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みやこたまち
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そののちのこと(無間奈落)

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三「目覚めるともう正〜君は何故ここに来た」



 目覚めるともう正午に近いことが知れた。頭が重く、腰が痛んだ。テーブルの下では、コーヒーが冷めていた。半分ほど減ったカップの中のコーヒーを、信夫はいつ飲んだのか思い出せなかった。ゆっくりと起き上がると、胸が痛んだ。そして続けて咳が出た。身をかがめてやり過ごす。腹筋と腰が真っ赤にすりむけているかのように痛んだ。頭を整理しようと考えたが、何か目の前がぼんやりとかすんでいた。女と、裏返った自分と、髭の男が現れた。それらは、昨日まとめて訪問を受けたのだったか、それとも去年一回と、一昨日に一回だったのか、それとも全ては夢の中のことだったのか、判断がつかなかった。考えても無駄だという声を聞きながら、信夫の精神は集中していった。普通の世界では考えられないことが起こったような気がした。女の振る舞いも、自分が裏返ることも、男の髭や眼鏡のことも、そうだった。しかし、実際は普通にことが運んでいて、その中の一部が、自分の疲れた精神によって歪められていたのかもしれなかった。全てが幻影であるのか、どこか一部が錯覚であるのか、そもそもあの女の正体を自分は知っているのか、あの男についてはどうなのか… 信夫は首を振った。そして、ゆっくりと書斎を出た。久しく寝室へ入っていないような気がした。今日こそ、寝室でゆっくりと休むべきだと考えた。しかし、寝室の重い扉を開くと、寝台の上には真っ白な布を身体に巻きつけた女の目があった。それは、あの女だった。しかし、信夫はその女を無視して、身を横たえた。鼻先が女の腰に触れた。女の匂いがした。優しく頭を撫でられるような感覚と共に、信夫は深い眠りに落ちた。
 腹に妙な圧迫を感じた。無理やり目を開けると白い三角の物が自分の上に乗っているのが見えた。すりガラス越しの風景のように、その輪郭は不確かだったが、腹の上の重みとぬくもりとは確かだった。やがて、三角の頂点から何かとがった光るものが下りてきて、自分の肋骨の中心部に埋もれていき、白い三角の前に、輪郭だけの逆三角形が出来た。白くて細い輪郭は女の腕だということが、信夫にはぼんやりと理解できた。周囲の闇と長い髪とが溶け合って、女の白い身体だけがぼうと浮かび上がっている。両手を信夫の胸において、女は徐々に上体を倒し始めた。闇のような髪が信夫の腹や肩や首を這った。それは冷たかったが、一本一本が意思を持って蠢いているように感じた。女の額が信夫の胸に触れた。たまらなくなって信夫は目を閉じた。すると瞼の裏にまばゆいばかりの閃光が走った。目を開けると、強い光を見た後のように青黒い斑点が視界の中心に浮かんでいた。その斑点越しに女の顔が見えた。拝むような姿勢で女は頭を下げ、自分の胸にまっさかさまに突き立っていくのだった。それほどの穴が開いているとも思えなかったが、女は逆飛び込みをするかのように、もう腰の辺りまでが沈んでしまった。ひどい吐き気が信夫を襲った。おもわず目を閉じると女の唇が見えたような気がした。しかしすぐに光が満ち、再び目がくらんだ。目を開けると、あの斑点の向うに白いものが二本突き立っていた。これは、女のふくらはぎだろうと気づくよりも早く、それは胸の中に消えた。それとともに、体内に満ちていた光りは消え、信夫は深い眠りに引きこまれていった。

 かすかな音色が耳に響いていた。それが一連の意味を持った言葉のつながりであるということに気づいた時、信夫は覚醒した。あたりは、暗かった。傍らには、先ほど見た白い三角の塔が突き立っていた。
「…自分が今、どこで何をしているのか分からないうちに真っ暗になってしまって、気が付いたらさっきとは全然違うところにいるの。さっきまでいたところは、全然覚えていないのに、ここがそこではないということだけが分かるの。そこには全く新しい人たちがいて、全く新しい時間が流れているの。だけど、そこで起こることは、幻灯の向こう側のこと。こういうのって、分かるかしら。あなたのように、永遠に愛する人の胎内に潜り込んでしまっては、もうそれも無理でしょうね。だってあなたは、あなたの寄生主と一体になってしまっているから。おかげでその人はもうあなたのことと自分のこととを分かつことは出来ない……」
 女の身体は白いシーツにくるまれていたので、肌を見ることは出来なかった。ただ、白い三角が傍らにあって、声だけが響いていくるのだ。自分がどこに寝ているのか、目を上げれば見えるはずの天蓋が、信夫には見えなかった。
 女の口から語られる祈りにも似た静謐な声は、鼓膜にではなく、精神の襞に響いた。まるで自分以外の誰かに向かって語られているようだった。その意味がじょじょに信夫の中に統合され、一瞬、脳裏に、ある女の像を結んだ。真っ白な閃光にも似た女の姿に、信夫は内臓の全てを焼かれるような感覚に襲われた。信男は大声を上げて、布団を跳ね飛ばした。掛け布団が裂け、羽毛が飛び散った。それらは、視界の上から下へとゆっくりと落ちていった。次から次へと落ちていった。際限なく、白いものが落ちた。女は信夫の傍らで、怯えたように震えていた。頭を抱え、膝を胸につけるようにして、信夫も三角になった。くぐもった声が女を捕らえる。
「君は、だれだ」
 信夫の息遣いで羽が渦を巻いた。その中心にこのベッドがあった。女はかすかに震えながら、首を振った。信夫は同じ言葉を繰り返した。女は同じように首を振った。もう、女の返答などを期待しない信夫は、何度も何度も同じ質問をつぶやいた。女は次第に固くなり、身体の震えが治まっていった。信夫の声もじょじょに小さくなり、ただ羽だけがふわふわと部屋を舞っていた。
「…眠っている人に質問をしたり、寝言に応えたりしてはいけません。それをされると人は気が狂ってしまうのです。聞かれた相手か、聞いた相手か、どちらかの気がふれて、どちらかが死ななくてはなりません。夢の中で、思いのままに操られて、そして死んでしまうのです。夢の中で、『君を殺してしまったよ』と告白しようと、傍らの相手に手を伸ばしたとき、その手はすでに相手の首を硬く締め付けているのです。だから、眠っている人に質問したり、寝言に応えたりしてはいけないのです」
「けれど、君はそれをした。なぜ、君は死なずにすむ?」
「私には分かりません。でも、私が死なないのならば、死ぬのはあなたかもしれません」
 再び床の中で、信夫は女と言葉を交わした。静かだった。ベッドの周りには白い羽が輪になって積もっていた。
「君はなぜ、ここに来た?」