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大坂暮らし日月抄

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 胸の前で腕を組んで、左右に目をやりながらゆっくりと歩く着流しの晴之丞の後ろを、質素な丸髷を結い、綿入り小紋の地味な装いをした小雪は、風呂敷包を抱えて従っていた。
 正月十六日は藪入りである。再興なった大坂の市中は、縁日や芝居小屋で賑わっていた。
 町ごとに、焦土となる前と同じような木戸門が建てられ、木戸番小屋のおやじは、同じように焼き芋を売っている。その香ばしい匂いの誘惑を振り切って、長屋への路地を入って行った。
 源兵衛裏長屋は、今も同じように源兵衛裏長屋といい、新しい建物になっても同じ間取りで、顔ぶれも変わっていないらしい。

 井戸端で、賑やかにおしゃべりしながら洗い物をしている女たち。
 ふと顔を上げたおてるがふたりに気付いて、掌を下向きにして腕を差し出し、皆の会話を止めた。女たちは、洗い物の手を止めておてるを見上げ、その視線の先にあるモノを確認するために、振り返った。
 皆は、ポカーンとした表情で地蔵のようになってしまったが、やがて、前垂れで手を拭きながらお京が、お米が、おてるが、最後に、「よっこらしょ」と言いながら、織江ばぁさんが立ち上がった。
 急に静かになった路地の様子を不審に思ったのか、戸口を引き開けてお米の亭主、粂八が顔を覗かせた。

 粂八・お米夫婦の滞っていた家賃は、長屋の仲間たちが少しずつ銭を出し合って家主と交渉し、請け人となった。それはほんのわずかな額でしかなかったが、業突く張りと言われていた家主も焼け出されてしまい、契約書類などを焼失しているだけに、少しでも実入りがあれば助かると考えたに違いない。
 と、これは、前に出会った時に、お京から聞かされていた話である。
 こうして、ふたりは馴染んだ場所で、再び暮らすことが出来るようになったのである。


「おっ、こりぁ〜なつかしい、はるの旦那」
「あんたっ、はるさんのうしろっ」
 お米が指差すと、一斉に声が上がった。
「こゆきさんっ」
 お京の家の戸口が大きな音を立てて開けられると、太一が飛び出してきた。
「せんせっ」
 走り寄って晴之丞を押し退けると、小雪に飛びつくようにしてしがみついた。
「たいっちゃんっ? 立派になって」
 太一は、黙ってうなずいた。
 皆が、小雪を取り囲むように集まった。太一の父親の助八、徳平の顔も見える。助八も徳平も寡黙な性分で、普段はむっつりとしているが、今は子供のように口を開いて頬を緩めていた。
 隅にはじかれた晴之丞は、あっけにとられてしまった。
「小雪さん、うちにおいで。おゆうは出掛けとっておらんさかい、みんなも来たらええ」
「ほならうちは、ぶぶの用意しまっさ」
 お京が走るようにして、自分の家に帰って行った。
 背中を押されるようにして小雪、そして晴之丞は、織江ばぁさんの家に入った。
 新しい木の香りが残っているようである。室内は薄暗いが、障子や襖も眩しく感じるほど、白い。

「うちのん、今日は仕事に行ってますねん。残念がるやろなぁ」
「おてるさんのご亭主は、かざり職人でしたよね」
「今日は市がたってるやろ。作ったもん、売ってるんやわ。商売商売」
 お京は太一と他にふたりの子供、てるの娘を連れて入ってきた。子供たちは、歌留多遊びをしていたらしい。
「続き、やろ」
 土間に座って、ぼんさんめくりを始めた。

「みんな元気で、なによりだ」
 開口一番の晴之丞の言葉を、誰も聞いていない。
「小雪さん、どないしてはったん」
「なんでまた、はるさんと一緒にならはったん」
「小雪さん、きれぇならはったなぁ」
「前から別嬪さんやったで」
 と、粂八。
「子供でけたんちゃう」
 いろいろな言葉が飛んでくる。
「ま、ふたりは、目のない鋸切り、やったんやな」
 粂八お得意の、洒落言葉が飛び出した。
 ふたりは、意味を考えた。皆、ニコニコして見ている。
「切っても」
 閃いた小雪が言うと、間を置かずに晴之丞が続けた。
「切れん」
 皆は、手を叩いて喜んだ。
 小雪が、風呂敷包を晴之丞に示した。
「ぃやぁ、今日は目出たい日だ。この紅白餅、みんなで分けてくれ」
 やっと、まとまった言葉を発することができた。
 小雪は風呂敷を広げて、紙箱に入れて来た餅を差し出した。


 火鉢に掛けた網で餅を焼きながら、一刻ほど昔話に花を咲かせていたが、黄昏時が来たようである。
 丁稚奉公の太一は、店に戻らねばならない。
「ご馳走さんでおました。お餅、おいしおした」
 すっかり、商人(あきんど)言葉になっている。頼もしく思いながら潮時と見て、晴之丞と小雪も長屋を後にすることにした。
 晴之丞が住んでいた場所となる、織江ばぁさんの家の隣には、まだ、人が入っていないらしい。
「近々、入らはるそうなんや」
「お侍やて、ご浪人さん」
 不思議な縁を感じた。
「また、来てぇな」
 という言葉に送られて、別れを告げた。

 木戸門に近づくにつれて、堪らないほどの甘く香ばしい匂いに、今度は誘惑を振り切れなかった。ふたりは、出された茶湯を口にしただけであった。
 木戸番は副業として、冬は焼き芋、夏には冷やしあめを売っているのである。
「焼き芋、2本くださいな」
「ほいな」
 竃を開けて、火挟みでまさぐっていた木戸番のおやじ。
「あちゃ〜、これ1本切りやがな。しゃあないで、半分ずつでもかまへんか・・・ほい、芋屋の売り切りで、ほっこりしまい、じゃ。毎度、おおきにさんで」


作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実