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大坂暮らし日月抄

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 頭の整理がつかず、その後どのような話をしたのかは覚えていない。故郷へ帰ることが、それが、妻を娶ることになってしまう。現時点で、そのようなことは考えられない。
 平野晋作には、妻と、すでに二人の息子が故郷にある。
 母代わりとなって育ててくれた古希間近の祖母様に、自分の跡取りを見せ、安心させたい気はある。
 だが、しかし・・・。
 源兵衛裏長屋に帰ると、夜具に寝転んでまたもや文を広げ、薄暗い行灯(あんどん)にかざすようにして、文字の一つひとつを目でなぞった。

 《源兵衛長屋に きっと もどりませう》

 自分の女々しさを、嘲笑した。そして、大きく溜息をついた。


 突然のお米の怒鳴り声と、物が投げつけられたような大きな音に、目を開いた。少し寝入っていたらしい。
 何事かと、耳を澄ます。
 笑いが絶えて久しい長屋に、またもや何事か、騒動が持ち上がったらしい。
「そんな大声出すなや、みっともない」
 外に飛び出して来たらしい、お米の亭主粂八。
「なんやてえーっ、このぉ、このおぅぅ、ロクデナシがぁっ」
 お米が鍋を投げつけたらしい、盛大な音が響いた。
「どないぞ、しはったんでっか」
 奥の住まいでひとり暮らしを続けている、徳平の声。
「徳平はん〜。ええとこ出て来ておくれやした。ちょっとこいつ、捕まえとっておくんなはれなぁ〜」
「徳平さん、聞いとぉくれぇな。このドアホが、うちらの財産全部、博打につぎ込んでしもうて・・・何年もかかって貯め込んどったお金でっせぇ。表で店構えるんに、貯めとったん」
「博打やないっ。富くじ、買(こ)うたんですわ」
「博打と一緒やないか、このアホんだらっ」
 お米が、亭主に掴みかかったらしい。井戸端の桶が転げ落ちる音と、もみ合っている気配が伝わってくる。
 仲裁に出ていったほうが、良いだろうか。だが、も少し様子を窺うことにした。この長屋で、ひとり暮らしで気楽に稼いでいるのは、きっと自分だけである。
「はぁ、はっ、はなせぇっ、このぉアマァ、あっ、あ、当たったらなぁっ、すぐ店、持てるよう、なるんじゃぁっ」
「富くじなんぞ、当たるわけないやろぉっ、このボケナスがぁ!」
「イタッ」
 お米が、粂八を殴り付けたらしい。
「まあまあ、お米さん。くめはっつぁんの言い分、聞いたげまひょうな」
「高額金が、よっ、よう当たるっちゅうお寺やっ、按摩の新兵衛はん(按新)」
「このォ、かぼちゃ頭がぁっ。洒落ゆうとる場合、ちゃうやろおっ。やもめの行水っ(勝手に 湯=ゆう 取れっ)。うちに入ってくんなっ」
 バタバシッ、と戸が閉まった。
「アッチャー」
「くめはっつぁん、ひとまずうちぃ入っといで。ぶぶあげよ」
 徳平は、粂八を自分の家に入れたらしい。


 名のある神社仏閣が、堂宇の再建や修築の資金を得るために売り出している富くじは、一枚五百文から千文で購入し、当たりくじは百両から二百両になる。時には、千両の当選金が示されることもある。当たったとしても、そこからいろいろの経費が引かれて、手元に残るのは高額金の場合、6割程度。それでも、天保、と改元されてからは、相当の人気を博している。
 抽せん日には、血眼となった異様な雰囲気の群衆が見守る中で、稚児が、箱に入れられている番号が書かれた木札を、先端に錐が付いた棒で突きさす。
 晴之丞も好奇心から一度購入したことがあるが、ほとんど当たることはないと見極めてからは、遠ざかっている。
 最近は、明日の食に事欠く細民や、うち続く不況に商いの道を閉ざされた小商人、年貢の納入に切羽詰まった小前百姓が家財道具を売り払ってまで、くじ札を買い求めていると聞く。
 結果は知れたこと。
 一獲千金の夢は潰(つい)え、生活は破綻し、人生破滅といった人々が、巷に増えていった。
 しっかり者のお米がついている粂八夫婦は、そこまではいかないであろうと晴之丞は見ている。
 だが何ゆえに、人々は、博打ともいえる富くじにのめり込んでいくのであろうか。
 大金を手にした人の話題が瓦版に載ると、購入者が一気に増えているという現実がある。三井越後屋の奉公人の間でも時に話題として上がってくるが、確かな糧を得ている彼らたちが、手を出したというような話は聞かない。お店の番頭たちが、強く戒めているからかもしれないが。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実