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幻燈館殺人事件  前篇

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「……そうですか。では質問を変えさせて頂きます。先ほど愛しているのは桜子さんだけだと仰りましたね。家の事を考えて桜子さんとは一緒になれないと、それは本当にどうにもならない事だったのですか?」
「名家に生まれたもの特有の不自由だ。君には分からないかもしれないが、居なくなった女を待ち続けるなんて事が出来ると思うか? 家を絶やすわけにはいかない。俺は桜子以外ならどんな女も同列だ。庶民だろうと奇咲家の長女だろうと娼婦だろうとな。そこに愛情なんてものが介入する余地はない。」
「そう、ですか……」
「……それでも、全てを捨てて――この家の未来すら犠牲にして、桜子とどこかへ逃げていたら……などと夢想することが今でもある。我ながら未練たらしい事だ」
吐き出すようにそう言ってから、怜司は己を嘲るかのように浅く息を吐くと、花明から視線を外した。ずっと黙って二人の会話を聞いていた柏原であったが、ついにその頬から涙が伝い始めた。背後の柏原の様子が変わった事に気付いた花明が振り返ると、柏葉はそっと涙を拭っていた。
「どうされました?」
「すみません。ただ怜司さまが余りにも御不憫で……」
 本来であれば使用人は主の話に耳を傾けても、それに自己の感情を動かしていいものではない。そんな事は柏原とて十分に分かっていたが、しかしそれでも抑える事が出来ない程に、怜司の話は悲哀に満ちていた。しかしそんな柏原の様子を怜司は憎々しげに受け止めた。
「はっ、たかだか使用人風情に同情されるとはな。俺も落ちたものだ」
「も、申し訳ございません! 少し頭を冷やして参ります。失礼致します!」
 九条家の次期当主である怜司が使用人に不憫だなどと言われて、腹が立たないわけがなかった。失言をした事に焦り、柏原は慌てて頭を下げると、逃げるように部屋を出ていった。
「……何もあのような言い方をされなくても。柏原さんは本当に怜司さんの事を……」
 嗜めるような口調で花明がそう言うと、怜司は軽く頭を振ってそれを否定する。
「使用人の名などどうでもいい。それにどうせすぐにいなくなる存在だ」
「確か二年で辞めさせているとか」
「そうだ。俺は当主が使用人に手を付けているからなんじゃないかと思っているのだがな」
「手を?」
「ああ。当主と母も決して愛があって結婚したわけじゃない。俺と同じで家同士の決まりみたいなものさ。だから他の女に手をつけたって何ら不思議じゃない。まして当主は女好きときているからな。使用人に手をつけ、面倒にならないうちに解雇する。そう考えるのが自然ってものだろう?」
「なるほど……」
 そう言えば斎藤もそのような事を言っていたなと花明が思い出していると、怜司はさらに驚く事を口にした。
「もっと言えば……代美は当主と使用人の愛人関係を知った為に殺されたのかもしれない」
「そんな! たったそれだけの事でですか?」
「たったそれだけの事さ。だが九条家当主がたかが使用人に夢中になっていたとあれば、これは屈辱だ。そうだろ?」
「屋敷内で殺人事件が起こるよりも?」
「さあ。それはどうだろうな。どっちが不名誉な事か。それは分からんが衝動に任せて殺してしまったのかもしれんよ。当主はあの通り偏屈でな。全く……母もあんな男と結婚してしまったが為に……な」
 吉乃の事を話す時の怜司は実に苦しそうであった。そんな怜司を見ると、なぜか花明も居た堪れない気持ちになる。柏原が涙を零してしまったのも無理はない程に、怜司からは悲壮な物が感じられた。
「吉乃さんはどのような方だったのですか?」
「その質問にどんな意味があるのかは知らないが――」
 そこで言葉を区切ると怜司は席を立ち、飾り棚の引き出しから一つの指輪を取り出した。
「生前の母が付けていた物だ」
 そう言って怜司が花明に見せた指輪は、細い金の台に申し訳程度に黄玉が乗っているものだった。
「形見……ですか?」
 怜司はそれには答えずに、ただ懐かしそうにその指輪をそっと撫でた。
「九条家の方の持ち物にしては」
「随分と安物だろう? 母はそういう人だったのさ。本当に清らかな人間でね、俺は母がいたからこの家で、九条という名を継ぐ決意が出来たようなものだ。でなければ誰がこんな家……」
 家の事を口にする時、必ず怜司には影が差す。またも重くなった空気を変えようと、努めて明るい声を花明は出した。
「怜司さんのお母さまですから、さぞ美しい方だったのでしょうね。写真はないんですか?」
「母の写真は残っていない」
「そう、ですか……。残念です」
「いや……。俺としても久しぶりに母の話が出来て良かった。この家で母の名を口にする人間はいないからな」
「こちらこそ貴重なお話を有難うございました」
 一礼すると花明は席を立った。表では柏原が待っているだろうし、聞きたい話はもう十分に聞けた。
「早く解決してくれる事を願っているよ、探偵さん」
 怜司はそんな風に言って花明を見送ったが、その言葉に含まれる棘は最早ないように思えた。