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出雲古謡 ~少年王と小人神~  第四章 「諏訪の科津神」

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初冬の空に、重苦しい黒い雲が垂れ込める。
 草原は、荒ぶる風が吹きすさんでいた。立ち並んだ橘の木は、折角たわわにつけた黄色い実を、片っ端から吹き飛ばされていく。
 冬の嵐の中心に、一本の巨大な風柱があった。
「ぼ、僕です、だとおっ……!」
 風柱の中から、怒気を孕んだ低い声が響く。
 少彦名を握って立ち尽くす志貴彦の前で、風柱はその中心をぶるぶると震わせ、やがてバッと拡散した。
「何者だ、貴様!!」
 消えた風柱の中から、一人の若い男が現れた。
 男は宙に浮いたまま、凄まじい形相で志貴彦を睨みすえる。
「僕は……」
 出現した男と対峙したまま、志貴彦は口を開いた。
「僕は、八束志貴彦。十二歳。男」
「そんなことを聞いているのではない!!」
 男はカッと怒鳴りつけた。朱の刺青をいれたまなじりがぴくぴくと震える。
 男は、人でいえば二十代前半くらいの若者だった。丈高く、がっしりとした体つきをしている。よく見れば眉目は整っている方だったが、全身から漂う猛々しさが、彼に対する他の全ての印象を打ち消していた。

「えー? じゃ、他に何が聞きたいのさ。えっとねえ、好きな食べものは、鮎の串焼きと枇杷の実と栗。嫌いなのは、干した椎茸で……」
「ふざけるなっ。小僧、俺を馬鹿にしてるのかっ!」
「ああ、でも滑茸は好きだよ」
「だから食べ物の話ではない! 貴様、どこの神だ。俺を祀る磐座を破壊して、この諏訪の地を侵すつもりか!?」
 長い解き髪を風になびかせ、男は志貴彦を威嚇した。
「まずいのう……奴は、恐らくこの地の地主神じゃ」
 志貴彦の手に握られたまま、少彦名が小声で呟いた。
「地主神?」
「この諏訪の地に発生した地祇の護り神じゃ。ううむ、困ったぞ。我らは奴の依り代である磐座を壊したせいで、かなりの怒りをかっておる」
「へえ、諏訪の土地神かあ!」
 少彦名の言葉を聞いて、志貴彦は感心したように声をあげた。
「こんな暗黒で未開な地の果てにも、ちゃんと国津神がいたんだぁ! 凄いな」
 素直に感想を述べて、志貴彦はにこっと微笑んだ。邪気のない非常にかわいらしい笑顔であったが、それは眼前の土地神を更に怒らせる効果をもたらした。
「小僧……っ」
 土地神はわなわなと震え、カッと目を見開く。
「ふざけるなよっ。国の端だと思って馬鹿にしやがって……」
「えー? 別に、馬鹿になんてしてないよ。だって、出雲では信濃国のことなんて、殆ど知られてないんだもんさー」

 志貴彦の感想は、実際、普通の出雲人としてごく平均的なものだった。当時豊葦原の中心として栄えていたのは、まず出雲、そして因幡や吉備などの周辺諸国であり、この遙か後の時代に「大王」が君臨する大和でさえ、この頃はただの遠い僻地だと思われていた。
 まして、「国の果て」である信濃国である。出雲人の感覚からいえば、なんだかよく分からない未開の暗黒社会、というくらいの認識しかなかった。
 だから、志貴彦の発言は、むしろ素直に信濃を誉めた好意的なものだったのである。だが、そんな彼の素朴な心は、諏訪の土地神にはまったく伝わらなかった。

