしたって仕草や声で分かるだろう」
 と相変わらず外套を着たままの警部が待ったをかける。しかし花明は躊躇わなかった。
「このような事を僕が口にするのは憚られますが、僕も自分の無実の証明がかかっていますから、あえて証言します。怜司さんが代美さんに愛情を持っていなかった事は揺るぎない事実です。怜司さん自身の口からも何度も聞いていますし、僕以外にも柏原さんもその言葉を聞いています。愛がない人間の仕草や振る舞いなど、さほど気に留めないのが人間ではありませんか。いつもと多少違う気がしても、気にならないのでは」
「では声は? いかに興味がなくとも声は自然と耳に入ってくるだろう」
「怜司さんは会食中、気分が優れなくなり途中で退席されました。眠っている怜司さんに気を使い、声をかけないという事はあり得ない事でしょうか?」
「むう……では君は昨日たまたま誰かが代美さんと入れ替わり、そしてその日に限って代美さんが自室で殺されたと、そう言うのかね?」
「……いえ、そうではないと思います。代美さんと何者かのこの奇妙な入れ変わりは通例化していたのではないかと私は思うのです」
 花明の推測に小野田警部は首を振る。
「しかしだなぁ、昨夜はたまたま気分の優れない怜司さんに声をかけなかったで済むが、度々となるとそうはいくまい」
「先ほどの話に戻りますが、あの時私が見た怜司さんの部屋から出て行った人物の候補の中に代美さんと声の似ている方が一人いるじゃありませんか。そう、代美さんの妹の蝶子さんです」
「蝶子さんだと? しかし、君――それはつまり」
「蝶子さんは怜司さんとは普段はあまり喋らないようですね。そしてまた怜司さんと話す時は酷く不機嫌な声を出されるとか。これは使用人の皆さんの証言です。恐らく怜司さんのイメージする蝶子さんの声は、本来の蝶子さんの声よりも少し低いものとなっているのではないでしょうか。それはつまり、営みの時の艶声とは全く印象が違うのでは?」
「つまり君は蝶子さんと怜司さんが不倫をしていたというのか? 二人の接触が少ないのはそれを隠す為であったと?」
 驚きを隠せない様子の警部に対し、蝶子は端然とした態度を崩さなかった。寧ろせせら笑うかのように不敵に唇を歪めながら花明に向かう。
「私が? 怜司さんと? これは聞き捨てなりませんね」
「蝶子さん、何かあればどうぞ仰って下さい」
 しかし花明も怯むことなく、正面から蝶子を見据える。視線同士がぶつかると、蝶子はこめかみを数度指で軽く叩いた後、唇を開いた。
「では言わせて頂きましょう。そもそも証拠はあるのですか? 怜司さまの部屋に居たのが、代美さまではなかったという証拠が。花明さまはあくまでもただの人影をご覧になっただけ。それは代美さまであるという証拠には勿論なり得ませんが、同時に代美さまではなかったという証拠にもなりませんのよ?」
「確かにその通りです。では代美さんが会食事の服装のままであった理由は? 会食後そのまま自室で眠ってしまったと考えるのは自然な事だと思いますが」