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LISBOA 記憶の欠片 後編(11月8日完結)

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 ここで片岡が言う「アルカンタラ」は、例の展望台のことではなく、彼らの住む場所から見て南西に位置するアルカンタラ地区のことである。四月二十五日橋のたもとにあり元は工業地域だったが、最近は工場の建物や跡地が店舗やギャラリーに改装され、この街ではいわゆる流行の発信地のようになっている。もしも今進めているリスボンでのホテル経営が上手くいくようなら次は、と片岡も密かに目論んでいた。今の段階では到底口にするわけにはいかないが…。
 ジョアンはこの地区のカフェ等の店舗を二、三手がけているため顔が広く、催しの協力や人集めにかり出されることが多いという。今回は、工場の建物を利用したギャラリーで行われているインテリアデザイナーの展示イベントの一環で開かれるパーティへ、片岡とエリを招待してくれた。
「面白そう。行きたい!それって時間はいつ?…誓はどうせ、仕事のネタ探しが目的でしょうけど」
「まあね…時間は、日曜日の午後だってさ。じゃあ二人で行くって返事しとくよ」
 
 大きなレンガ作りの古い工場の建物を仕切って、いくつかの店舗が並ぶ一角にそのギャラリーはあった。中へ入ると、壁は明るい色で塗り直され、床材も張り替えられて小ぎれいにリノベーションされていたが、その一方かつて工場で使われていた古い設備もそのまま内装のデザインの一部となっていた。ジョアンの話では、工場の中に残されたものも極力利用するのがこのアルカンタラ地区では一般的なのだという。
 日曜日は朝から雨と風が強く生憎の天候だったが、正午を過ぎた辺りからギャラリーのパーティ会場には人が集まり始めて、一時をまわるとすっかり賑やかになった。会場に置かれたインテリア作品に自由に触れたり腰掛けてくつろいだりしながら、会話やワインなどを楽しむのがこのイベントのコンセプトである。エリを連れて会場に現れた片岡は、ジョアンの紹介で数人のデザイナーと顔を会わせて挨拶を交わした。エリは未だポルトガル語は殆どわからないのだが、簡単な受け答えはできるようになっていたし、国外からの注文も受けているデザイナーは英語も話すのでどうにかその場になじむ事ができた。彼女は織物の作家と木工のデザイナーが共同で制作した椅子やソファが気に入ったらしく、作品についてデザイナーに英語で色々質問をしていた。日本人としては比較的長身のエリはポルトガル人の中にいても全く体格で劣るところはなく、ゆるやかに巻いた長い髪に濃紺のニットのワンピース、透かし柄の入ったタイツに短いブーツを合わせた姿は、招待客の中では目立って垢抜けていた。それは片岡自身も同じ事で、おのずと片岡とエリのカップルには人々の視線が向けられた。
「ねえ、誓、もし誰かと話をしたかったらしてきていいわよ。私、見積もりをしてもらうから」
「何だよ。君が先に商談か?」
「アパートの備え付けのソファ、クロスは剥げてほころびてるし、傷みがひどいじゃない。聞いたらクロスの張り替えとか他のリフォームもしてくれるって言うから…」
 どうやらエリは気に入ったデザイナーと早速家具の修復の相談を始めたらしい。自宅のインテリアは彼女の好みに任せているので、片岡は了解すると彼女の側を離れて、一人でギャラリーの中を見て回った。ホテルに改装する建物については、建築士に建物を見せた上でプランを立てさせている。客室、パブリックスペース共に明るくシンプルで清潔な雰囲気にしたいので、それに相応しいインテリアを提案してくれそうなデザイナーを探したが、やはりジョアンのデザインに惹かれた。そこで、ジョアンに少しずつ固まってきたホテルの内装のイメージを伝えて、提案を出して欲しいと告げると、ジョアンはとても喜んだ。
「片岡さんは日本人なのに、ポルトガルらしさやリスボンらしさに拘ってくれるから嬉しいですよ。いい提案ができるよう努力します」
 話が一段落ついたので、片岡は少し離れたところからエリの様子を伺ったが、彼女はソファのクロスの見本を物色するのに夢中のようだった。
「ワインをもっと如何ですか」
 ジョアンに赤を薦められたが、既にグラス三杯あけた後だったので丁重に断った。
「空きっ腹に飲んだらちょっと酔いが回ったみたいで…」
「はは。じゃあ、そろそろ甘いものが欲しいでしょう。もうじき彼がナタを届けてくれるはずです」
「彼って…」
 片岡の胸の奥がどくん、と波打った。
「ミハルですよ。定休日なのに無理を言って注文を受けて貰いました。今日の招待客にもデザイナーにも、彼の店の常連がいますから」
「そうですか…」
 片岡が一言返す前に、ジョアンのスマートフォンが鳴った。
「やあ、どうも。…裏口に回ったって?じゃあ、運ぶのを手伝いに行くよ」
 卯藤が菓子を届けに来たようだった。片岡はここで知らん顔をするわけにもいかず、自分も手伝うとジョアンに申し出て彼とギャラリーの裏口へ向かった。
 ミニバンの荷台からプラスチック製の大きなケースを運び出そうとしていた卯藤は、ジョアンの声に振り返り、彼の傍らに片岡の姿を見つけて一瞬表情を強ばらせた。だが、すぐに笑顔を浮かべた。
「…久しぶり。君も来ていたのか」
「ジョアンに招待状を貰ったんだ。…それ、中に運ぶのか?手伝おう」
 卯藤が黙って頷いたので、片岡は焼き菓子が詰まったケースの一つを受け取ると中へ入っていった。
「車を買ったのかい?」
 ジョアンが、卯藤が乗ってきた車を見て尋ねた。
「まさか。レンタカーだよ。結局今日は大口の配達依頼がここと合わせて三件も重なったんでね。店のオーブンもいつも以上のフル回転さ」
「繁盛してるみたいで、何よりだ」
「だといいが」
 このパーティ会場へ配達する菓子は、ケース三個分だった。一つ目は既に片岡が持って入ったので、残りの一つずつを二人で抱えた。
「そういえば…片岡さんとは昔なじみなんだって」
「ああ、そう…初めてリスボンに来た時のルームメイトだった」
 片岡とのことは余り人に話したくない卯藤は、やや素っ気なく答えたが、ジョアンは気づいていないようだった。
「日本からこんな遠くまで来て…君たちはやり手だなあ」
「彼ほどじゃないよ」
 裏口から中に入ると、そこはごく簡単なキッチンを設置したスタッフルームになっていた。テーブルが置かれており、ワイングラスやオードブル等を載せておく金属製の大きなトレー等が準備されている。片岡がケースをテーブルの空いた場所に置いて待っていた。
「このトレイに載せて運べばいいんですか?」
「すみません…手伝わせてしまって。みんなどこへ行ったんだろう」
 パーティを運営しているスタッフが数名いるのだが姿が見えない、とこぼすジョアンに、片岡と卯藤は助けると言った。
「ミハルは、次の配達先に行かなくて大丈夫なのかい?」
「ナタをトレーに載せる時間くらいなら」
 三人が菓子をトレーに載せ変えているうちに、スタッフの一人が戻ってきた。
「後は僕たちでやるよ。ありがとう…ワインでもどう?と言いたいところだが、車じゃダメだな。今度はゲストに呼ぶから」
「ああ、またの機会に…そろそろ行かなきゃ。じゃあこれ」
 卯藤は請求書をジョアンに渡すと軽く手を上げて挨拶し、裏口から出て行った。