「……そうか……貴様出雲の者か。……よくわかったぞ、要するに、貴様は出雲からはるばるわが領を侵しにきたのだな」
 額に巻いた赤い帯を押さえ、土地神はそう決めつけた。
「まったく、甘く見られたものだ。こんな軟弱な小僧一人で平伏できると思われるとは……」
 土地神は吐き捨てるような言う。気のせいか、彼の声にはどこか僻んだような響きが混じっていた。
「え、違うよ! 僕がそんなことするわけないじゃないか」
「だったら、何のために出雲からはるばるとやってきた!」
「それには悲しい訳があるんだよ」
 志貴彦は土地神を見つめたまま真顔で言った。
「聞きたい? あのね……」
「--貴様、俺の磐座を破壊しただろう!」
 志貴彦は真剣に己の数奇な身の上を語ろうとしたのだが、相対した土地神は、そんな彼の言葉を振り切るようにして大声で叫んだ。
「ああ。それにも切羽つまった訳があるんだよ--あ、そうだ」
 ふと顔を輝かせ、名案を思いついたように、志貴彦は土地神に向かって指を立てた。
「折角君の土地にいい温泉が湧いたんだからさ。君も一緒に、皆でもう一度入らない?」
「--入らねーよ!!」
 土地神は叫び、腰に帯びていた剣を抜いた。
 そのまま志貴彦に切りつける!
「……志貴彦っ!?」
 宙に投げ出された少彦名が叫ぶ。
 --全ては一瞬の出来事だった。
 土地神は志貴彦を斜めに斬り捨てた。志貴彦の胸が切り裂かれ、鮮血が空に舞う。
 力を失った志貴彦の指から、少彦名が投げ出された。叫ぶ小人が地面に落下するのを追うように、少年は大地に崩れ落ちる。
「--ふん」
 刀身についた血の玉を払い、土地神は剣を鞘に納めた。倒れ伏した志貴彦を忌ま忌まし気に見下ろし、彼は鼻を鳴らす。
「志貴彦!? 志貴彦ぉっ!!」
 少彦名は駆け寄り、両手で懸命に志貴彦の頬を叩いた。だが、倒れた志貴彦は、固く瞳を閉ざし、ぴくりとも反応しない。ただ、切り裂かれた傷口から流れ出す鮮血が、大地をどす黒く染めていった。
「ああっ駄目じゃ!!」
 少彦名は絶望的に呻いた。
「御魂(みたま)が、御魂が一瞬で身体を離れてしまっておる。黄泉路に向かってしまっ
た。このままでは志貴彦は戻って来ぬ……!」
 志貴彦の頬に寄りかかったまま、少彦名は小さな瞳を涙で溢れかえらせた。
「うう……ううう……」
 拳を握り、体を悲しみに震わせる。止まらぬ涙を拭いつつ、嗚咽しながら天を向き、少彦名はあらん限りの大声で空に向かって叫んだ。 
「我が御祖(みおや)の尊--! 助けてくれいっ。わしの、わしの義兄が死にそうなのじゃ。声を聞いてくれ、御祖神ーーっ! お願いじゃ、助けてくれーー!!」


    ※※※※


 天の海に 雲の波立ち 月の船
            星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
                              (万葉集千七十二) 

 ……随分と、未来のことになるが。
 神々の時代が終わり、やがて大地に人の歴史が始まった頃。ある女帝の御代に、後に「歌仙」と称えられる歌よみの名手が出現した。
 彼は、果てしなく広がる天を海に見立て、そこにたなびく雲を波の姿と見、夜空の星の林に渡りゆく月の船を夢想した。

 天は高く、遠く、そして美しい。
 --そしてそこには、天つ神々の住まうきよらかな国がある。           
 高天原の西の果て。そこには、「天の御巣」と呼ばれる、雄大なる神の宮が鎮座していた。
 この宮の主は、神魂神。造化三神の一柱であり、同じく造化三神の一柱・高御産巣日神と真向かう、高天原の最高神の一人であった。
 神魂神は「独り神」であるため、本来明確な個性や性差といったものは存在しない。ただ、高御産巣日神が便宜上壮年の男性の姿をとっていたため、対応する神魂神もまた、かりそめに中年の女性の姿を模していた。