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吉葉ひろし
吉葉ひろし
novelistID. 32011
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気持ちのままに

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夏椿



夕食の時に妻は決まって
「今日も楽しい日でしたわ」と言う。以前は、7年くらい前までは、そう、癌になる前は
「お疲れさまでした」と言っていた。
わたしは妻の言葉に初めのうちは疑問を感じていた。
わたしを安心させるための言葉のように感じていた。妻は人の事を案じるのである。
わたしが妻の事を案じることより、妻がわたしのことを大切にしている気持ちの方が強いのかもしれない。
そして庭の草花の話を始める。ほとんどの時間草花を見ていたり世話をしているらしい。
「アジサイももうすぐ咲きそう。今日はバラの消毒をしたわ」
妻の言葉には躍動感がある。言葉が生きている。
命あるものへの、美しさへの愛着なのかとも感じる。
妻の首筋には、20センチほど、首の半分ほどの傷がある。半年ほど前の手術の痕である。
わたしはその傷の事を気にしてはいないのだが、妻はとても気にかけている。
寒いときはマフラーなどで隠して外出した。これからはどんな工夫をするのだろうか。
先日はハンカチを巻いていた。
「嫌いになるでしょうね」
一度妻はそのような言葉を言った事がある。
それは癌になり5年ほど過ぎた頃であったと思う。
仕事の関係で呑みに行き、わたしはアルコールは駄目なのだが、ノンアルコールのビールなら呑めた。その時に入ったクラブの女性の名刺が妻の目に留まったのである。
好きとか嫌いの域を超えていると思っていたが、その時の妻の言葉に、わたしは罪悪感を感じた。
確かに以前の妻のように美しさを感じない。だが、以前より妻への愛情は強くなったと思う。
妻が頼りにしているのは自分なのだと強く感じるからである。
夏椿が咲いている。
人目に触れずに散っていく花もあるだろう。短い命。
どんな言葉を言いたかったのか。どんなことを伝えたかったのか。
「今日も楽しい日でしたわ」
妻の私へのねぎらいの言葉なのかもしれない。

作品名:気持ちのままに 作家名:吉葉ひろし